はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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養生一言(3)

2017-06-26 18:53:06 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

人の学ばずして能くする所の者は、其の良能なり。

慮らずして知る所の者は、その良知なり。

(『孟子』』「盡心上」より)

学ばなくても、できる、それが「良能」と呼ばれるもので、

考えなくても、知る、それが「良知」と呼ばれているものです。

人には、生まれながらにして、この「良知良能」が備わっています。

人の生まれるや柔弱なり。其の死するや堅強なり。

(『老子』「七十六章」より)

生まれたばかり、赤ちゃんの頃は、だれでも柔らかいものです。

そして、死ぬと硬直してしまいます。

だから、身体も心も柔らかく保つことが大切です。

でも、柔弱は、力ない豆腐のような柔らかさではありません。

剛を制する、力強さをもった柔軟性が必要のようですね。

恭しければ則ち寿し。

(『古詩源』「帶銘」より)

いろいろと養生法がありますが、態度というものも大切です。

恭しく、謙虚に、小さなことにも配慮を怠らないこと、それが長寿の秘訣です。

心和し気平らかなる者は、百福自ずから集まる。

(『菜根譚』「前集二百九」より)

心が和かで、気持ちが平静であれば、

自然と、たくさんの幸せが集まってきます。

病は以て身を保つべし。

(『菜根譚』「後集百十九」より)

人は、病気があるからこそ、身体を健康に保ちたいと思います。

それは、死があるからこそ、生を大切にするように。

人の霊は

水にも似たるかな

空より来たり、

空へ昇る。

再びくだっては

大地にもどり、

永久に変わりてやまず。

(ゲーテ『ゲーテ格言集』「水上の精の歌」高橋健二訳より)

冥冥に視、無声に聴く。

(『荘子』「外篇天地」より)

目に見えないものを視る。

声しないものを聴く。

鍼灸医学でも、これらは大切なことです。

病の本質、予兆などは、たいてい目に見えません。

身体からの声、メッセージなどは耳では聞こえません。

治療は、それらを観て、聴いて、それから行うことが必要です。

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養生一言(2)

2017-06-21 10:31:33 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

服食を神仙に求れば、多く薬の誤る所と為す。

(『雑書』「古詩」より)

昔の話、

神仙家、仙人になって不老長生を望む人は、その手段を食べ物に求めました。

さまざまな神仙薬、丹薬が生まれ、

秦の始皇帝も、水銀を含む薬を服用していたという説があります。

でも、不老長寿を求めても、薬によって逆に病気になったり命を落としたりすることが多かったのです。

現代では、健康、健康寿命が求められています。

その一方で、テレビや新聞、雑誌などで、健康食品や薬の宣伝が活発です。

食事や薬は大切なものなので、

昔のあやまちを繰り返さないように、服用する前に、よく考えたほうが良さそうですね。

 
生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味をもっているに違いない。
苦悩が生命に何らかの形で属しているならば、また運命も死もそうである。
苦難と死は人間の実在を始めて一つの全体にするのである!

(V.E.フランクル『夜と霧』霜山徳爾訳より)

人は、人が人として扱われることがなかった、第二次世界大戦中のアウシュビッツにおいてですら、人として生きることを選択する自由を持つことができました。

現代でも、周辺国家がどのように行動するか不安な時代でも、未来が見えづらい社会の中でも、就職や仕事が大変でも、家庭に問題があっても、病気を抱えていても、どんな苦悩を抱えていても、私たちは人間らしく生きていくことができるようですね。

聖人は已病を治さずして未病を治す。

(『黄帝内経素問』「四気調神大論」より)

聖人は、病気になった後ではなく、なる前に治める、ということです。

喉が渇いてから、井戸を掘る、戦闘が始まってから、武器を作るのでは遅いのです。

聖人は、病気にならないように生きていくのですね。

生まれついて人間には四つの敵がある。
恐れ、明晰さ、力、そして老いの四つだ。恐れにも、明晰さにも、力にも、打ち勝つことはできる。
だが、寄る年波には誰も勝てない。
なんとか先延ばしにすることはできても、老いをやっつけることなど絶対にできない。

(カルロス・カスタネダ『時の輪』、『呪術師と私』北山耕平訳より)

古代メキシコのシャーマン、ドン・ファンの教えの一つです。

老化。

若い頃は、それについて全然考えることはなくても、日々、感じられてくるものです。

老化も死も避けることができないものですが、それ以外の敵には打ち勝つことができます。

恐れや力は敵になりますが、明晰さもそうなるのですね。 

 
志は、気の帥なり。

(『孟子』「公孫丑上」より)

東洋医学では、「気」の思想が重要な役割を果たしています。

身体に流れているもの、身体を構成しているもの、身体と宇宙とつなげているもの、宇宙そのものも気で作られている。

(と、考えられています)

それを統率しているのが、人の志なのですね。

自然の研究者は自然をねじ伏せようとしてはいけない。
自然をして自然のおもむく所におもむかしめるように導けばよい。
そうして自然自身をして自然を研究させ、自然の神秘を物語らせればよい。

(寺田寅彦『寺田寅彦随筆集』三より)

病気の時にもあてはまりますね。

医学者も自然の研究者の一員です。治療には、その原因や要因、機序を考え明らかにしていくことが必要です。

でも、時にはその必要もありますが、病気をねじ伏せなくてもよいのです。

たいていが、自然に治癒するように導いてあげるだけで十分です。

身体に、自然の神秘を物語らせればよいです。

心を養うは寡欲より善きはなし。

(『孟子』「盡心下」より)

無欲、ではないのですね。欲がまったくなかったら生きていけませんから。

欲望は少なく、が良いようです。

食べ過ぎない、飲み過ぎない、寝過ぎない、遊び過ぎない、怠け過ぎない・・・。

 

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養生一言(1)

2017-06-19 10:44:31 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

調身・調息・調心

調身・調息・調心は、座禅を行う時の基本で、
調身は、座る時の姿勢(端座法)
調息は、呼吸方(丹田呼吸)
調心は、心を調えること(数息観・只管打坐など)
と言われていますけど、病気の治療や、子供の成長にとっても、非常に大切なものです。
現代社会の生活の中で、それらが乱れてしまっているのに、それに自分では全然気づいていなかった、
ということが、結構あるものです。
こまめに、調身・調息・調心を意識してみると、心身を良い方向へ変化させていくことができますよ。
 
 
障害と力くらべするとき、人間はおのれを発見する。
しかし、障害にぶつかるためには、人間には道具が必要だ。
 
(サン=テグジュペリ『人間の大地』山崎庸一郎訳より)

サン=テグジュペリは、大工にとっては鉋(かんな)、農夫にとっては鋤(すき)が必要だと言いました。
東洋医学に関わる者にとっては、鍼(はり)と艾(もぐさ)が必要です。
あと、漢方薬と、何より、知識と知恵が必要ですね。
病気や障害で苦しむ私たちにとって必要なものは何でしょう。
自分に合ったものを見つけたいですね。
 
 
志は満たすべからず、楽しみは極むべからず。
 
(『礼記』「曲禮上」より)

志も、楽しみも、人が人らしく生きていくために、とっても重要なものですよね。
でも、それらを満たしたり、極めたりしてはいけない、と『礼記』にあります。
そうなった時は、人としての成長や人生が終わってしまうから、かもしれません。
極められるような、簡単なものではなく、遠大で、継続的な人生の目的を持つのが良さそうですね。
子供の時も、退職した後も、一生懸命に働いている時にも、考えさせられる言葉です。
 
 
人を玩べば徳を喪い、物を玩べば志を喪う。
 
(『書経』「旅獒」より)

現代の、人口過密、物質過多社会は、一昔前の王侯貴族の生活に似ている所があるかもしれません。
こんなにも、人が多くなって、物が多くなると、一人の、一つの物の価値を低く感じてしまうものです。
それでも、一人一人を大切に、一つ一つを大事にしていくことが、人間にとって必要なことなんでしょうね。
 
 
風邪は経過するもの

頭を使い過ぎて頭が風邪を引く。消化器に余分な負担をかけた後でも風邪を引く。
腎臓のはたらきを余分にした後でも風邪を引く。
とにかく体のどこかに偏り運動がおこなわれ、働かせ過ぎた処ができると風邪を引く。
だから飲み過ぎて絶えず肝臓を腫らしている人は肝臓系統の風邪を引く。
ふだん余分に栄養物を摂って腎臓を腫らしている人は腎臓系統の風邪を引く。
しょっちゅう心配している人は神経系統の風邪を引く。
そうやってそれぞれその人なりの風邪を引くと、その偏って疲れている処がまず弾力性を恢復してきて、風邪を経過した後は弾力のあるピッチリした体になる。
だから風邪というものは治療するのではなくて、経過するものでなくてはならない。
 
(野口晴哉『風邪の効用』より)

人の身体には、自分で自分を調えよう、治そうとするはたらきがあります。つらい症状や心配な症状があると、ついついそれを抑えてしまおうとする欲求がでてきてしまいますが、自分の自然治癒力を信じて、経過させることは、とても大切なことです。
でも経過させるにしても、ただ信じるだけではなく、自分の身体の性質、状態をふだんからよく知っておく必要がありそうです。
自覚的に、他覚的に、わかる人に聞くのも一つの手ですね。
 
 
学ぶとは、知識や技術を単に増やすことではなく、根本的に新しい経験や考えを全人格的に受けとめていくことをとおして、その人格が再創造されることなのである。
 
(ミルトン・メイヤロフ『ケアの本質』田村真・向野宣之訳)

病気になったり、つらい症状を持つ機会に恵まれると、健康な時には考えもつかなかったことを学ぶことができます。
いろんな痛みや不快感だけでなく、なんとも言えない独特の感覚、感情、医学的知識、治療法やその経過、回復したときの喜び、爽快感など・・・。
でも、その学ぶことの本質は、「人格の再創造」なんでしょうね。
苦しみを知ると、他の人の苦しみを理解することができます。自分の弱さを知ると、より弱っている人の力になるために、強くあろうとします。
病気の時に何を学ぶか。大切な人生の分岐路です。
 
 
真人の息は踵を以てし、衆人の息は喉を以てす。
 
(『荘子』「内篇・大宗師」より)

真人と呼ばれる人の呼吸は、深い、踵から身体全体を使ってするもので、衆人の呼吸は喉を使った浅いものである、ということです。
腹式呼吸とか丹田呼吸などと呼ばれる呼吸法、調息法があります。
お腹や丹田を動かして呼吸することを意識しすぎると、胸とか他の部位を、無意識的に、動かさないように力をいれてしまうことがあります。
でも、そうすると、浅い呼吸と同じように、逆効果です。
本当の呼吸は、身体全体を柔軟に使って行うものなのですね。
 

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紫陽花に気をつけて

2017-06-05 17:57:06 | 雑記

六月に入り、あちこちで紫陽花が咲き始めてきましたね。

 

色々な彩りで目を楽しませてくれます。

 

 紫陽花は、『万葉集』でも歌われている、歴史の長い鑑賞花です。

あぢさゐの やへさくごとく やつよにを いませわがせこ みつつしぬばむ

もとは「味狭藍」と書かれています。

またの名を、「八仙花」、「綉球花」とも言い、あまり知られていませんが、薬として使われることがあります。

中医学的に、抗虐薬や心臓病などに用いられることがあります。(『現代実用中薬』)

成分としては、

Febrifugine, Skimmin, Lunularic acid, Hydrangeie acid, Hydrangenol, Umbelliferone, Daphnetin, Rutin,

などが知られています。

薬として使われるということは、もちろん毒もあり、

毒があるので、間違って口にしないように注意しましょう。

食中毒の原因となることもありますよ。

 

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