はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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江戸時代の医学―結核をもたらす虫(5)―

2010-11-30 18:39:48 | 江戸時代の医学

 Photo そうそう江戸時代はエキノコックスの感染症を勞瘵と呼ぶこともあったでしょうが、肺吸虫によってひき起こされる肺ジストマ症もそう呼んでいたかもしれませんね。この感染症も咳や血痰がでます。やはりこの虫も成長すると1cmくらいになるので肉眼で観察できます。


 さて今回ご紹介するのは第五代の蟲です。


 これらの蟲は壬癸の日に行動し、肝兪穴というツボにひそみこみます。それ故治療はそのツボと周囲に灸をすえて、蟲を出したら肝を補う治療を加えました。


 ねずみような蟲、足のないまた頭のない蟲、血のようなアメーバのような蟲が描かれていますね。


 昔の人は考えました。結核になって便や吐瀉物を見て何か普段あるものと別のものが入っていたらそれが結核の原因なんだろうと。または病気は虫が原因であると信じていたので、何でもないものを虫として捉えてしまったかもしれません。


 あるいはエビやカニ、蛙などを食べた後に、病気になったらそれらに似た虫が原因であると推測したのかもしれません。


 でも顕微鏡の普及とそれによる研究が進み、1882年にドイツのコッホにより結核菌が結核の病原体であることが証明されると、今まで虫と呼んでいたものの形を知る事ができました。
 
 そして今度は結核菌によって起こる病気に結核という病名がつけられるようになりました。病気の名前の付け方が変わったのです。


つづく


(ムガク)


江戸時代の医学―結核をもたらす虫(4)―

2010-11-25 18:59:50 | 江戸時代の医学

Photo  今回ご紹介するのは第四代の蟲です。


 これらの蟲は己巳の日に行動し、脾兪穴というツボにひそみこみます。それ故治療はそのツボと周囲に灸をすえて、蟲を出したら脾を補う治療を加えました。


 糸が絡まったような蟲、豚の肺ような蟲、マムシのような蟲が描かれていますね。


 そうそう結核の昔の名前、勞瘵と傳尸病は正確には異なります。勞瘵は疲れ果て、やせ細り、咳が続き喀血します。傳尸病は勞瘵のうちの一つで、三尸虫という腹の中にいる虫が臓腑を食べることで起き、一家親類中に伝染すると考えられていました。


 この三尸虫とはもともとは道教の思想で、お腹の中に住んでいる虫のことで庚申の日に天に昇ってその人の罪を寿命をつかさどる神様に知らせます。人々はその虫を薬で下そうとしたり、庚申の日は徹夜で虫が天に昇らないように見張ったりしました。そんな庚申信仰により日本のいたるところに庚申塚が建てられたのは江戸時代のことです。


 現在では結核は結核菌によってひき起こされることが常識ですが、勞瘵がすべて結核菌によってひき起こされるとは限りません。


 たとえばエキノコックスという寄生虫は成長すると1cmくらいになることもあり肉眼で見ることができます。この虫による感染症も咳嗽や喀血することがあるので当時は勞瘵と呼んでいたことでしょうね。


つづく


(ムガク)


江戸時代の医学―結核をもたらす虫(3)―

2010-11-20 18:21:39 | 江戸時代の医学

Photo

 今回ご紹介するのは第三代の蟲です。


 これらの蟲は庚寅の日に行動し、肝兪穴というツボにひそみこみます。それ故治療はそのツボと周囲に灸をすえて、蟲を出したら気を補う治療を加えると大抵は治ると言われていました。


 蚊や蟻のような蟲、コガネムシのような甲虫、ハリネズミのような蟲が描かれていますね。


 何となく分かってきたと思いますが、当時の蟲というのは生物学的な昆虫などの節足動物や寄生虫などの冠輪動物だけではありません。


人体に入り込み悪さをすると考えられるものに蟲という名前をつけたのです。


しかしながら本当の蟲の形を知ることはできず、推測するしかありませんでした。


なぜなら、まだそれを観察する手段がなかったからです。


つづく


(ムガク)


江戸時代の医学―結核をもたらす虫(2)―

2010-11-13 17:13:42 | 江戸時代の医学

 Photo 江戸時代に考えられていた、しかしそれも明代の中国の文献が由来ですが、結核をもたらす蟲には色々な形がありました。なぜ色々形があるのでしょうか。それは飲食や酒色、憂思によって眞気を失い虫が蟲に変化するのだが、情志の凝結する場所によって種々の異形異色をなすのであると考えられていました。


 今回ご紹介するのは第二代の蟲です。


 髪の毛のような蟲、ムカデやヤモリのような蟲、エビやカニのような蟲ですね。


 これらの蟲は庚申の日に食起酔て肺兪穴の中に帰るので、治療はそこと周囲四穴に灸をすることです。ちなみに前回の第一代の蟲は丙丁の日に行動すると考えられていました。灸をした後、蟲が出てきたら肺を補うような内服薬を投与します。


 どのように蟲が出てくるのを確認したのでしょうね。この場合は困難です。


 しかし病をひき起こすものが明らかに蟲であると断言できたものがあります。それは回虫などの寄生虫、ツツガムシや毒をもつ昆虫、蜂や蛾や毛虫などによる病です。これら肉眼で観察できる虫や噛まれた直後に症状が出るものは、これらが病の原因であると考えられました。そして昔の人は推測しました。


 結核も虫がひき起こしているのではないか、と…


つづく


(ムガク)


江戸時代の医学-結核をもたらす虫(1)-

2010-11-10 20:06:01 | 江戸時代の医学

 Photo今でこそ結核は結核菌によって起こり、抗結核薬によって(耐性菌でないものは)以前と比べて手軽に治療できるものとなりました。しかし江戸時代には癆瘵とも傳尸病とも呼ばれ、体内に悪蟲を生じることで次々に伝染して家門を滅すと恐れられていました。この悪い虫、癆蟲とも傳死蟲とも呼ばれていましたが、どのように生ずるのか。それは一説には心陽が不足して湿を生じ腎陰が不足して熱を生じ、湿熱濁悪の気より痰と瘀血とを薫蒸して虫となり変化して蟲の形を為すと考えられていました。



 この蟲の形、種類が結構あり、見た目もとても面白いのでこれから数回に分けてご紹介しましょう。



蟲は大きく6種類に分類されています。今回は第一代のもの。 この第一代は心を傷ります。治療は心兪穴と上下に四華の様にお灸をすることです。これらは背中の肩甲骨の内側にあるツボのこと。




二つは人型ですけど一つは蛙型ですね。本当に肉眼でこんな蟲を見たわけではないのでしょう。なぜ結核という病が発生し伝染するのか、それを説明しようと努力した結果です。



なぜ病を蟲のせいにしたのか。それには理由があります。



つづく


(ムガク)