はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

伝統医学・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師・・

耳鳴り・難聴・意識の志向性

2014-07-30 20:20:28 | 医学のはなし


鍼灸の患者さんに、耳鳴りや難聴に苦しむ方がいます。何カ月や何年か耳鼻科などに通い、それでも改善しないので鍼灸院に来られるのですが、驚くほど簡単に治ってしまうケースがあるのです。これらは、耳およびその周辺の感染や器質的疾患はなく、原因不明と言われる耳鳴り・難聴であり、突発性難聴とも呼ばれるものですが、なぜ治るのでしょう。その前に、耳鳴り・難聴について『メルクマニュアル』から見てみましょう。



ここから引用

耳鳴


耳鳴とは耳内の雑音であり,人口の10~15%が経験する。自覚的耳鳴は,音刺激の非存在下における音の知覚であり,患者にしか聞こえない。他覚的耳鳴は,耳の近くの血管組織から生じる音に起因し,症例によっては試験者にも聞こえる。

耳鳴は,ビービー,りんりん,ごーごー,ヒューヒュー,しゅーしゅーなどと表現され,ときには変化を伴う複雑な音である。それは断続的,持続的,あるいは拍動性(心拍に同調する)のことがある。持続的な耳鳴は,ごく軽い場合でもいらいらするものであり,しばしば大きな苦痛となる。一部の患者は他の患者に比べて耳鳴の存在によく順応し,ときとして抑うつを招く。ストレスは一般的に耳鳴を悪化させる。

病因

自覚的耳鳴は,ほとんど全ての耳疾患に伴って起こりうる。一般的な原因としては,音響外傷(騒音性感音難聴),その他の原因による感音難聴,耳垢や異物による外耳道の閉塞,感染(外耳炎,鼓膜炎,中耳炎,内耳炎,錐体尖炎,梅毒,髄膜炎),耳管狭窄などがある。高用量のサリチル酸塩は可逆性の耳鳴を引き起こすことがある。アミノ配糖体系抗生物質および一部の化学療法薬(例,シスプラチン)は難聴を引き起こすことがあり,耳鳴を伴う場合もある。

他覚的耳鳴は,拍動性のぶんぶんという可聴音を伴うまれな症状であり,頸動脈または頸静脈の乱流により引き起こされる可能性がある。血管に富む中耳腫瘍(例,鼓室型グロムス腫瘍や頸静脈型グロムス腫瘍)および硬膜動静脈奇形(AVM)も他覚的耳鳴を引き起こすことがある。

評価

病歴

発症前に大きな音または特定の薬物に暴露した場合,それぞれ音響外傷または聴器毒が疑われる。片側性の耳鳴は,特に難聴を伴う場合,聴神経腫瘍の可能性を示唆しうる。急性で片側性の難聴およびめまいは,特に気圧性外傷の後に生じた場合,外リンパ瘻を示唆しうる。反復性耳鳴,耳閉感,重度のめまい,変動性または永続的な難聴が同側の耳に生じる場合,メニエール病が疑われる(内耳障害: メニエール病を参照 )。

身体診察

頸部聴診時の雑音や静脈コマ音は,血管性の病因を示唆する。先がオリーブ形の聴診器または電子聴診器を用いた耳の聴診でのみ聴取される雑音は,硬膜AVMを示唆する。

検査

聴力検査を行い,もし難聴が認められれば,伝音,内耳性,後迷路性の難聴を鑑別する検査を行う(難聴: 聴覚検査を参照 )。ガドリニウム造影MRIにより,片側性耳鳴の症例で,特に難聴がある場合に,聴神経腫瘍が除外される。その他の検査は患者の症状に応じて実施する。片側性で拍動性の他覚的耳鳴では,動脈造影による頸動脈および椎骨動脈系の検査が必要な場合がある。このような場合には,動脈造影のリスクと,可能性のある硬膜AVMの検出および治療(塞栓形成法による)がもたらしうる利益とを比較検討しなければならない。磁気共鳴血管造影はおそらく,大部分の硬膜AVMを検出できるほど感度が高くはない。

治療

基礎疾患の治療により,耳鳴が改善することがある。難聴を治療すれば(例,補聴器で),約50%の患者で耳鳴が緩和される。症例によっては,抑うつを認識し治療することで耳鳴が緩和され,心理学的要素が示唆される。しかしながら,心理的原因を想定するべきではない。

特異的な内科的または外科的治療法はないものの,多くの患者は背景音があると耳鳴が遮蔽され,寝つきがよくなると感じる。耳鳴マスカーが効果のある患者もあるが,これは補聴器のように装用する器具で,耳鳴を抑制できる小さな音を流すものである。人工内耳のように内耳に電気的刺激を与えると,ときとして耳鳴が軽減されるが,これは重度難聴の患者に対してのみ適応である。

最終改訂月 2005年11月

http://merckmanual.jp/mmpej/sec08/ch084/ch084d.html

引用おわり


耳に疾患があれば、たいてい耳鳴りが起こります。しかし、耳鳴りがあれば耳に疾患があるとは言えません。二日酔いや高速エレベーター、飛行機などで耳鳴りが起きる人もいます。また、耳の疾患が治癒した後、あるいは何の疾患もなく、思い当たる原因もなく耳鳴り・難聴がある場合があり、音に関してだからといって耳に要因があるとは言えないのです。では他に何があるのでしょう。ちょっと、一つの症例を見てみましょう。


20代の女性で、3か月前から突然右耳だけが難聴になり、低音の耳鳴りがある。耳鼻科に通っていたが、外耳・中耳とも疾患もなく、感染症も起こしていない。仕事も家庭も問題なく、ストレスの自覚はない。睡眠もよくとれて、食欲も十分ある。肩こりで耳鳴りが起きるとインターネットで見て、鍼灸が効くらしいと聞き、来院された。

原因が分からないと言って、なんでもストレスのせいにしても問題を解決できません。ひと通り問診を済ませ、鍼治療を行いながら、さりげなく質問しました。


「今も耳鳴りは聞こえていますか?」

「はい」

「どんな音です?」

「低いブーンという音です」

「他に何か聞こえますか?」

「いいえ、何も聞こえません」

「そういえば、音楽が流れているの聞こえますか?」

「えー、あ、聞こえます」

「何の曲か分かります?」

「あれ、ピノキオの星に願いをですよね」

「そうそう、他には何か聞こえます?」

「いえ、別に何も」

「時計の針の音はどうです?」

「あ、聞こえます」

「いくつ聞こえます?」

「ひとつ・・・?」

「実はこの部屋には三つ時計があります。そのうち、だんだん聞こえてくるかもしれませんね」


とは言っても、三つの時計の音を判別して聞くのは耳のよい人でも結構大変です。そんな感じで一回目の治療を終え、一週間後に来院された時には、耳鳴りは消失していました。難聴の方も、音の聞こえやすさ、左右のバランスが少し右が悪いくらいで、人との会話では聞き返すことがなくなっていました。二回目の治療の後は、たまに低音が聞こえる程度になっており、三回目の治療後では耳鳴り・難聴とも完全に消失し、その後、一カ月経っても再発しませんでした。


では、このケースは何を意味しているのでしょうか。ほんの短い時間の中で起こった意識の方向の変化が観えますね。エトムント・フッサールは、意識とは常に何かに向けての意識である、と言いました。それを「意識の志向性」と呼びますが、これは誰にでもある心の働きなのです。


人ごみの中で、なぜか好きな人や自分の子供はすぐに見つけられる。騒音の中でも、自分の名前は呼ばれると分かる。耳が遠いのに悪口は聞こえる人。いろいろありますね。夜中、水道の蛇口から滴り落ちる水の音、時計の針の音、風の音や、近所の人の話し声などで寝付けなかったりすることはありませんか。いつもは全然聞こえないのに、なぜこの時それが聞こえるのか。原因は判らないでしょう。


この症例の女性には、これが起こっていた可能性があったのです。音というのは耳で聞くのではなく、耳を通して心で聞くものです。なので治療は意識の方向を変えてあげること。鍼の治療をしながら、さりげなく。あるいは鍼なしで、ただそれだけでもよかったのかもしれません。必要なのは適切な言葉です。


言葉には不思議な働きがあります。昔の人は、日本は言霊の幸はふ国、言霊の祐くる国、と言いました。今の人も、本心から信じてはいないにせよ、習慣的に世間的に忌み言葉をさけますね。とくに結婚式の時や受験生の前でとか。


病気の治療においても、もっと言霊を利用してもいいかもしれませんね。言葉を変えれば人の心が変わります。そして世界の中に存在する人の心が変われば、世界が変わるのです。


(ムガク)



ここで、どんな鍼灸の治療を行ったのか、どんなツボを使ったのか気になるという人もいると思いますが、それも意識の志向性が関係していますね。


特別展「医は仁術」・国立科学博物館

2014-03-20 19:04:38 | 医学のはなし

P1000882気候は急に春めき、明るい日差しに、朗らかな陽気、さわやかな風に人々はコートを脱ぎ、上野公園の桜のつぼみは大きく、一斉に咲きはじめるのを待っているようです。

そんな中、国立科学博物館で特別展、「医は仁術」が開催されました。結構、幅広い年齢層の人々が集まり、意外にも小学生などの若い世代も、おそらく親に連れられてでしょうが、来ていました。

展示は五つのブロックに分かれています。

第一章・病はいつの時代も身分の貴賎なく人々を襲う

第二章・東から西から医術の伝来

第三章・医は仁術~和魂漢才・和魂洋才の医~

第四章・近代医学と仁

第五章・現代の医

メインは、「第三章・医は仁術~和魂漢才・和魂洋才の医~」ですね。初公開の杉田玄白と桂川甫周の書幅や山脇東洋解剖図剥胸腹図はここに展示されています。様々な医学書、書画、浮世絵、薬箱、経絡人形、鍼や手術、診察用の道具などなど、主に江戸期の医療の文化的遺産を生で見ることができます。それらの中には芸術的なもの、原羊遊斎作薬箱や奥田木骨のようなものもありました。

ひときわ目立ったのが解剖図の多さと生々しさでしょうか。「刑死者解体図」では、当時の解剖している風景を順を追って見ることができます。坊主頭の人が刑死者の首を切り落とし、腹を裂き、内臓を出し、食道から筒を差し入れ、口でくわえて息を吹き、腸を膨らませて扱いやすく観察しやすくしている絵は、解剖学の図や写真など見るよりもはるかに感性にうったえてきます。

また、ちょっと日本的でおもしろいことに、あらゆる門弟の誓約書、免状のようなものに、流派に関わりなく、学んだことを人に漏らしてはならないというルールが入っているんですね。例えば、「延寿院十七箇条」には、「口伝、心術などみだりに漏らして口外すべらかず」と書いてあります。

中国の医学書、『黄帝内経』*1には、「その人にあらざれば教えることなかれ、その真にあらざれば授けることなかれ。これを得道という」とあり、医学の伝授には人を選ばねばならないと言っているのですが、日本のそれはこれとちょっと違うんですね。

日本の医の秘密性は鎌倉仏教から多くみられる師資相承に基づいているのです。仏教だけでなく神道、武術やあらゆる芸能、なになに流と称するものがそうです。それぞれの流派はその内容で区別されているのではなく、師弟の人間関係によって存在しているのです。ここを逆に考えてしまうと混乱してしまうかもしれません。日本の医学流派の家伝や印可というものは、それら自体が大切であるというよりも、それらが流派の独立性、閉鎖性を高める一つの手段であるのかもしれません。

江戸期の大阪の思想家、富永仲基はこう言っていました。

「神道のくせは、神秘秘伝伝授にて、ただ物をかくすがそのくせなり。およそかくすという事は、偽り盗みのその本にて、幻術や文辞は、見ても面白く、聞いても聞ごとにて、ゆるさるるところもあれど、ひとり是くせのみ、甚だ劣れりといふべし。それも昔の世は、人の心すなほにして、これを教え導くに、其の便りありたるならめど、今の世は末の世にて、偽り盗みするものも多きに、神道を教えるものの、かへりて其の悪を調護することは、甚だ戻れりといふべし。彼あさましき猿楽・茶の湯様の事にいたるまで、みな是を見習ひ、伝授印可を拵へ、あまつさえ価を定めて、利養のためにする様になりぬ。誠に悲しむべし。然るにその是を拵へたる故を問ふに、根機の熟せざるものには、たやすく伝へがたきがためなりとこたふ。是も聞こゆるやうなれども、其のかくしてたやすく伝えがたく、また価を定めて伝授するやうなる道は、皆、誠の道にはあらぬ事と心得るべし」*2

医はもちろん仁術です。しかし流派を立てるとそれの産業化がはじまります。本居宣長も医師になるとき、武川幸順に入門しましたが、その入門費・学費はそうとうなものでした。*3 後藤艮山は銭一貫文をもって名古屋玄医に入門しようとしましたが、お金が少なすぎて断られました。*4

また、薬箱に入っている薬の分類の方法もおもしろいでしょう。薬、漢方薬の原料、生薬は古来、君・臣・佐・使の四つに分類されていました。それが吉益東洞流の薬箱では万・
病・一・毒の四つに、華岡流の薬箱では仁・義・礼・智の四つに分類されています。それぞれ吉益東洞の唱えた医学理論と、孟子の説いた四端ですが、なんとなくその人々の価値観が見えてきますね。

「医は仁術」展では、純粋な医学の発展の歴史とともに、そのような裏側ものぞくことができるかもしれません。

2014年3月15日から6月15日まで

公式ホームページ

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*1『黄帝内経素問』金匱真言論

*2富永仲基、『翁の文』第十六節

*3本居宣長記念館:http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/jyugyoryo.html

*4富士川游、『日本医学史綱要』1

 


不思議の医学のアリス Alice's medicine in Wonderland

2011-12-21 16:04:41 | 医学のはなし

この記事は 2010年のCogito (創刊号・11月号)に掲載されたものです。作者の許可を得て転載しました。


不思議の医学のアリス 
Alice's medicine in Wonderland


○ トラの穴に落ちて Down the Tigger-Hole


Alice1_3  ウサギの穴に落ちてしまい不思議の国を冒険することになってしまったアリスちゃん。苦労の末、なんとかお姉さんがいる世界へ戻って来ることができました。しかしそれもつかの間。今回は医学のトラの穴に落ちてしまいましたから、さあたいへん。今回は、そこの医学をきわめて、白衣の女王様になるのが目的です。そこってどこかって?。どうも現代の日本のようですね。東京中を歩き回り、やっとメイド喫茶で見つけた医学の先生の名はテロス(*telos)。かわいい女の子が大好きなのでやさしく教えてくれます。


○ 微生物のプール The Pool of Bacteria


テロス  やあ、アリスちゃん。今日はどんなことを知りたいのかな?
アリス  うーん、そうね。わたしがいたところではね、最近コッホというお医者さんが、目に見えない小さな生き物がコレラとか結核とか炭疽とか、いろんな病気をつくっているって言い始めていたけど…。あれって本当?
テロス  そうか、アリスちゃんは19世紀のイギリスから来たんだったね。それはドイツの細菌学者のコッホが言ったことだね。本当だよ。よし、じゃあ今日はその辺のお話をしようか。
アリス  うん。
テロス  昔からね、ある一人の人が病気になると、たちまち家族や町中に同じ病気になる人が増えることがあったんだ。これを疫病と言うんだ。今まで元気だった人がどんどん病気になって死んでいく。昔の人はなんでだろうって考えたんだ。アリスちゃんのおじいちゃんに、なんで疫病にかかるのかって訊くと、どう答えると思う?
アリス  そうね、きっとおじいちゃんなら瘴気が原因だっていうわ。
テロス  そう、昔はね、目に見えずに宙をただよい病を引き起こす力、それに瘴気とか邪気とか疫癘などという名前をつけていたんだ。それが変化し始めるきっかけとなったのが、レーウェンフックというオランダの生物学者がいたんだけど、その人による微生物の発見なんだ。
アリス  へー、なんで発見したの?
テロス  うん、彼は顕微鏡を自作していろんな物を観察するのが趣味だったんだ。1674年のことだけど、池の水を観察していた時に小さな生物が動いているのを発見したんだ。またその頃は、小さな生き物は土や植物から自然に発生すると考えられていたんだけど、彼は小さな虫も卵から生まれるし、微生物にも生死があることを発見したんだ。
アリス ふーん、じゃあ微生物っていうのはなにから生まれるの?
テロス  いい質問だ。小さな虫は卵から生まれると分かったんだけど、微生物は顕微鏡を使ってもなかなかその誕生の瞬間を見ることが出来なかった。だからそれから200年近くは微生物に関しては、今まで通りの自然発生説が主流だったんだ。
アリス  だったということは、今は違うのね。
テロス  そう、それまでいろんな人がさまざまな実験をしてきたけれど、1861年、フランスのパスツールの実験が決定的だったね。白鳥の首のようなフラスコを作ってその中に肉汁を入れる。それをぐつぐつと煮るんだ。普通のフラスコだと肉汁が腐敗してしまうのだけれど、それだと腐敗しないことが分かった。なぜだろうか。それはね、熱により肉汁中の微生物は全部死ぬ。もし空気は入ってきても微生物が入ってこられないと、肉汁に微生物は発生しない。普通のフラスコで微生物が自然に発生したように見えたのは、外から知らないうちに入ってきたからなんだ。微生物はそれと同じ微生物が直接生み出すんだ。
アリス  へー、面白いわね。
テロス  また彼は炭疽や狂犬病のワクチンを開発し、予防接種することで多くの人々の命を救ったんだ。
アリス  ワクチンって、ジェンナーが天然痘のワクチンを発見したって聞いたことがあるわ。
テロス  そう、そのワクチンだよ。16世紀の中国には、天然痘のワクチンが何種類かあったんだけれど(衣苗法・漿苗法・乾苗法・水苗法)、感染する危険があったんだ。ジェンナーは牛を使うことでより安全にすることに成功した。まあそれは置いといて、そのパスツールのライバルだったのがコッホと言うわけだ。
アリス  そして病気がそういう微生物が引き起こしているって言っているわけね。でもなんでそう言えるわけ?病気と微生物は関係ないかもしれないじゃない。たまたま病気の時にそこにいただけかも知れないじゃない。
テロス  いいね。アリスちゃん。その通りだ。ある微生物が病気の要因だと断言するにはちゃんと調べる必要がある。コッホにはヘンレという、まあ師匠がいたわけなんだけれども、彼は、ある微生物がある病気の要因であることを証明するためには三つの条件を満たす必要がある、と考えたんだ。それはね、
(1)、ある特定の病気にはある特定の微生物が発見されること
(2)、その微生物を分離できること
(3)、分離した微生物をある動物に感染させると、同じ病気を引き起こせる
というものなんだ。コッホはそれに加えて、
(4)、その動物の病巣部から同じ微生物を分離できること
という条件を付け加えているね。それら全ての条件を満たした微生物が、ある病気の要因とされるんだ。
アリス  うーん、それならなんだか、反対できないわね。
テロス  それからというものコッホが発見したものに続いて、破傷風菌や腸チフス菌、ジフテリア菌、ウシ口蹄疫ウイルス、ペスト菌、赤痢菌、黄熱ウイルスなどなど、たくさんの病原微生物が発見されてきたんだ。
アリス  へー、たくさんあるのね、でもそれでどうするの?病気の人を治すことはできるの?


○ サバイバル・レースと長いお話 “A Survival-Race and a Long Tale


テロス  それが出来るんだ。アリスちゃんと同じ時代、ウィーンにゼンメルワイスというお医者さんがいた。彼は、医師が分娩をするケースを助産婦が分娩をするケースとを比べると、産褥熱を発生する率が10倍も高いことに気がついた。そして医師の手には産褥熱を引き起こす何かが付着しているのではないか、と考えてカルキで手を消毒する方法を考えたんだ。すると産褥熱で死亡する人が激減した。
アリス  すごーい。それから出産が安全になったのね。
テロス  ところがそうでもない。当時、医師たちは自分の手が病気や死を引き起こしていることを受け入れられなかった。ゼンメルワイスは病院や大学を追い出され、精神病院に入院し、そこで亡くなった。
アリス  かわいそうー。
テロス  しかし彼の思想はイギリスのリスターというお医者さんに受け継がれた。当時は手術をした後、患部が化膿するのは治癒反応であると考えられていたんだが、リスターはそれに疑問を持った。彼はパスツールやコッホ、ゼンメルワイスの発見から、手術後に傷が化膿するのは微生物によるものである、と考えた。そして手術道具や術野、医師の手指を石炭酸、今で言うフェノールで消毒することを思いついた。すると化膿することが減り、早く治癒することになった。
アリス  ふーん。消毒って大事なのね。じゃあ、クリミア戦争のとき、ナイチンゲールが病院の中をきれいにして、いままでたくさん死んでいた兵隊さんが死ななくなったのは、微生物がいなくなったせいなの?
テロス  そうだね。今となっては確認しようがないけど、感染が主な要因だったと思うよ。ナイチンゲールは統計学を使って、病院の衛生状態と、死亡率に深い関係があることを明らかにしたんだったね。
アリス  そうよ、ナイチンゲールはわたしの国の誇りよ。でも彼女はそれだけで満足したわけではないわ。だってどんなに病院がきれいでも、破傷風とかで死んでいく人がいるんだもの。
テロス  そうだね。病原菌が発見されていっても、それをどうにかできないと意味ないよね。当時の人々もなんとかしたいと考え、努力した。そんな中で1890年に、北里柴三郎とベーリングが血清療法をあみ出したんだ。
アリス  えっ、血清?血の?
テロス  そう、破傷風やジフテリアなどの感染症は、人間の体の中でそれらの微生物が毒素を作ることが問題なんだ。この毒が人を死に至らしめる。ということは、それを無毒化できれば問題ない。
アリス  そんなこと、どうやってできるの?
テロス  これがまた、たいへんなんだけど、まず毒素を分離するんだ。分離、精製を繰り返し、それを動物で実験し、特定していく。で、分離できたら、それの毒性を弱くしたりなくしたりして、馬などの動物に注射する。するとだね、動物は毒で死ぬことなく、その毒素を無害にするためのもの、抗体を作るんだ。この抗体は血液の血漿に多く含まれているので、動物から血をもらって血漿から余計なものを、できるだけ除いて血清を作るんだ。感染で死の危険にある場合でも、この血清を注射すると、体内で抗体が毒素を無毒化してくれるので、死亡率がだいぶ減るんだ。
アリス  ふーん。すごいのね。でも動物の血を人間に注射しても平気なの?
テロス  そうだね。精製しても抗体が含まれているほどだから、たくさんの異物が身体に入るわけだからね。副作用がないわけではない。ひどいときはアナフィラキシー・ショックを起こしてしまう。でも命には換えられない。
アリス  そうね。死んじゃうよりはましだものね。でも死にそうな時以外には使いたくないわね。
テロス  まあ、現在では分子生物学や遺伝子工学が進歩したから、動物を使わない血清もあるけどね。まあそれは置いといて、とりあえず毒素に対する抗体が作られる感染症は治療可能となった。しばらくすると血清療法とは別に化学療法というのも誕生したんだ。
アリス  化学?なに、それ?


*


テロス  うん、ところで、小さな微生物は顕微鏡の倍率がいくら高くても、それだけではよく見えない。なんでかな。
アリス  えーとね、なんでだろう?
テロス  それはね、それらは小さくて薄くて、透明だからだよ。だからよく観察するには染色する必要がある。ドイツで微生物や化学を研究していたエールリヒも微生物の観察では化学色素で染色をしていたんだが、ある時その色素に菌を殺す作用があることを発見したんだ。そして化学色素を感染症の治療に使えるように努力し、1904年には志賀潔とともにトリパンロート(眠り病の要因、トリパノゾーマに作用する)を、1910年には秦佐八郎とともにサルバルサン(梅毒の要因、トリポネーマに作用する)を開発したんだ。
アリス  悪い微生物はみんなやっつけちゃえばいいのね。
テロス  当時、梅毒は世界中で猛威を振るっていたので、このサルバルサンは30年にわたり特効薬として使われてきたけれど、なにぶん、これにはヒ素が含まれているので、結構毒性が高いんだ。命が助かった人も多かったが、副作用で苦しんだ人も多かった。
アリス  そうなんだ。じゃあ副作用の少ない薬を作ればいいんじゃない。
テロス  そう、だれもがそう考えた。1930年代になるとサルファー剤と呼ばれる抗菌薬、これも化学色素が由来なんだけれど、これが何種類も立て続けに開発されることになったんだ。しかも副作用を減らすことに成功した。
アリス  やったわね。
テロス  まだある。これが革命的な出来事なんだが、1941年にイギリスのフローレイとチェインがペニシリンの実用化に成功したんだ。
Penicillin アリス  ペニシリンってなに?
テロス  ああ、すまない。これは1928年にイギリスのフレミングが発見したものなんだが、青かびが他の微生物の繁殖を抑えるために分泌する物質のことなんだ。抗生物質と呼ばれているものの代表だ。
アリス  それがそんなに革命的なの?
テロス  ああ、まずその効果だ。当時は太平洋戦争中で戦場で傷ついた多くの兵士が、敗血症や肺炎、ガス壊疽など感染症に苦しんでいた。サルファ剤でも回復の見込みのない兵士たちにペニシリンが使われたんだが、心臓内膜炎などの患者を除き、ほとんどの兵士が劇的に全快した。また淋病や梅毒にも効果があると明らかになった。
アリス  すごいわね。
テロス  ペニシリンは当初は非常に高価なものだったが、大量生産できるようになると、あっという間にサルバルサンやサルファ剤に取って代わったんだ。副作用も圧倒的に少なく、サルバルサンと比べると、ほとんどないと言ってもいい。ペニシリンショックというアレルギーがあるが、これは数万回に1回あるかないかというものなんだ。
アリス  これで感染症が怖くなくなったのね。
テロス  いやいや、これは始まりに過ぎない。細菌は染色のされ方でグラム陽性菌とグラム陰性菌に大きく分けられるのだけど、ペニシリンは黄色ブドウ球菌などのグラム陽性菌にはよく効くんだ。だけどグラム陰性菌には全く効かない。このグラム陰性菌には緑膿菌、肺炎桿菌、インフルエンザ菌、赤痢菌など結構、重篤になる感染症を引き起こすものが多い。
アリス  そうなんだ。でも、それに効くのも作れるんでしょ?
テロス  その通り。ペニシリンが実用化されてから約20年の間に現在も使われているほとんどのタイプの抗生物質が次々に誕生した。ペニシリンに代表されるβ-ラクタム系抗生物質、これはペニシリン系、セフェム系、モノバクタム系、カルバペネム系、ペネム系などに大別される、またアミノグリコシド系抗生物質、クロラムフェニコールやテトラサイクリン系抗生物質、リンコマイシン系やポリエンマクロライド系や抗真菌性抗生物質、ポリペプチド系、グリコペプチド系、ホスホマイシン系、などなど。そうそうキノロン系やニューキノロン系っていうのもあるね。これら、なにとか系という名前は炭素原子からなる分子の骨格で分類されているんだけど、それぞれ作用する微生物や効果が異なる。同じものももちろんあるけどね。こうしてほとんどの病原微生物に対処できるようになった。
アリス  質問するとむずかしそうだからやめておくわ。でもたくさんの抗生物質ができたのは分かったわ。これでやっと感染症の問題がなくなったのね。
テロス  そう、1960年から70年代の人々も感染症は克服されたと思いつつあった。
アリス  あった?違うの?みんな殺せるようになったんでしょ?


*


テロス  うん、問題は微生物を殺そうとした時にすでに始まっていたんだ。抗生物質を使っているとそれが効かない微生物が誕生してきた。それを耐性菌と呼んでいるんだ。ペニシリンも当初は黄色ブドウ球菌に非常によく効いていたんだけど、効かないものも現われてきた。1959年にはペニシリン耐性の黄色ブドウ球菌や肺炎球菌を治療するためにメシチリンが導入された。だけど2年後にはメチシリン耐性の黄色ブドウ球菌(MRSA)が確認され、1980年代には世界中に広がった。このMRSAの厄介な点はメシチリンだけでなく全てのβ-ラクタム系抗生物質が効かない、というものなんだ。これを「交叉耐性」って言うんだけど。
アリス  困ったわね。
テロス  その後、MRSAの治療にバンコマイシン、これはかつて最強の抗生物質とも呼ばれたこともあったけれど、これを導入した。でも2002年にはバンコマイシンにも耐性がある黄色ブドウ球菌(VRSA)が現われたんだ。これらだけでなく、他のあらゆる抗生物質で耐性菌が出現している。
アリス  どうしてそんな耐性菌があらわれたの?せっかく抗生物質ができたのに?
テロス  ね、アリスちゃん、ダーウィンについて知っているかな?
アリス  ばかにしないで。わたしの国の人はみんな彼のことを知っているわ。犬とか鳩とか、生き物って進化するって言ったんでしょ。
テロス  そう。それでねアリスちゃん、たとえば、家から友達のお茶会に行くのにいろんな行き方があったとしよう。いつもはAの道を通っていくのだけど、ある日そこに熊が出たとしたらどうする?
アリス  Aが通れないのね。違う道、Bを通って行く。
テロス  もしBの道にオオカミが出たらどう?
アリス  Cにすればいいじゃない。
テロス  そう、結果は一つでも方法は色々あるよね。これは生物にも当てはまるんだ。生物は生き残るために、絶え間なく変化する環境に合わせて自分を変化させなければならない。このことを、アメリカの生物学者であるヴェーレンは、「赤のクイーン仮説」って呼んだんだ。
Alice2 アリス  赤のクイーン!?、わたし、彼女とチェスの冒険をしたわ。彼女は「同じ場所にいるためには、全力で走り続ける必要があるの」って言っていたけど…。じゃあ微生物も生き続けるために全力で進化しているってこと?
テロス  そう常に進化している。特に、生存の危険にさらされた時にはその変化する力が爆発的に高まるんだ。これはエピジェネティクスという遺伝子の研究で確かめられている。
アリス  ふーん、小さくても頑張っているのね。でもどうして微生物はそうやって変わると生き残れるって分かるの。考えて進化してるの?
テロス  いい質問だね。ある微生物が変化の必要に迫られた時、みんなが同じように変化するわけではないんだ。十人十色で、いろんなタイプが現われる。そして変化したけど生存できないタイプは死んでしまうんだ。うまく変化したものが生き残る。それが進化なんだ。彼らは考えて進化しているわけでもないし、そう進化するように決められていたわけでもないから、ダーウィンはこのことを「自然選択」と言った。
アリス  ふーん、そうなんだ。大人たちはダーウィンのことでもめていたけど、そんなことを言っていたんだ。で、進化することは分かったけど、抗生物質が効かなくなった微生物は、どんなところが変ったの?


○ 仕組みと戦略 Mechanism and Strategy


テロス  そうだね。それを説明するには、まず抗生物質がどのように作用するのか知っていなければならない。ここでは細菌を例にしよう。細菌の細胞の周りには、植物の細胞と同じように頑丈な壁がある。これを細胞壁と呼ぶんだけど、もしこれが無くなったら、細胞内の浸透圧を維持できず細菌は破裂して死んでしまう。β-ラクタム系やグリコペプチド系の抗生物質はこの細胞壁の合成を阻害するんだ。
アリス  ふーん、そうなんだ。
テロス  また、あらゆる生命の構造維持や代謝、成長にはタンパク質が必要だが、細菌でもそうなんだ。テトラサイクリン系やマクロライド系、アミノグリコシド系、クロラムフェニコール、リンコマイシン系などの抗生物質はこのタンパク質の合成を阻害する。
アリス  へー。
テロス  生命には遺伝子も重要だね。サルファー剤はDNAやRNAの前駆体の合成を阻害するし、DNAは分裂の時や遺伝情報をデコードする時に二本鎖が解離するんだけど、それを阻害するのが、キノロン系やニューキノロン系なんだ。
アリス  さっぱり分からないわ。
テロス  きっとそうだろうと思った。DNAの構造が明らかになってまだ半世紀ほどだしね。これについては、今度ゆっくり教えてあげよう。
アリス  そうね。先に進んで。
テロス  これら抗生物質は細菌の身体に特有の標的に結合することで、作用する。もしこの標的の形が変ったとしたら?
アリス  抗生物質はくっ付くことができなくて、作用しない?
テロス  そう、これが一つの方法だね。アリスちゃんは渋谷を歩けばたくさんナンパされると思うけど、悪魔のお面をかぶって歩けばナンパされない。それは外見が変わったからだ。
アリス  あやしい人だと思われて、お巡りさんにつかまるわ。
テロス  そう、外見が変われば結合するものも変わるんだ。まだある。抗生物質が細菌の体内に入って、標的に作用する前に、もし粉々になってしまったら?
アリス  粉々なら作用しないわ。
テロス  そう、酵素を作って分解すればいいんだ。それから、微生物の身体の表面に抗生物質専用の排出ポンプを作って追い出す、っていう手もあるね。
アリス  細菌も頭いいわね。
テロス  いやいや、これらは偶然による突然変異なんだ。考えてそうしたわけではない。
アリス  そうだった。
テロス  しかし、もともと抗生物質とは、微生物が他の微生物から身を守るためにあみだした武器だったよね。自分の武器で自分が傷つかないように工夫する必要があった。だからこれらの戦略はもともと抗生物質を作る微生物の遺伝子に存在していたとも言える。
アリス  そうよね。じゃないと自殺になっちゃうわ。
テロス  このもともとあった抗生物質耐性の遺伝情報、それから突然変異で獲得した遺伝情報、これらは子孫へ受け継がれるだけでなく、全く別の微生物に組み込まれて働くことが明らかになった。これを遺伝子の「水平伝播」と言う。
アリス  えー、なんでそうなるの。子供が親に似るのは当たり前だけど、友達は似ないわよ。
テロス  それはね、日本がミサイル防衛システムをアメリカから輸入したようなものなんだ。せんぶを自国で開発しなくてもいい。
アリス  ???
テロス  すまない。抗生物質耐性遺伝子を含むDNAは、まあ耐性に関わらずあらゆる遺伝子もなんだけど、環になってもとの細菌から抜け出ることがある。これは裸のウイルスのように働くんだけど、プラスミドって呼ばれている。この耐性遺伝子を含んだプラスミドが別の細菌へ移動して働き出すんだ。自分のコピーを作り、遺伝子を残すために、移動先の細菌に抗生物質の耐性を与えるんだ。
アリス  なんでそんなに遺伝子を残したいわけ?
テロス  なんで人間は結婚して子供を作りたいのかな。分からないけど、そういう性質をもっているものが子々孫々と生き残ってきたんだね。ある下水処理場から見つかったプラスミドには9種類もの抗生物質耐性遺伝子が含まれていた。
アリス  たいへんね。そんなにどんどん抗生物質が効かなくなるのなら、新しいものをどんどん作ってかなきゃね。


○ おかしなお茶会 A Mad Drug-Society


テロス  2007年には12歳の少年がバスケットコートで怪我をして、傷口から入ったMRSAで亡くなったというニュースがあった。大病で体力が低下しているとか、外科手術したわけでもないのに、元気な子供が感染症で死ぬということに、人々の間に衝撃が走った。新しい抗生物質はとても必要とされているんだ。しかし1960年代から現在まで約半世紀の間に開発された、臨床で使える全く新しいタイプの抗生物質はと言うと、オキサゾリジノン系、ただ1種だけなんだ。他にも新しそうに見える抗生物質があるにはあるけど、それらは以前に開発されたものをマイナーチェンジしたものなんだ。
アリス  どうしてなの?、20年間であれだけたくさんの抗生物質を作ったのに。
テロス  ひとつはなかなか新しいものが見つからないことが原因だ。新しいものを見つけても、それの効果が既存のものより低かったり、人体への毒性が強かったら意味がない。新しい微生物から発見した抗生物質がすでに発見されていたものと同じだった、ということも結構ある。
アリス  むずかしいのね。でもきっと頑張ればできるわよ。
テロス  そうだね、でももうひとつ、製薬企業の新しい抗生物質を開発する情熱が低下してしまったことも原因なんだ。
アリス  なんでそうなったの?
テロス  現在はね、医薬品を開発するのにはとっても厳しい決まりごとがあるんだ。人々が安全に薬を使えるように、薬害を減らすようにするためなんだけれども、それは動物実験を繰り返し、人間を使った臨床試験を繰り返し、たくさんのデータを集める。そうして、とりあえずデメリットよりメリットのほうが高い薬が市場に出ることが許されるんだ。その期間は十数年、費用は数百億円。
アリス  たいへんなのね。
テロス  しかも抗生物質は耐性菌が出現し、あっというまに広がるから、すぐに使えなくなる。耐性菌が出るのを遅らせるために、MRSAやVRSAに限って使用すると、たくさん売れないし、やはり耐性菌は遅かれ早かれ広まるので、儲けを見込めない。感染が起きている時しか使えない抗生物質よりも、糖尿病や高血圧など長期間にわたって使われる、寿命の長い儲かる薬のほうが魅力的なんだ。製薬企業もそこで働いている人たちを養っていかなければならないからね。
アリス  色々あるのね。でも誰かがなんとかしなければならないんじゃない?なにか方法はあるの。
テロス  もちろんだよ。生物の情報は細胞内の遺伝子に記録されているんだけど、近頃、このDNAの配列を解読する技術が進んで来ている。すでに人間のゲノムも明らかになっているんだ。抗生物質を作る微生物や病原微生物のゲノムの調査も始まっている。ある放線菌は抗生物質らしい分子を合成する酵素モジュールに似た遺伝子がゲノムの中に25個から30個あるのに、それらのほとんどが機能していないことが明らかになった。抗生物質を作る遺伝子はまだまだゲノムの中で眠っているかもしれないんだ。また、今まで探していないところ、海洋や昆虫などから未知の微生物を探して、そこから抗生物質を見つけようとする動きもあるね。
アリス  ふーん、努力しているのね。でも世界中の微生物をぜんぶ調べちゃったらどうするの?もう抗生物質はなくなっちゃうじゃない。
テロス  そうだね。まだまだ探し始めたばかりだから、新しい抗生物質を発見する確率は高い。すべて発見したとしても、マイナーチェンジや遺伝子操作でしばらくはやっていけるだろう。でもやはり抗生物質に代わる治療法を今から用意しておく必要があるだろう。
アリス  そうよね。全部効かなくなってから探しても遅いものね。で、その代わりの治療法ってなに?


*


テロス  バクテリオファージって聞いたことがあるかな。ウイルスの一種なんだけど、ある特定の微生物、それだけにしか感染して殺さないんだ。他の微生物や人間の細胞には全く影響を及ぼさない。
アリス  えー、じゃあウイルスを身体にいれるの?なんだか怖いわ。他にはないの?
テロス  うん、あるよ。その前にちょっと確認しておきたいんだけど、人間の身体は細胞から成り立っている。微生物も細胞だ。仮にある人が60兆個のヒトの細胞から成り立っているとして、その人の身体の中や表面にいる微生物は何個ぐらいだと思う?
アリス  えー、人間が60兆個でしょ、じゃあ1万個くらいかな?
テロス  はずれ。まあ個人差がかなりあるけど、だいたい100兆個くらいかな。
アリス  うそ!人間より多いじゃない。わたしたち微生物なの?
テロス  いやいや多数決じゃないんだから。立派な人間だよ。でも微生物と密接な共生関係にあることが分かるよね。もしこの100兆個の微生物が突然死んでしまったらどうなると思う?。われわれ人間も命を落とす危険性がとても高い。なぜなら外部から毒性の高い細菌が体内に侵入して一気に増殖してしまうからだ。また人間が必要とする栄養素のいくつかも体内で微生物が作っているんだ。なんの治療もしなければ遅かれ早かれ死んでしまう。
アリス  へー、微生物はえらいのね。
テロス  この微生物の働きを助けてあげたらどうだろう。人体に害をもたらす微生物が侵入してきても、その増殖を抑えてくれるのではないか、とイギリスのフューラーは考えた。1989年だったかな。この概念は「プロバイオティクス」って呼ばれている。抗生物質が「アンチバイオティクス」だから、その対語として名づけられたんだ。これは、消化管の感染症ではとても有効だ。食中毒やピロリ菌で起こる胃潰瘍とかね。またそれと遺伝子操作を組み合わせた方法もある。人に害を与えない大腸菌の遺伝子を変えて、致死的な毒素を吸収してもらうこともできる。
アリス  微生物を見なおしたわ。でも消化管はいいとして、怪我や手術の場合はどうなの?まさか傷口に大腸菌を入れるなんて言わないわよね。
テロス  そう、怪我や手術では黄色ブドウ球菌が一番の問題なんだ。これがコアグラーゼとかトキシンショック毒素、表皮剥離毒素、腸管毒エンテロトキシンなどを作るんだけど、これがまた毒性が高い。しかも100度の熱を30分加えても壊れない。感染症の時に黄色ブドウ球菌の増殖を一刻も早く抑えたいのは、これらの毒素が幾何級数的に増加するからなんだ。でも菌を殺すと、後々耐性菌が現われて厄介だ。どうすればいい?
アリス  殺さないで、毒を出さなくすればいいんでしょ。
テロス  その通り。共存の道があったね。最近、黄色ブドウ球菌を殺さずに、その毒性にかかわる分子の合成を阻害する薬剤が発見された。人体に使えるようになるまで、まだ時間がかかるかもしれないけど期待できそうな方法だね。医学の世界の「サティヤグラハ」ってところかな。
アリス  なに、それ?
テロス  インドのマハトマ・ガンジーがした政治運動の名前なんだけど…
アリス  わたしの国の植民地の人ね。
テロス  実はインドは1947年に独立したんだ。
アリス  えー、どうやって。わたしの国の海軍はとても強いってお父さんが言ってたわ。
テロス  そう、とても強かった。アリスちゃんがいた頃は、フランスとロシアの海軍が束になっても勝てたかどうか分からない。当時は世界で最強だったろう。
アリス  それがどうして?
テロス  ガンジーがイギリスから独立するために「サティヤグラハ」を主張してインドを一つにまとめたんだ。どんなことかって言うと、イギリスに対して暴力は使わない、でも服従もしない、っていう運動だ。
アリス  そんなんで勝てるの?
テロス  いや、軍隊をたおすって意味では勝てない。でも服従しない限り、負けることもない。力を持つものは抵抗しないものに対して攻撃しにくいんだ。動物行動学的にもね、爪や牙など相手を殺せる力を持つ動物、例えばオオカミや犬はけんか相手がおとなしく急所を向けると攻撃できなくなるんだ。力学的に言えば、作用がなければ反作用もないってところかな。まあ、結果的にインドは独立国家としてのアイデンティティーを獲得したし、現在でもイギリスとは敵対関係ではないんだ。
アリス  ふーん。強ければいいってものでもないのね。わたし、悪い微生物はやっつけちゃえばいいだなんて言っちゃったけど、それだけじゃいけないのね。
テロス  そう、増えすぎて悪さをしている時は、ちょっと減ってもらいたいけどね。
アリス  いろんな感染症の治療があるんだって分かったわ。でも、これだけ?他にもあるんじゃない?
テロス  と、言うと?


○ アリスの主張  Alice's Insistence


アリス  微生物は生きるために頑張って進化しているのよね。そして微生物の進化の情報は遺伝子っていうものに記録されているんでしょ。でもわたしたち自身はどうなの?。いくら医学が進化しても、いえ、医学が進化すればするほど、人間は「自然選択」されにくくなって、その遺伝子は進化しないんじゃないの?
テロス  確かにその通りだ。
アリス  子供が生まれれば親の遺伝情報が必ず受け継がれるんでしょ。じゃないと絶滅よね。医学はどんどん進化しているみたいだけど、どうなの?後世に必ず受け継がれるもの?
テロス  いや、歴史を振り返って見ると、そうではない。すでに失われてしまった医学や医術は多い。かろうじて生き残っている医学もあるが、とても危うく、はかない存在だ。しかも現代では軍事技術が異常に発達してしまっている。もし核戦争が起こったら、それが局地的なもので、世界にある核弾頭の0.4%が使われるだけでも人類は滅亡するということが、アメリカのロボックやトゥーンといった気候学者によって計算されている。そこまでいかなくても、高度に先進的な医学は経済的にも軍事的にも安定した時代でないと機能しないだろう。
アリス  怖い時代なのね…。で、わたしが言いたいことは、微生物が進化しているのなら、わたしたち自身も進化しなければいけないってこと。
テロス  言いたいことが分かったぞ。世代交代するとともに人間の遺伝子配列も少しずつ変化している。アリスちゃんは、病原微生物に対抗するために、積極的に遺伝子の変化をうながしたり、より適応する遺伝子が後世に受け継がれるようにするってことかな。
アリス  そう、だって人間の遺伝子も変えることができるんでしょ。それに人が亡くなるのも感染症だけじゃないんだから、感染症に強い人が飢えとか戦争とかで死なないように、いい遺伝子を残す手助けをしてあげたらどうかしら?
テロス  うーん、そうだね。
アリス  どう?いい方法じゃない?
テロス  悪くはない…。でも危険をはらんだ方法だ。
アリス  えー、なんで?
テロス  それは、昔の人も考えた方法だ。優生学というもので、イギリスのゴルトンによって1883年に提唱されている。
アリス  なんだ、そうなんだ。でもどうして危険なの?
テロス  アリスちゃんは、もし自分が感染症にとりわけ強くないって評価されて、お腹がすいている時とか、死にそうな時に誰も助けてくれなかったらどう?
アリス  やだな。助けて欲しい。
テロス  家族や友達がそんな状況に置かれたらどうする?
アリス  助けてあげたい…。
テロス  自分や家族、友達が困っている時に、感染症に強いって評価された人ばかり、えこひいきされていたら?
アリス  公平にしてもらいたい。
テロス  そうだよね。普通はそうだ。でも異なる人種間の憎しみが入り込むと、想像を絶する悲劇が生まれるんだ。その代表が第二次世界大戦でナチスドイツが行ったジェノサイトだ。
アリス  なに?それ?
テロス  ドイツのナチスという政党が「アーリア人至上主義」を主張して、ドイツ人の品種改良を始めたんだ。良い遺伝子を残すためにね。それと同時に、それの妨げになるユダヤ人の絶滅を計画した。強制収容所にガス室などの処刑場を作ってユダヤ人を殺戮した。その数は1200万人を下らないと言われている。
アリス  …。
テロス  また遺伝子もね、実のところ、なにが良くてなにが悪いって言うのはないんだ。「人間万事塞翁が馬」って言うように禍は福でもあり、福は禍でもある。良し悪しっていうのは、ある時、ある場所で、ある人の心の中にある、あるものごとの一面を見た時の評価なんだ。例えば、鎌型赤血球症を起こす遺伝子を持っているとマラリアに強いとか、貧血になりやすい遺伝子を持っていると感染症に強くなるとかね。
アリス  良いものが分からないんだったら、なにを残したらいいか分からないわね。
テロス  結果的に残ったものが、良いと評価されるけど、それも次の瞬間には変わるかもしれないね。
アリス  難しいのね。でもよく分かったわ。
テロス  今日はこのくらいでいいかな。
アリス  うん、ありがとう、テロス。チュッ。さようなら。
テロス  さようなら。気をつけてお帰り。


つづく



*註

No.99 病気の原因と意味

2010-03-10 22:16:40 | 医学のはなし

年々新しい病気の名前が生まれ今では数えきれないほど(註1)ですが、病気とはいったいどんなものなのでしょうか。色々な病気の定義の仕方があります。WHO(世界保健機構)でもさまざまな医学書でも日用の辞典でも病気の定義をしています。難しく考えるときりがありませんが、元々は簡単でした。それは自分が苦しみ辛いと感じる身心の状態とか、他人の異常と感じる身心の状態という、感覚的なものでした。その後、その症状の集合に一つ一つ名前をつけていきました。それが病名です。


病気に名前をつけたのは人間の社会を維持するためのコミュニケーションのためです。その後、世界のあちこちの文明で医学が誕生すると、病名は爆発的に増えることになりました。なぜ増えたのかと言うと、それは医療が呪術から科学に変化したためです。それまでの祈祷による治療は人間以上の存在に治してもらうという受動的なものでした。しかしその限界が見えてくると、人間は自分自身の手で治そうと能動的になりました。病気を細かく分類し、法則を見つけ、治療に結びつけようと努力してきました。この方法はかなりの成功を収め、以前では致死的な病気でも、現在では助かることが当たり前のように治療することが可能です。しかし問題が残されていないわけではありません。


その一つは病名の定義が抽象的になりすぎてしまったことから生れた「病人製作」の問題です。血液検査や尿検査やCTスキャンなどさまざまな臨床検査がありますが、その数値や結果で病名をつけることがあります。本人や第三者も苦痛や異常を感じていなくても、ある人を病気にすることができます。その時、治療を加えることで本来の病気になる確率を減少させるのなら良いのですが、治療の有無と予後の関係が明らかになっていないのに病気として治療されている人は数えきれないほどいます。


また病気の名前をつけられないため、適切な治療が受けられないという人もいます。カール・フォン・リンネ(1707-1778年)は生物分類学を創始しましたが、絶えず進化、変化する生物に固定的なラテン語の学名をつけることに批判的な人々がいます。ましてや日々変化する私たちの身体の状態にひとつひとつ病名をつけていくと天文学的な数になるので、病名はある程度高い確率で現われるものに限られます。苦しくて病院に行ったのに、「あなたは病気ではありません」と言われて帰らされてしまうことも多々あります。(これは医療の分業化も関係しています。また治療されても抗不安薬などの処方だけの場合があります)


これらは医療界の「抽象を具体とおき違えるの錯誤」と呼ぶことができます。ちなみにこの問題は現代医療だけでなく、「証」などと呼ばれる病名とは異なる抽象だけに頼って治療する治療家がいるように、伝統医療の中にも同じように存在します。これは医学の問題ではなく、人としての態度の問題のようです。具体的な病気はイマージュ(性質情状)の一つですが、それをとらえるには本居宣長(1730-1801年)の言うところの「もののあはれを知る心」が必要のようですね。


さて、私たちはなぜ病気になるのでしょうか。もっとも病気は人によって千差万別なのでこれも抽象的な話ですが、このなぜという問いには大きく分けて二種類の答えが期待されています。一つは病気の原因です。なぜ知りたいのか。それは人が不可思議なものごとに対する好奇心と原因を見つけて病気を治したいという希望を持っているからです。


病気の原因はその人の信仰する思想によって異なります。もし現代の弁証法的唯物論の世界においての決定論(または運命論)を信じている人では、病気を含むすべての現象は必然であり避けることができないと考えます。例えばこの痛みがあるのは寒い中で冷えたから、腰痛は人類が二足歩行を始めたから、そもそも人類や生物が誕生したから、地球は太陽が誕生したから、太陽や銀河、宇宙はビックバンが起こったからと現象のカスケード(数珠つなぎ)があるだけで、病気を治すという気持ちは生じてきません。これは病気を受け入れるというよりは、苦しみながらあきらめる方向の思想です。


また、もし観念論を信じているのであれば、病気を含む全てのものは主観が生み出しているので、治療は自分の心を変えることだけで十分であると考えます。これらの思想はヤジロベエの両極端ですが、人の気持ちはいつもゆらゆらと揺れているので偏り過ぎないように注意が必要です。


さて、病気の原因を見つける目的が病気を治すことであれば、それは解決できるものが望ましいですね。そして人に与えられた最大の自由は「選択の自由」であるので、ある選択がある結果を引き起こしたと考えると、問題の解決が容易になります。なお、因果関係は心に存在するものです。そして自分自身の心は確かに存在すると言えますが、他人の心はその人の身体の動き、表情、言葉などで存在を確認しています。なのでここでの選択は、ただ思うだけではなく具体的に身体上に表現する「行為の選択」のことです。ちなみに宮沢賢治(1896-1933年)が「畢竟世界はたゞ因縁であるだけ」と言ったように、選択には善悪はありません。しかしその結果には好ましいものとそうでないものとがあります。


選択はいくつかに(結構ファジーにですが)分けられます。それは自分あるいは他人の個人的なもの、または集団や社会的なもの、さらにそれらを時間的に現在と過去に分けることが可能です。例えば、もし食べすぎでお腹が痛くなったのなら、それは自分が必要以上に食べることを選択したことが原因です。また居眠り運転の車が後ろから突っ込んできて怪我をしたのなら、その原因は運転手が眠いのに運転したことが原因です。また水俣病やイタイイタイ病などの公害病はある集団が水銀やカドミウムで環境を汚染したことが原因です。これらのように原因が過去にある場合は今苦しんでいる人の原因を除くことはできません。できるのは、記憶と学習により現在の選択を変えてこれから病気になる確率を低くすること、また原因を知ることで現在の身体の状態を推察し治療に生かすことです。


すでに発症した病気には(いわゆる)対症療法が必要になります。これは例えば、寄生虫や細菌、ウイルスなどの感染症がひどければ抗菌薬や抗ウイルス薬、点滴や伝統医療の方法でも何かしらの治療、そして安静が必要なようにです。もっとも感染前なら、食べ物や飲料水、生活環境の衛生状態、生活習慣などに気をつけることでほとんど予防できますが…。


また病源微生物などの存在を原因と考えることは妥当ではありません。なぜなら、そう考えると「なぜそれが存在するのか」という新たな問いが生まれるからであり、またその存在が原因か否かを判断するには、存在しない状態と比較することが必要なのですが、その存在を自由にできない(存在を完全に消すことは不可能であり、試みるだけで別の存在、新種が生まれる)からです。また人も微生物も生態系を構成する一員なので、お互いに絶滅しないようにしたいですね。


もし原因が現在も進行中である場合は、原因を除いたときに病気が治ってしまうことがあります。例えば心配事で不眠症になったのなら、心配事がなくなると眠れるようになりますし、生活習慣病の一部などもこれに当てはまります。


一つの病気は時間的空間的に無数の原因が結びついて成り立っています。病気の原因が現在の自分の選択の問題であれば、努力が必要なものの、それを解決することが容易です。そして原因が他人や社会的な選択にある場合も、今まで数多くの公害病や天然痘やコレラなどの感染症などを解決できたように、間接的に変化を働きかけて問題を解決することが可能です。


ちなみに、脳梗塞(の症状)になった原因は脳の血管に血栓ができたこととか、腰痛の原因は腰の骨が変形していること(もっともこれは実証の難しい仮説ですが)とか、すべての病気の原因は遺伝子の異常であるなどという説明は、正しい言葉の使い方をしていません。これらは原因ではなく、病気を分析的に細かく描写したもので、呼ぶとするなら「条件」です。しかし言葉の定義は変化するので、そのうち原因という言葉の意味も変るかもしれませんね。


「なぜ病気になるのか」という問いの、期待される二つ目の答えは、その病気の意味や目的です。遺伝病や悪性腫瘍などもその意味を考えることは重要です。すべてのものごとには長所と短所が見つけられますが、気持ちが弱っている時には短所ばかりが目につきます。このような時には家族や治療家が、患者さんの意識の志向性を変化させる、病気の意味を気づかせる助けになってくれるでしょう。


そして病気だけでなく、生きること、死ぬことの意味も重要です。第二次世界大戦中の話ですが、ナチスドイツは強制収容所において幾百万人もの人々を虐殺しました。オーストリアの心理学者、ヴィクトール・フランクル(1905-1997年)はアウシュヴィッツなどに収容されましたが、彼は収容された人々の「精神的自由、すなわち環境への自我の自由な態度は、この一見絶対的な強制状態の下においても、外的にも内的にも存し続けた」ことを明らかにしました。選択の自由はどんなに苦しい状況でも存在するようです。人々はナチスに抵抗するか素直に従うか、どのように生きるか死ぬかを自由に決めることができました。


この収容所で生き長らえたのはどのような人だったのでしょうか。身体的に頑強な人、明るくて人当たりの良い人、従順で真面目な人などいろいろ考えられますが、違います。人々は生きる意味や目的、未来を失うと、次々に内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落し滅亡していったのでした。生き長らえたのはそれらを持ち続けた人々でした。彼はこう言っています。


「生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味をもっているに違いない。苦悩が生命に何らかの形で属しているのならば、また運命も死もそうである。苦難と死は人間の実存を始めて一つの全体にするのである」 (註2)


ある病気はその意味を知ったとたんに消えてなくなってしまうことがあります。病気が治る(病名がなくなる)か否かは別にして、病気の意味を知ることで、大切な一生をより人間らしく幸せに過ごしていくことができるかもしれませんね。


(ムガク)


(註1) International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems 10th Revision Version for 2007

(註2) (V・E・フランクル『夜と霧-ドイツ強制収容所の体験記録』霜山徳爾訳)

目次


No.96 ハイゼンベルクの不確定性原理と生命

2010-01-26 20:22:51 | 医学のはなし

ヴェルナー・ハイゼンベルク(1901-1976年)は1927年に『量子論的な運動学および力学の直観的内容について』という論文を発表しました。この論文の「不確定性原理」というものが、物理学の世界に革命をもたらしました。


私たちは飛行機でも電車でもその位置と運動について知ることができます。それなのでフライトスケジュールやダイヤと呼ばれるものがあります。何時に出発して何時に到着する。ある時間にはある特定の場所にいることを、事故でもない限り、測定および計算できることを当然のように感じています。


ところで、私たちが何かを観測する、認識するということに何かしらのエネルギーの移動が必要です。例えば、見るためには光のエネルギー、可視領域の電磁波が網膜の細胞にエネルギーを与えることが必要です。また聴くためには音のエネルギー、空気や物の振動が耳の鼓膜を介して聴細胞にエネルギーを与えることが必要です。嗅覚や味覚、触覚もまたしかりです。とは言ってもこれはデカルト(1596-1650年)やロック(1632-1704年)の言うところの知覚因果説という確からしい仮説の一種なのですが、そのようにして私たちは実存をつくりあげています。


私たちと同じ大きさのもの、またはより大きなものでは感覚する際に与えるエネルギーの割合はとても小さいので無視して考えることができます。しかしそれが小さい世界、豆よりも細胞よりも小さい、原子の世界になると話が違ってきます。なぜなら、もっているエネルギーが少ないので、それを与えた途端に自身の状態が大幅に変化してしまうからです。


このことについて、ハイゼンベルクは電子の位置を測定するための実験を考えました。それは電子に光を当てて顕微鏡で見るというものです。ただし電子はとても小さなものなので、ガンマ線という波長の短い電磁波を使います。電子に当たったガンマ線は反射し、顕微鏡のレンズにより屈折されて写真乾板上で観測されます(光電効果)。ハイゼンベルクの言葉を引用すると、


「位置測定の瞬間に、したがって光量子が電子によってそらされる瞬間に、電子は運動量を変える。この変動は使われた光の波長が小さいほど、すなわち位置の決定が精密なほど、大きい。そのため電子の位置がわかったその時刻には、電子の運動量は、この不連続的な変動に対応する量をふくめてしか知ることはできない。したがって位置が正確に決定されればされるほど、それに応じて不正確にしか運動量はわからない、またその逆。pq-qp=h/2πi という関係式の直接的直観的な解明が見られる。q1を値qがそれでもってわかる精度(q1は例えばqの平均誤差)、つまりこの場合は光の波長とし、p1を値pが決定されうる精度、この場合にはコンプトン効果におけるpの不連続的な変動とすると、コンプトン効果の基本的な公式によって、p1とq1とは


p1q1~h (1)


の関係にある。」


ここで導かれた法則が「不確定性原理」と呼ばれています。この方程式があるために、誤差をゼロにすることが不可能なわけです。すべての物質は原子から成り立っていますが、その基本の構成元素にはこのような性質が存在しています。とすると因果律というものはどうなるのでしょうか。ハイゼンベルクは以下のように言っています。


「因果律の決定論的な定式化、現在を精確に知れば未来を算出できる、というのは(仮定判断における)後件(Nachsatz)ではなくて、前提(Voraussetzung)が誤まっているのである(註1)。われわれは現在をそのあらゆる規定要素について知ることは不可能なのである。それゆえ知覚すること(Wahrnehmen)はすべて、多様な可能性のうちからの一つの選択であり、未来の可能性の一つの制限である。このとき、量子論の統計的性格はあらゆる知覚の不正確さと密接に結びついているものであるから、知覚された統計的な世界の背後にはなお、因果律の成り立つ真の世界がかくれているのではないかという憶測に心をそそられるかもしれない。だがこのような思惑(Spekulation)は、とくに強調するのであるが、非生産的であり無意味であると思われる。物理学は知覚の間の関連だけを形式的に記述すべきであろう。ことの真相はむしろ次のように言えば適切にしめされよう、あらゆる実験が量子力学の諸法則に、したがって(1)式にしたがう以上、因果律の不成立は量子力学によって決定的に確立される、と」


こうして新しい思想が誕生しました。それはさまざまな分野に影響を与えましたが、生化学や医学もその一つです。ハンガリー出身の生化学者、セント=ジェルジ・アルベルト(1893-1986年)は量子生物学を提唱しましたが、『医学の将来』という論文で以下のように言っています。


「組織(organization)というのは次のことを意味している。自然がなにか意味のあるように二つのものを組み合わせると、その構成要素の性質から説明できない新しいものが生ずるということである。このことは、原子核や電子から巨大分子や完全な個体に至る複合体の全域にわたって真実である。これが真実であれば、その逆もまた真実である…。


生命ということばの真の意味をより深く理解するには、越えねばならない広い溝がまだどこかにあるし、分子と高次構造との間をへだてている裂け目がまだあるのである。不遜に聞えるかもしれないが、この疑問には答えることができると考えている。われわれは、この分析を進めるにあたっては、一次元低く、原子や分子の次元から下って、基本的な粒子の次元、電子や量子の次元へ至らねばならない…。


私の感じから言えば、生物はそれ自身のなかに、これまでにはまだ確立されていなかったある原理、いわば自分自身を完成させる傾向をもっていると思われる。この原理を量子力学のことばで表現できるかどうかはわからない。新しい物理学の原理が見つけだされるのを待たなければならないのかもしれない。生物系は生命をもたない系から生じてきたのだから、この自己完成原理はすでに水素原子のうちに存在していたのかもしれない。それはあたかも、冬に霜が窓に作るすばらしい像は、ある意味ではすべての水の分子の中に存在しているのと同じように、生命はその起源をこの原理に負うているともいえよう」


決定論により無味乾燥になりかけた生命が、科学的に解明されつつ、さらに美しく輝きはじめることになりました。伝統医学の研究においても量子論は必要かもしれませんね。


つづく



(註1)部分論理式A→Bのうち、Aを前件、Bを後件と呼びます。ここでは「現在を精確に知れば」が前件、「未来を算出できる」が後件です。


(ムガク)


No.91 古代中国の鍼灸の起源と扁鵲

2009-09-18 17:59:15 | 医学のはなし

鍼灸医学は治療が独特でおもしろい医学なのですが、いつどこで発明されたのでしょうか。現在の日本や韓国、中国につながる鍼灸医学はおそらく戦国時代から前漢の時代、黄河流域においてだろうと思います。なぜならこの医学はその当時のその土地の思想が基本になっているからです。


しかし医学ではなく医術、つまり鍼という尖った道具を身体に刺すことによって治療しようとする行為は、いつどこで始まったのでしょうか。鍼灸の起源を明らかにしようとするとき、ある壁が存在することに気がつきます。


そのひとつは文献の情報が少ないということです。古代中国では何らかの発明をすると聖人とされ記録に残ることがよくあります。しかしその記録が存在しないということは、誰がどこで鍼治療をはじめたという情報が何らかの理由により伝わらなかった、または文字が発明される以前、つまり有史以前から鍼治療が存在したということが考えられます。(あるいは鍼治療は記録に残すほど重要または特別なことではなかった、とも考えられます)


もうひとつは鍼治療が行われていたと考えられる遺跡から、鍼などの考古学的史料が発見されたとしても、それには証拠能力がないとは言えませんが、それの証明力が低いということが挙げられます。つまり鍼が発見されても、それが病気の治療に使われたと証明することは困難です。鍼の使い道は他にもたくさんあるのですから。


もし世界のどこかの古代遺跡から、病気の人を鍼で治療している絵などが発見されれば、それは証明力が高いと言えますが、そういうものはまだありません。そしてもし発見されたとしたら、古代中国の鍼治療との先後関係や因果関係を調べる必要があります。


鍼灸の起源を明らかにする仕事は、歴史学者や検察官の仕事に似ています。医学者や自然科学者の仕事とはちょっと異なるようですね。これから新しい史料が発見されるにしたがい、さまざまな新しい可能性が生まれ、今までの仮説が消えていくのでしょう。


中国で鍼が使用された最初の記録は、司馬遷の『史記』扁鵲倉公列伝に残されています。扁鵲は、虢(カク)という国で「鍼を砥石に厲ぎ、以って外の三陽五会に取らし」め、仮死状態だった太子を鍼で治療しました。虢はBC655年に滅びたことになっているので、もし『史記』の記述を信じれば、春秋時代には黄河流域に鍼治療が存在したと言えます。


しかしその記述の信頼性をあやしむ意見があります。なぜなら『史記』には扁鵲が秦の咸陽に行ったとする記述もあるからです。すると秦が咸陽に遷都するのがBC350年なので、扁鵲は300年近く生きていることになってしまうからです。


ところで『史記』には「扁鵲なる者は勃海郡の鄭の人なり、姓は秦氏、名は越人」とあります。扁鵲が一人だとすると、この紹介文はよく分かりません。勃海は東北の果ての海のことであり、鄭は黄河中流の洛陽の近くの国であり、秦は黄河上流の西の果ての国であり、越は長江下流の南の国のことです。古代中国では人の名に国の名をつけることがよくありますが、ここまで地域がバラバラなのはどういうわけでしょうか。これは司馬遷が複数の扁鵲の逸話をまとめて記述した、と考えるのが自然です。


そして扁鵲という名が、集団につけられた名であるとか、歌舞伎役者や落語家のように代々受け継がれる名であるとすると矛盾はなくなります。どちらの可能性も否定できません。(しかし逸話が事実であったと証明することはできません)


ところで紀元前5世紀ごろインドの都市タキシラにはジーヴァカ(耆婆)という医師がいました。彼は鍼と薬嚢をもって生まれでた、と言われています(『チキツァー・ヴィドヤー』)。ただジーヴァカは開腹や開頭などの外科的手術をしたことが記録に残っていますが、扁鵲のような鍼治療をしたか否かは分かりません。


ちなみに古代ギリシャのヒポクラテス(BC460-377年)も外科的治療をしていました。また瀉血治療をしていた記録があるので、おそらく鍼を使っていたでしょう。しかしやはり扁鵲のような鍼治療をしたか否かは分かりません。


アーユルヴェーダには「スチ・ヴェーダ」がありこれはサンスクリット語で「鍼の科学」を意味しています。マルマ(ツボ)に鍼をすることでプラーナ(気)の流れを改善することを目的にしているようです。古代では竹や木製の鍼が使われていたようですが、ジーヴァカのいたタキシラでは鉄や銅、青銅製の鍼が発見されています。


その後インドでは鍼治療はすたれてしまいました。しかしスリランカでは古代から現在に至るまで鍼治療が続けられているようです。大陸から海により隔てられると、生物種だけでなく技術も保存されるようですね。ガラパゴスやマダガスカル、タスマニアなど、長い間外部と隔絶してきた島々の生物と似ています。


インドと中国のどちらがより早く鍼治療をはじめたのかは明らかではありません。しかし鍼灸は古代中国人が発明したとする説の他に、古代インド人が先に発明したという説もあります。もしそうであるのなら、その技術はタキシラや敦煌を通るシルクロードから伝わった可能性があります。また柳田國男(1875-1962年)の言うところの「海上の道」も考えられます。日本や中国に稲作や南海の神話が伝わったように、ヤシの実が海から流れ着いたように、鍼治療も海から伝わったかもしれませんね。そうすると『素問』異法方宜論にある「九鍼は亦南方より来る」という記述がしっくりきます。


この技術をはじめて発明したのはこの民族の文明である、という評価をする際には、しばしばナショナリズムが入り込みます。迂闊なことはなかなか言えません。しかしアフリカや南米、東南アジアにも鍼の治療があるので、こだわる必要はないかもしれませんね。


(ムガク)


No.90 ガンジーと伝統医学

2009-09-08 20:02:42 | 医学のはなし

墨家は平和を守るために「非攻」を主張し、もし他国から侵略される国があれば、命をかけてその国を守りに行きました。これは墨守と呼ばれていますが、攻撃に対して武力の防御で対抗することであり、戦争が生じる条件になります(「No.55 クラウゼウィッツと陰陽論(その2)」参照)。しかし防衛にはまた別の手段も存在します。


それはインド建国の父、マハトマ・ガンジー(1869-1948年)の主張した「サティヤグラハ」です。これはサンスクリット語で「真理の把握」を意味しますが、非暴力、非服従運動の中心的思想です。


当時、インドは大英帝国の植民地になっており、差別や抑圧に苦しんでいました。そして独立を望んでいましたが、だれでも思いつく方法が、大英帝国を武力でインドから追い出すというものです。しかしガンジーは、その方法を採用することも、その有効性を信じることもできませんでした。


結果的にガンジーの非暴力、非服従運動はインドの独立において非常に有効な戦略でした。第二次世界大戦が終わり、その2年後にはインドは戦争を起こすよりもはるかに少ない犠牲で独立を勝ち得たのです。


「夫れただ兵は不祥の器、物或に之を悪む」(『老子』三十一章)にあるように戦争は歴史が始まって以来(歴史自体がほとんど戦争の記録ですが)、悲劇を生み出してきました。ガンジーは国家間の闘争を暴力を用いずに解決し、またその闘争に終止符を打つような理想郷を考えだしました。


老子が「小国寡民」を理想の国として考えたように、ガンジーはパンチャーヤットを理想の国(村)として考えました。これは自給自足する完全な自治権をもった村(国)のことです。パンチャーヤットの上にタルカという村の複合組織をがありますが、軍隊もなく強制力もありません。これはそこに住むひとりひとりが「サティヤグラハ」を持つことが条件です。


しかし「サティヤグラハ」を持つには並々ならぬ精神力が必要です。他国から侵略されるかもしれないという不安、それを拭い去るには自国も軍隊、武力(抑止力)を持つ必要がある、という思想をなかなか捨てることはできません。


日本も憲法9条があるにもかかわらず、自衛隊という名前のついた軍隊を持ったように、1948年にガンジーが暗殺されると、インドも普通の軍隊を(核兵器も)持つ国家へと変化していきました。


ちなみに現在の医療界でも同じようなことがあります。感染症に対する非医学的で過剰な防御反応や、生活習慣病や悪性腫瘍などに対する薬物治療など、治療の内容も人々の心の不安から(また資本主義からも)影響を受けているようです。


それはさておき、ガンジーの(暗殺される直前に国民会議に提出された)憲法案には興味深いことが記載されています。衛生や医療制度の項目では公衆衛生や伝染病、公害、飲料水、病院や産婦人科に対する配慮が見られます。また医療費を無料にすることや伝統的療法や自然療法を薦めています。


ここでの伝統的療法とはインドに古代から伝わるアーユルヴェーダ(サンスクリット語で「生命の科学」)のことですが、アーユルヴェーダを広めることを薦めている訳ではありません。その国、その土地の伝統的な自然の医療、漢方でも鍼灸でもホメオパシーでも何でも構わないのです。


それと同じ頃(1949年)、コルチゾンという副腎皮質ステロイドのリウマチに対する実験が行われました。1人の患者に3日間で計300mgのコルチゾンを投与しましたが、その原料は約400kgの牛の副腎でした。いったい何百頭の牛の命が失われたのでしょうか。(現在ではコルチゾンをもっと効率的にメキシコヤムイモという植物から合成できますが…)


また1つの新薬が開発されるまでにも、数えきれないほどのネズミなどの実験動物の命が失われていきます。他の生命を犠牲にする、また自然を破壊する程度が、現代的医療は伝統的医療とは比べ物になりませんね。


とにかく「病気と戦わない」というのも治療の選択肢のひとつになるかもしれません。今まで病気と考えていたつらい症状、それと戦うことを止めた途端に治ってしまう、ということもよくあるのですから。


(ムガク)


No.69 吉益東洞と親試実験

2009-02-16 20:30:05 | 医学のはなし

実験の重要性を物理学の分野においてはじめて認めたのはガリレオ・ガリレイ(1564-1642年)でした。現代医学の分野においてはクロード・ベルナール(1813-1878年)が代表的です。また漢方などの伝統医学の分野では古方派医学の大家、吉益東洞(1702-1773年)の名があげられます。


古方派医学の特徴は後世方派医学が重要視した(自然や人間を同時に説明しようとする)陰陽論や五行論、運気論などの理論を捨てたことです。しかし吉益東洞の言葉をまとめた『医断』によると、「理」と呼ばれる何かしらの原理や法則の実在を否定していないことが分かります。


「蓋し理は本もと悪むものに非ざるなり、その鑿(コジツケ)を悪むのみ…理は定準無く、疾は定證有り、豈定準無きの理を以って定證有るの疾に臨む可からんや…理は黙して之を識る」(鶴冲元『医断』より)


というように吉益東洞は「理」の実在を認めていましたが、医療行為においては(後世方派の)理論を無視しました。その代わりに個人の経験に頼ることを重視しました。そして自ら新しい治療法を考え出し、それが正しいかどうか実際に病人で試すという方法を採りました。それは「親試実験」と呼ばれていますが、現在の「臨床試験」と呼ばれる人体実験と似ています。


ところで仮説演繹法と呼ばれるものがあります。それはまず個別的なデータから仮説を考え出します。その仮説にもとづいてある予測をたてます。そしてその予測が正しいかどうか観察や実験により検証するというものです。ガリレイであれ、ベルナールであれ実験する前には仮説をつくりました。そして吉益東洞の仮説は「万病一毒論」と呼ばれています。


「万病一毒、衆薬みな毒物、毒を以って毒を攻む、毒去りて体始めて佳なり、初め元気に損益なし、何ぞ補を云わんや」


と主張して毒薬(作用の強力な生薬)により治療するという「親試実験」をおこないました。その仮説と方法に反対する医師もいましたが「万病一毒論」は一世を風靡しました。後世方医学と比較してはるかに単純な理論と、またもう一つの「病人の生死は天命であり、医はそれを救うことはできない」(註1)という医師の責任回避可能な主張は、医師家業で生活する人々にとってどんなに魅力的だったことでしょうか。しかしその「親試実験」により命を失った人々や家族にとってはたいへんな悲劇です。


この「親試実験」をした時、その検証を行うのは何かというと、それは人の心です。そこには意識の指向性が働いています。つまり一つの学派を立てようとする人の心には、他の流派では治らなかったという事実へ、また自分の流派では治ったという事実へ意識が向けられてしまいます。この「捉われの心」は現在の医療界(現代医学や伝統医学に関らず)にも存在するようですので注意が必要です。


「万病一毒論」は吉益東洞の個人的な経験から生まれました。初めは実験だった吉益流の医術も臨床経験を積んでいくうちに洗練されて治癒する人が増えたことと思います。しかし次の世代には別の問題が生まれてきます。


それは流派や理論に対する信仰であり、先生や医学書の言葉を絶対的に捉える、いわゆるパリサイ人の出現です。パリサイ人とはマタイの福音書にある、聖書の言葉だけを守り自分が神様に一番近いと思っている人のことです。そこではイエス・キリストは言葉ではなく、ものごとの本質や真髄をつかむ大切さを説いています。(そういえば荘子も忘筌の喩えで同じことを言っていましたね)


古方派医学は理論的な朱子学にもとづいている後世方派医学への反動として生まれたと言われています。しかし直接的には古方派は後世方派の中にパリサイ人が増えてきたことにより生まれたのかもしれません。そして歴史はくり返されるようですね。


それはさて置き、古方派により、後世方派の理論とともにそれが生まれるもとになった数多くの経験が捨てられて、しかもそれが日本の医学の主流になってしまいました。この時代において、個人を越えた経験の集積と理論の形成、そして修正、という流れが途切れてしまったことは残念なことです。


それは明治時代に漢方や鍼灸医学がドイツ医学に取って代わられる一因になったかもしれません。なぜなら日本で主流の伝統医学の力が(確かに名医は存在しましたが、日本の全ての医師の能力や医療システムを考えたとき)ドイツ医学より高ければ、政府から伝統医学が存続を認められなくなる、ということはなかったでしょうから。


(註1)吉益東洞『医事惑問』、『医断』参照


(ムガク)


No.68 EBMと熱力学

2009-02-05 20:26:19 | 医学のはなし

EBMとは「Evidence-based medicine」の省略で日本語では「根拠に基づいた医療」と呼ばれています。どんな根拠かというと、それは生理学や解剖学などによるものではなく、疫学や統計学によるものです。EBMは20世紀末期に現れましたが、しだいに広まりつつあります。


それまでは「私はそれはこう治療している」とか「高血圧の人は脳卒中や心筋梗塞になりやすい。故に降圧薬を使えばそのリスクは減るはずだ」というような、個人的な経験や推測を根拠にして治療するのが主流でした。


しかしEBMが現れると、今まで良いと思われていた治療が広い目でみると逆に死亡率が高く危険であることなどが発見されてきました。数え切れない人々の命や健康がEBMにより救われたことになります。これはたいへん大きな成果ですね。


このEBMを考えると熱力学が思いだされます。一つは医学に関することであり、もう一方は物理学に関することなのになぜなのでしょう。それはどちらも統計に基づくからのようです。量子力学の生みの親であるエルヴィン・シュレディンガー(1887-1961年)はこんなことを言っていました。


「物理法則は原子に関する統計に基づくものであり、近似的なものにすぎない。


…原子はすべて、絶えずまったく無秩序な熱運動をしており、この運動が、いわば原子自身が秩序正しく整然と行動することを妨げ、小数個の原子間に起こる事象が何らかの判然と認められうる法則に従って行われることを許さないからなのです。


莫大な数の原子が互いに一緒になって行動する場合にはじめて、統計的な法則が生まれて、これらの原子「集団」の行動を支配するようになり、その法則の精度は関係する原子の数が増せば増すほど増大します。事象が真に秩序正しい姿を示すようになるのは、実はこのようなふうにして起こるのです。


生物の生活において重要な役割を演ずることの知られている物理的・化学的法則は、すべてこのような統計的な性質のものなのです。…」(シュレディンガー『生命とは何か』岡小天・鎮目恭夫訳)


物理的・化学的法則は原子の集団の法則です。一個の原子の運命をその法則から知ることはできません。同じように臨床の世界でも一人の病に苦しむ患者さんの運命を疫学や統計学により知ることはできません。あくまでも分かるのは集団の傾向なのです。


それなので例えば「あなたの命はあと○カ月です」とか「この病気は治りません」などと患者さんに言うことはできません。それは非人道的なだけではなく非科学的な言動です。悲しいかな、心が弱っている時にそんなこと言われたら、一種の暗示や呪いのように無意識のうちにそれを実現しようとする働きが生まれてしまいますよね。


経験医学であれEBMであれ大切なことは治療後の効果の確認です。過去の別の人の経験や統計どおりに目の前の患者さんが治癒していく保障はないのですから。確率には常に不確実性が付きまとっています。


「待ちぼうけ 待ちぼうけ ある日 せっせこ 野良かせぎ そこへ兎が飛んで出て ころり ころげた 木のねっこ」(北原白秋『子供の村』より)


この守株(カブヲマモル)のお話は2200年以上前からあるようですね。昔も今と同じ問題があったようです。


EBMと漢方・鍼灸医学のことを書くつもりがだいぶ話題がずれてしまいました。伝統医学についてのエッセーはたぶん次回からまた再開したいと思います。


(ムガク)


No.66 医学と科学

2009-01-22 21:17:37 | 医学のはなし

心理学が科学になろうと努力したのは19世紀末期になってからです。医学(medicne)はもともと病を治す技術のような意味であって、宗教的であるとか呪術的であるかは関係ありませんでした。それが科学(science)になろうと努力したのは19世紀の中程からのようです.


今では(現代)医学は科学として広く認識されていますが、その当時は医学が科学になるには大変なことでした。なぜなら19世紀は生気論が主流であり、生物に物理や化学的法則は当てはまらないと考えるのが普通でしたから。しかしその転換を迎えるに当たって、最大の功績者となったのが「内部環境の固定性」などの提唱で知られるクロード・ベルナール(1813-1878年)です。


彼はさまざまな生理学の実験を通じて生物のしくみ(例えば肝臓が糖を作ることや血管運動神経の発見など)を明らかにしていきました。ルイ・パスツール(1822-1895)は実験を通じて「自然発生説」を否定しましたが、ベルナールはパスツールにも大きな影響を与えています。その医学の歴史を変えることになったベルナールの代表的著作が『実験医学序説』です。


『実験医学序説』が1865年に著されてから医学も技術的に大きく進歩してきました。しかし未だ科学になりきれない処が残されています。「デテルミニスム」という「決定論」と「還元論」の混ざり合った思想は社会に広く浸透してきたものの、医学に関係する科学的・哲学的思想は忘れられやすいようです。その忘却は今に始まったことではありません。


1913年にクロード・ベルナールの百年祭がコレージュ・ド・フランスにおいて行われました。その時ベルクソン(1859-1941年)が講演の中でこんな言葉を残しています。


「クロード・ベルナールがこの(実験医学)の方法を叙述し、それに関する二、三の実例を与え、彼が行った方法の適用をわれわれに報告するとき、彼が説明していることは一から十まで全く単純で全く当たり前であるようにわれわれには思えるので、彼がそんなことをいう必要はほとんどなかったと思えるほどであります。


…しかしながら、クロード・ベルナールの方法が今日でも常に正しく理解され実行されている、などとは決していえないのです。彼の著作が世に出て五十年が経ちました。われわれはその間それを読み感嘆することを一度も中断したことはありませんでした。ところで彼の著作に含まれている教訓をわれわれはあますところなく引き出したことがあったでしょうか…」(矢内原伊作訳)


今から約100年前、ベルナールの本国、フランスではこのような状態でした。さて現在の日本ではどんな状態なのでしょうか。その前に『実験医学序説』には医学が科学になるための大切なことが多く記されていますが、そのうち一つを少し抜粋してみます。


「実験医学者も最初はまず経験主義の医師である。彼はここに停滞していることなく、漠然たる経験主義を克服して、実験的方法の第二階程、すなわち自然法則の実験的知識から得られる正確な意識的経験に到達しようと努力する。一言で言えば、彼はまず経験主義にしたがわねばならないが、これを一つの学派に作り上げようとするならば、それは非科学的傾向である。


…人知のこの独立不羈な一般的進展において遭遇する最大障害の一つは、各種の知識を体系と称するものの中に個別化しようとする傾向である。


…したがって体系はつねに人間精神を抑制しようとする傾向がある。…我々は、知的圧制の鉄鎖をたち切る如くに、哲学的科学的体系の束縛をもたち切るべく努力しなければならない。」(クロード・ベルナール『実験医学序説』三浦岱栄訳)


現在の日本の医学には無数の体系とその対立が存在するようです。大きくは現代医学や伝統医学(西洋医学と東洋医学と呼ぶ人もいます)、狭い鍼灸医学の中でも、○○流とか、○○治療、○○会、○○式と体系を作り上げて、また自分の医学の優位を主張しあいます。これは非科学的なことです。


非科学的だから悪いというものでもありません。一つの体系は病に苦しむ人に対面して悩む人にとって救いとなります。ただその一つの体系に満足し流動性を失うと問題が生じます。(その問題は現代だけでなく江戸時代の日本にも存在しました)


科学的だから良いというものでもありません。『実験医学序説』には生命に対する慈愛がありません。おそらく著者はその時の目的のため意識的に記さなかったのでしょうが、私たちは常に慈愛の心を忘れずに医療に携わる必要があります。愛を忘れた科学も一つの問題です。


(ムガク)


No.53 明治維新と伝統医学

2008-10-15 18:57:48 | 医学のはなし

チャイコフスキー作曲の大序曲「1812年」は1880年に初演されましたが、ナポレオン(1769-1821年)のモスクワ遠征をテーマにした曲です。フランスとロシアの戦争の場景が眼に浮かび、また曲中では大砲を撃ち鳴らす箇所もあり、ロシア人でなくても興奮してくる曲です。(日本では消防法の関係でホールの中で大砲は撃てません)ナポレオンはフランス軍をヨーロッパ最強にしましたが、このモスクワ遠征の失敗から衰退が始まりました。

 

ところで明治維新(1868年)になり、日本の医学はドイツ医学ほぼ一色に変化していきました。「西洋七科の制」という太政官布告(1875・1883年)により伝統的な漢方医学が存続するのは非常に難しくなりました。当時の日本では漢方医学は有志が歴史の裏舞台で細々と保存していく状態になりました。


もちろん明治維新で改革されたのは医学制度だけではありません。むしろ医学制度の改革は行政や身分制度、経済、軍事、宗教、教育、外交などと比較して全然主要なものではなく、片隅の小さな問題でした。旧習を打破するというスローガンに矛盾してまで伝統医学を残そうというのは政府にとって面倒臭いことでした。


江戸期には既にポルトガルやスペイン、また鎖国後は蘭方と呼ばれるオランダ医学やさまざまな日本や中国の伝統医学が存在していました。それがなぜドイツ医学に統一されてしまったのでしょうか。理由の一つは疫学的な功績が考えられます。天然痘に対する種痘所の設立をしたり(天然痘の種痘自体は16世紀の中国に既に存在しましたが、ジェンナーは牛痘を利用してより安全に改良しました)、コレラの感染拡大を防ぐという努力がありました。もう一つは当時のヨーロッパ諸国家の力関係でしょうか。


まずポルトガルはナポレオン戦争の後、王室はブラジルに遷都するわ、内戦が勃発するわで大変な状態でした。スペインも似たような混乱状態でした。オランダはナポレオン帝国が崩壊すると1813年に王国を復活させることができましたが、東インド会社は既に解散していて、またイギリスが台頭してきたので過去の力はありませんでした。


ドイツ(正式にはプロイセン)はどうかというと、1806年にナポレオン軍によりイエナの会戦にて壊滅させられ皇子も捕虜になり、属国のように扱われる事件(ティルジットの屈辱)がありました。しかしその後、改革を進めて国家の力をつけ、普墺戦争(1866年)でオーストリアに、また普仏戦争(1870年)でフランスに勝利し、明治維新の時にはヨーロッパ最強の帝国となっていました。


そうすると日米和親条約や通商条約の不平等な国家間の関係を改善するため、また欧米列強に追いつくためにどの国を手本とするかというと、ドイツでしょうね。アメリカは主権が民衆にある共和制であるので天皇制と矛盾するし、歴史も浅いので手本にするには難しそうですね。(なぜイギリスではないのかについてはまたいつか…)


さてどうしてここまでドイツが強大になったのでしょうか。ビスマルク(1815-1898年)もいますが、その強くなる原点を考えるとクラウゼウィッツ(1780-1831年)のお陰だと思います。かれはイエナの会戦で敗北し、ナポレオンのモスクワ遠征も経験し、「戦争とは何か」を考えぬき古今東西の世界で最高の戦略家の一人となりました。このクラウゼウィッツの思想には興味深いことがありますが続きはまた次回に…。


(ムガク)


No.47 『老子』『荘子』と『孫子』と鍼灸医学

2008-09-06 19:51:18 | 医学のはなし

鍼灸医学は医学書『黄帝内経』(註1)により基礎が築かれましたが、それには陰陽五行説が含まれています。それは自然の物や現象、人体や生理など様々なものごとを陰陽五行に分類整理し、それぞれを関係づけて病気の診断治療に役立てています。しかし陰陽五行説は病気とは何であるのか、そしてどのように行動すべきかという問題の一部を説明するのみです。病気についての基本的な思想、方針はどうも『老子』『荘子』と『孫子』の思想に基づいているようです。そう思う理由は『黄帝内経』にそれらの用語が多く引用されているためだけではありません。


老子や荘子は「無為自然」を説いた道の哲学者であり、また孫子は兵法を説いた軍事戦略家です。一見すると何の関係も無いと思えなくもないですが、その間には共通点もあり、差異もあります。


まず『老子』、『荘子』と『孫子』の共通点はというと、これらはどれも戦いの哲学であるということです。つまり古代中国の春秋戦国時代という戦争と殺戮、権力闘争や欲望渦巻く世界の中で、死や恐怖、悲しみや苦しみに負けず、いかに勝利し生き残るかという知恵を語っているのです。そしてその方法は鬼神や呪い、オカルト的なものに依存しない、いわゆる合理的方法を選択しています。これは当時の陰陽家と一線を画すものでした。


甲骨文によると商王朝では病気とは祟りのようなものと捉えられていました。甲骨文が卜占により残されたことを考えると、たとえるなら、ある地域の病院に行ってこの地域は病人ばかりだと思ってしまうような錯誤と同じ可能性があります。しかし『春秋左氏伝』の医緩や子産の逸話によると春秋時代はまだ祟りや鬼神が信じられていた時代のようです。


『黄帝内経』は戦国時代から漢代にかけての医学論文集であるとする見方が有力のようです。戦国時代、斉の国は諸子百家による学問の中心地であり、陰陽五行論、道の哲学、兵法もこの国で栄えていました。『黄帝内経』はその思想のるつぼの中で形成されたのかもしれません。


そして当時の医学理論の中で、病気とは闘い勝利する対象であるという思想が生まれました。そこでの病気とは祈り、去ってもらう対象ではありません。現在でも「闘病」という言葉があるように、また東洋西洋かかわらず、この思想は生き残っています。(その後また別の思想も生まれましたが)


『老子』『荘子』と『孫子』の思想で異なっている点は、その戦いが『孫子』では国家(と国家)のレベルであり、『老子』『荘子』では個人(と社会)のレベルであるという点です。『黄帝内経』では戦いは人体内部(と環境)のレベルとなりました。


そのように考えると、この医学が何故、養生を大切にするのか、自然や季節に合わせることを大切にするのか、鍼や灸の治療方法や理論を発達させてきたのかという問題が解決できるようになります。それについてはまたいつか。


(註1)『黄帝内経』:『漢書芸文志』にその名前が残されている医学書ですが、三国時代の戦乱により消失しました。晋代に皇甫謐(214-282年)は自分が発見した『素問』と『鍼経』(『霊枢』)それぞれ九巻が『黄帝内経』であると主張し、現在はそれが通説となっています。


(ムガク)


No.43 中医学に対する批判の存在

2008-08-07 18:54:21 | 医学のはなし

現在の東洋医学を代表するものの一つに中医学というものがあります。中国政府の積極的な研究奨励、保護、人材育成があり、また世界各地へと輸出され、日本漢方や鍼灸とは比較にならない大きな力を持っています。


この中医学は診療科目が内科、外科、婦人科、小児科など分類されている特徴をもっていますが、それ以上に医学理論が体系だっていることが特徴です。


この中医学に対して批判が存在します。そのうちの一つが、理論どおりそのまま治療を施しても治癒率が高くない。他の種類の治療法に切り替えたら治癒率が上がった。それ故、理論的過ぎる中医学は現実的ではない、というような批判です。さてこのような批判は妥当なものなのでしょうか。


そもそも中医学とは文化大革命以降に新しく創られた(まだ半世紀ほどの)医学です。それは伝統的な中国文明特有の医学をマルクス・レーニン主義の篩を通して創られたものです。その新しく創られた医学理論は正しいと言えるでしょうか。毛沢東(1893-1976年)は以下のように言っています。


「人間の正しい思想は、社会的実践のなかからだけ、くる。…無数の客観外界の現象は、人間の眼・耳・鼻・舌・身という五官をつうじて、自己の頭脳に反映し、はじめは感性認識となる。この感性認識の材料がたくさん蓄積されると、一つの飛躍が生じ、理性認識にかわる。これが思想である。これは一つの認識過程である。


これは認識過程全体の第一の段階、すなわち客観物質から主観精神への段階、存在から思想への段階である。このときの精神・思想(理論・政策・計画・方法をふくむ)が客観外界の法則を正しく反映しているか、どうかは、まだ証明されていないし、正しいかどうかも確定できない。


しかしさらに認識過程の第二の段階、すなわち精神から物質への段階、思想から存在への段階がある。これが、第一の段階で得た認識を社会的実践にもちこみ、これらの理論・政策・計画・方法などが所期の成功をおさめうるかどうかをためすのである。一般的に言って、成功したものは正しく、失敗したものはまちがっている。…人間の認識は実践という試練を経て、さらに一つの飛躍を生む。


…この飛躍だけが、認識の最初の飛躍、すなわち客観外界の反映過程から得た思想・理論・政策・方法などが、けっきょく正しかったか、まちがっていたかを証明でき、これ以外に真理を検証する方法はないからである。」(毛沢東『人間の正しい思想はどこからくるか』安藤彦太郎訳、より)


つまり中医学の理論は、つくられた当初は、正しいか否かは大した問題ではありませんでした。現在は実践を行っている途上のようですね。


「はじめにきめた思想・理論・計画・方策では、部分的にせよ全面的にせよ実際に合わず、部分的にまちがうことも全面的にまちがうこともある、…多くのばあい、何度も失敗をくりかえして、はじめてまちがった認識をただし、客観過程の法則性との合致に到達でき、したがって主観的なものを客観的なものに変える。


すなわち予期された結果を実践のなかで得ることができるようになるものである。だが、いずれにせよ、ここまできたとき、ある発展段階におけるある客観過程についての人間の認識運動は完成したことになるのである。」(毛沢東『実践論』より)


このような思想的背景により生まれた中医学は理論的と批判することは妥当ではないと思います。もし批判するのであれば、適切に実践を行い適切に飛躍をしているか否か、という点になるのでしょうか。それを国家の責任とするか、実践を行う医療者各々の責任とするか、それとも両方であるかは一つの問題です。


ちなみにこの思想(これを唯物論的弁証法と呼びますが)は日本の昭和時代における伝統医学界にも影響を与えました。その影響を受けた一人が鍼灸界の巨人、柳谷素霊です。


(ムガク)


No.36 二重盲検法と鍼灸有効性の評価(その2)

2008-05-26 19:31:44 | 医学のはなし

鍼灸有効性の評価に薬物などを評価する二重盲検法を利用することは可能なのでしょうか。


そもそも二重盲検法とは心の働きを極力排除しようとする試験方法です。その思想は唯物論哲学に基づいています。これは心を持たないようにみえる薬のような物質を評価するには適しています。しかし鍼灸の有効性を評価する場合は、金属で出来た鍼と、蓬からできた艾という物質を評価するわけではありません。


何を評価するかというと、心をもった人が心をもった人に鍼と灸を介して関係をもつ、その行為を評価するわけです。


プラセボ効果は心理的に発生することがありますし、そうでない場合も考えられます。プラセボ効果を起こしたものが何であるか見つけようとするときには、そこに意識の指向性が働きます。各人の注目するものによってプラセボはプラセボではなくなります。


伝統医学というものは「五臓と心」の関係ように物質と心というものを切っても切り離せないものとして捉えています。身体を鍼灸で治療しようとすることは同時に心にも働きかけているのです。


そしてここに矛盾が生じます。心が関係するものから心を排除する評価法は適当ではありません。


それはカウンセラーとクライアントが関係する心理カウンセリングを二重盲検法で評価することが不可能なようなものです。また外科手術の評価が治療成績というもので表されるように、鍼灸有効性の評価は二重盲検法とは別の手段が必要なようです。


(ムガク)


No.34 二重盲検法と鍼灸有効性の評価(その1)

2008-05-13 20:35:40 | 医学のはなし

新しい医薬品を世に送り出す場合、その開発において非臨床試験と臨床試験の二段階を通過する必要があります。。前者は試験管等の非生体におけるものや人以外の動物を使ったものであり、後者は健康な人そして目的の病気をもった人を対象とした試験です。この試験を通過して有効性が有害性より優ると評価されると、医薬品として世に出回ることが出来るようになります。ただ一度医薬品と認められても、安全性や有効性はその後も評価されます。この評価が悪いとその医薬品は姿を消していきます。


二重盲検法という手法は、ある目的の病気にその薬が有効であるか比較試験をするときに用いられます(臨床第3相試験)。これにはその評価する薬とプラセボ(偽薬)の2種類を用意します。そして薬を投与し評価する側も患者もそれがどちらであるか隠されて、第三者のみが分かるようにしておきます。これにより「これは薬だから効くはず」とか「これはプラセボだから効かない」という思い込み(バイアス)による評価が排除されます。


なおプラセボ効果は心理的に起きるとは限りません。信じる信じないに関わらずその効果が現れるからです。またその人が信じているということは科学的に測定できません。


この二重盲検法は薬という物質を評価するにはとても有効な手法です。しかしそれでも臨床試験にバイアスというものは入り込んできます。例えば製薬企業が資金提供した臨床試験ではその結果が製薬企業に有利に解釈されると報告されています。(註1)


現在、鍼灸の有効性を科学的に実証しようとする動きがあります。そしてその時避けて通れないのが臨床試験です。ただし実証とは須らく純粋経験に負うべきものであり、それは個人的なものです。それを科学的にしたいと望むと統計学が関わってきます。


はたして鍼灸の有効性の評価に二重盲検法は利用できるのでしょうか。


(註1)スペインLa Fe小児病院のAntonio Nieto氏、Arch Intern Med誌2007年10月22日号


(ムガク)