はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

伝統医学・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師・・

養生一言(14)

2017-09-29 16:25:16 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

ヒゲ長く 腰曲るまで いきたくば 背と三里に 煙たやすな

(沢庵禅師)

鍼をさすは

気血の滞りをめぐらし

腹中の積をちらし

足の頑痺をのぞく

(貝原益軒『養生訓』「鍼」より)

灸すべき所をえらんで、要穴に灸すべし。

みだりに処多く灸せば、気血をへらさん。

(貝原益軒『養生訓』「灸法」より)

お灸する場所は、する必要ある所に、適切な数だけしましょう。

健康であるということは…

喜びと苦しみの中にあって生命を感じうること…

(イヴァン・イリッチ『脱病院化社会』「文化的医原病」金子嗣郎訳より)

自分を征服できない人に限って、

思い上がって他人の意志を自分の思い通りにしようとするのですから……

(ゲーテ『ファウスト』高橋義孝訳より)

自然の力で治ってゆくのを医者は監督しているに過ぎぬと医者は云うが、

そんなバカげた医学があるものですか。

(代田文誌『鍼灸真髄』より)

明治から昭和にかけての鍼灸の名手、沢田健の言葉。

人に自然治癒力があるからといって、ただ見守っているだけでは、医学でもなんでもありません。

時には積極的な働きかけが必要です。

病あるときに、或は薬を服し、或はくさぐさのわざをしてこれを治むるも、又みな神の御しわざ也、…

神のみたまによりて病は治まる也。

(本居宣長『答問録』より)

今まで健康だったのに、突然難病に苦しむことがあります。

他の人には効いた薬や治療法が自分には効果がなくて悩むことがあります。

いくら考えても、自分が悪くなく、病になった理由を思いつかないときがあるものです。

そういうときは、自分を責めなくて良いのです。

今日の一言

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養生一言(13)

2017-09-27 10:27:45 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

文明。それに比べれば、死はさしたることではない。

われわれは星に向かって消えた音楽である。

(サン=テグジュペリ『手帖』より)

徳とは一種の健康であり、美であり、魂のよい在り方である。

(プラトン『国家』より)

恬憺虚無なれば、真気これに従い、精神内に守る。

病いずくんぞ従い来たらん。

(『黄帝内経素問』「上古天真論篇」より)

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラツテヰル

それは

丈夫ナカラダヲモツ

秘訣です。

若し人、心神快からざれば、そのとき茶を喫し、心蔵を調へ、万病を除愈すべし。

心の蔵快きときは、諸蔵病有りと雖も強く痛まざるなり。

(栄西『喫茶養生記』より)

病は口より入り、禍は口より出ず。

(『太平御覧』「人事」より)

口より出入りするものにご注意あれ。

すべての人間らしいあやまちを

清い人間性がつぐなう

(ゲーテ「クリューゲルへ、1827年3月31日、「イフィゲーニエ」について」高橋健二訳より)

五つの知恵

・からだは健康になりたがっている

・治癒は自然の力である

・からだはひとつの全体であり、すべての部分はひとつにつながっている

・こころとからだは分離できない

・治療家の信念が患者の治癒力に大きく影響する

(アンドルー・ワイル『癒す心、治る力』上野圭一訳より)

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養生一言(12)

2017-09-11 08:22:57 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

いいえ昨日はありません

今日を打つのは今日の時計

昨日の時計はありません

今日を打つのは今日の時計

 (『三好達治詩集』より)

日に一日を慎む

(『淮南子』「主衛訓」より)

百戦百勝は、善の善なるものに非ず。

戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。

(『孫子』「謀攻篇」より)

それは病と闘うときも。

老人病あらば、先ず食治すべし。

(貝原益軒『養生訓』「養老」より)

衰老の人は、薬治、鍼灸、導引、按摩を行ふにも、

にはかにいやさんとて、あらくすべからず。

あらくするは、是即効を求むる也。

たちまち禍となる事あり。

若当時快しとても後の害となる。

(貝原益軒『養生訓』「鍼」より)

限りある 露の身をもて はかりなく 胸ニまかセバ はやくこぼれん。

(曲直瀬道三『養生誹諧』より)

常の呼吸のいきは、ゆるやかにして、深く丹田に入るべし。急なるべからず。

(貝原益軒『養生訓』「総論下」より)

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養生一言(11)

2017-08-31 08:30:46 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

言語を慎んで以て其の徳を養い、

飲食を節して以て其の体を養う。

(朱熹『近思録』「存養篇」より)

『周易上経』「頤」にある

「君子は以て言語を慎み、飲食を節す」

の注釈。

音楽は、活力あふれる健康人には、それが自分の仕事でない限り、

ますます活力と生活の悦びとをもたらし、

活力のない病人には、悦びを与え、

また活力のないことに対する神経の苛立ちをぬぐい去ってくれる。

(フロレンス・ナイチンゲール『看護覚え書』より)

音楽のある生活、

いいですね。

沈黙を学べ、ああ我が友よ、

言葉は銀にも等しい、

だが時にかなった沈黙は純金だ。

(ベートーヴェン『音楽ノート』小松雄一郎訳より)

病むものは汝一人ならざるを知れ。

(内村鑑三『基督信徒の慰』より)

たがいに知りあうということは、

たがいに相手のことをなにもかも知りつくすということではなく、

たがいに愛と信頼とを抱きあい、

たがいに信じあうことである。

(シュヴァイツァー『生い立ちの記』国松孝二訳より)

心と身体についても同じことが言えそうですね。

仁を好みて学を好まざれば、其の蔽や愚なり。

(『論語』「陽貨篇」より)

思いやりがあり情け深い人は学問を好む必要があるようです。

愚かにふるまわないように。

古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。

(『ブッダのことば』中村元訳より)

伝統医学、漢方や鍼灸、

現代医学、東洋、西洋医学などに関しても同様かもしれませんね。

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養生一言(10)

2017-08-20 10:30:55 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

運も健康と同じように管理する必要がある。

好調な時には充分に楽しみ、

不調な時には気長にかまえ、

そしてよくよくの場合でない限り決して荒療治はしないことである。

(ラ・ロシュフコー『箴言集』二宮フサ訳より)

問曰、人間世第一にねがひもとむべきものは、何事ぞや。

答云、心の安楽に極れり。

問曰、人間世第一にいとひ捨べきものは、何事ぞや。

答云、心の苦痛より外はなし。

問曰、苦を去て楽を求る道はいかん。

答云、学問なり。

(中江藤樹『翁問答』より)

学問は惑の塵砂をあらいすてて、本体の安楽にかえる道である、と中江藤樹は云います。

妄心は心の病なり。

(柳生宗矩『兵法家伝書』より)

此妄心をさるを病気をさるといふ也。

此病気をされば、無病の心なり。

即ち此無病の心を本心と云ふ。

賢人なる者あり。

法は天地に則り、象は日月に似り、星辰に弁別し、

陰陽に逆従し、四時を分別す。

(『黄帝内経素問』「上古天真論」より)

賢人は、無為自然に生活をおくるのではありません。

時に則し、季節に合うように、身の回りを調えます。

暑い夏は涼しく、寒い冬は暖かく。

エアコンを使っても罪悪感をもたなくてもよいのです。

眼、それが絵筆だ。

(コリン・ウィルソン『アウトサイダーを超えて』中村保男訳より)

フランスの印象派の画家、セザンヌの言葉。

だれもが、自分の世界を自分の眼で描いています。

大都会の人ごみの中で孤独を感じることができるように、

誰もいない山奥で人のあたたかさを感じることもできる、

それが人間です。

静坐忘思

(曾慥『道枢』「修真指玄篇」より)

静かに座り、思うことを忘れる。

道元は「只管打坐」と謂いました。

何も考えない、本も読まない、ラジオも聞かず、テレビも見ない、スマホをいじらない、

ただ静かに座る、

毎日とりたい時間です。

わたしたちの心のなかに、

いのちの波はまだ脈々として生き続ける。

生命記憶の一つとして・・・。

(三木成夫『胎児の世界』より)

生命にも心にも、波があり、リズムがあります。

うまくサーフィンを楽しみましょう。

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養生一言(9)

2017-08-07 16:53:43 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

真実というものは、いつも人間の病気にきくわけじゃない・・・

真実さえあれば、いつでも魂の療治ができるというもんじゃあない・・・

(ゴーリキー『どん底』中村白葉訳より) 

正直が一番。

でも人間には、ときにはウソも必要です。

常に歩き、常に働くは、養性なるべし。

なんぞいたづらに休みをらん。人を悩ます、罪業なり。

(鴨長明『方丈記』より)

観の目つよく、見の目よわく、

遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也。

(宮本武蔵『五輪書』より)

木を見るときは、森も観ましょう。

患部を見るときに、全身も観るように。

心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。

かんじんなことは、目に見えないんだよ。

(サン=テグジュペリ『星の王子さま』内藤濯訳より)

寿ながければ辱多し

(『荘子』「天地篇」より)

古の聖人、堯の言葉。

長寿だからといって徳を養えるわけではない、と言いました。

それに対して荘子は、

命が長ければ自然の摂理にしたがって、自由気ままに生きたらよい、

と言います。

一、深くこの生を愛すべし

一、省みて己を知るべし

一、学芸を以って性を養ふべし

一、日日新面目あるべし

(会津八一「秋艸堂学規」より)

先掬ぶ 暁わくや つつ井づの 井づつの水は 薬とぞなる

(曲直瀬道三『養生誹諧』より)

まずむすぶ あかつきわくや つついづの いづつのみずは くすりとぞなる

朝に一すくいの水を飲むことは身体によいものです。

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養生一言(8)

2017-08-02 08:48:47 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラツテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジヨウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ陰ノ

小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ツテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ツテコハガラナクテモイイトイヒ

北ニケンクワヤソシヨウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボウトヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ

(『宮沢賢治詩集』「手帳より 十一月三日」より)

無病とも 心つかずに 無病なり

(平田篤胤『志都乃岩室(静の岩屋)』より) 

江戸時代の川柳です。

百病は気に於いて生ず。

(『黄帝内経素問』「挙痛論」より)

病は気から。

でも、その気とは、天地人の中にたくさんある、もう少し具体的な気、病の原因のこと。

どんな気で発病したか知るには、ふだんから心にアンテナを張っておきませんとね。

惻隠の心は、人皆これ有り。

羞悪の心は、人皆これ有り。

恭敬の心は、人皆これ有り。

是非の心は、人皆これ有り。

 

惻隠の心は仁なり。

羞悪の心は義なり。

恭敬の心は礼なり。

是非の心は智なり。

 

仁義礼智は、外より我を飾るに非ざるなり。

我固より之を有するなり。

思わざるのみ。

(『孟子』「告子章句上」より)

人間が禽獣と異なるのは、これらの大切な心があるためです。

人はだれでも、もともとそれらを持っているのに、気が付いていないのです。

少しお考えくだされば、あなたはきっと、今日の病気は明日の健康な状態なのであり、またその逆もありうるというあの考えが、もう一度あなたの心によみがえるのに気づかれるでしょう。

一見あれほどたくましく、呪わしいほど健康に見えるお金人間、機械人間がもう一世代のあいだ幸せに痴呆化を続けたならば、そのときには彼らはおそらく、彼らをふたたび美と秘密の世界へ案内してくれる医者や教師や芸術家や呪術師を雇って、高給を支払うことになるでしょう。

(ヘルマン・ヘッセ『庭仕事の愉しみ』「百日草」岡田朝雄訳より)

ヘッセの時代から一世代の後、現代はどのような状態なのでしょうか。

美と秘密の世界への入場料金はないのです。

何事もあまりよくせんとしていそげば、必あしくなる。病を治するも亦しかり。

(貝原益軒『養生訓』「総論下」より)

種をまき、水をやったら、あとは待つ。

苗を抜き、手入れし過ぎは、毒となるべし。

人間のほんとうの理性は、肉体と関係なく形成されるどころか、健全な肉体こそが、精神の働きを容易にし、確実にするのである。

(ルソー『エミール』戸部松実訳より)

障害を持っていても、健全な肉体であることはできます。

でも病気であるときに精神の働きを確実にするには努力が必要です。

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養生一言(7)

2017-07-23 12:19:38 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

医術とは、人間とはなんであるか、どんな原因によって生じるのか、その他のことをくわしく知ることである。

(ヒポクラテス『古い医術について』小川政恭訳より)

具体的な治療法を知ること、ではないのですね。

東洋医学、鍼灸医学も基本は同じです。

古典医学書の『黄帝内経』、『素問』や『霊枢』に書かれてある、中心的なことがらも、

これです。

養生する時、自分で自分を治療するときも、これを知っておく必要があります。

教育は、気づきの教育のみが可能であり、また価値がある。

(カレブ・ガテーニョ『赤ん坊の宇宙』土屋澄男訳より)

治療するから治癒するのではありません。

教育するから成長するのではないのと同様に。

志を以て言を発し、言を以て信を出だし、信を以て志を立つ。参は以て之を定む。

(『春秋左氏伝』「襄公二十七年」より)

身を定め立てるには、志、言、信、の三つがたいせつです。

ぼくはあなたに仕える「健康である幸福」です。

ぼくは一番美しいというものではないけれど、一番大事なものです。

(メーテルリンク『青い鳥』堀口大學訳より) 

これからはもうわたしがわかるでしょうね?

これは「清い空気の幸福」で、ほとんど透き通ってます。

それからこれが、「両親を愛する幸福」です。

灰色の着物をきて、いつも少し悲しそうです。

というのは、だれもこれを見てやらないからなんですよ。

これは「青空の幸福」で、もちろん青い色の着物を着てます。

次は「森の幸福」で、これももちろんのこと緑色の着物を着てます。

窓のところへ行けば、いつでもこれは見られるでしょう。

それからこれは「昼間の幸福」で、ダイアモンドのような色をしていますし、

「春の幸福」はエメラルド色をしています。

酒は百薬の長

(『漢書』「食貨志」より)

「漢」を滅ぼし、「新」を建国した王莽は、こう言って、お酒を専売制にしました。

いつの時代でも、専売にしたり、税金をかけたりするには、一応建前が必要です。

心置きなく、お酒をたしなむにも、理由があると助かりますね。

ほどほどに飲めば、お酒は健康に良いのです。

無病にして後の福を祈らんには、力(ツトメ)と倹(ツマシキ)との二ツを行うにしくはなし。

(平野重誠『病家須知』より)

勤勉と倹約。

「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

 灯台守がなぐさめていました。

「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」

(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より)

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養生一言(6)

2017-07-20 08:47:24 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

一利を興すは、一害を除くに若かず。

(『十八史略』「南宋 理宗」より)

良いことを一つ始めるより、今ある悪いことを一つやめることのほうが良い、

という、政治の言葉は、人の身体についても当てはまります。

ある薬で副作用が現われたとき、その症状をおさえる薬を新たに飲むのではなく、まず、その薬をやめることが必要であるように、

日々の生活の中でも、健康のために何か始めるとき、薬や健康食品を服用し始めるとき、

自分が、今、健康に悪いことをしていないか、悪いものは身近にないか、

思い返すことが必要かもしれませんね。

深く愛することのできる人だけが、同じように、深く悲しむことも経験できる。

(トルストイ『幼年時代』より)

悲しんでもいい。

泣いてもいい。

幸福の秘訣のひとつは自分自身の不機嫌に無関心でいることだ。

(アラン『幸福論』「ストイシズム」白井健三郎訳より)

不機嫌は、無視していると、犬が犬小屋に戻っていくように、動物的な生命力の中に戻って薄らぐものだ、

とアランは言います。

「わたしが満足しているのは暖まったからではない。満足しているから暖まるのだ」

死期は序を待たず。

死は、前よりしも来らず、かねて後に迫れり。

人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。

(兼好法師『徒然草』より)

花は半ば開くを看、酒は微かに酔うを飲む。

(洪自誠『菜根譚』「後集」より)

花見は半開、お酒はほろよい、

それがよろしい。

満開も、泥酔も、あと味の、趣き苦し。

みんなは、特急列車に乗りこむけど、いまではもう、なにをさがしてるのか、わからなくなってる。

だからみんなは、そわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ・・・。

(サン=テグジュペリ『星の王子さま』内藤濯訳より)

人間至る処青山有り

(僧月性『清狂遺稿 上』「将東游題壁」より)

男兒立志出郷關

學若無成不復還

埋骨何期墳墓地

人間到処有青山

男児志を立てて郷関を出づ

学若し成る無くんば復た還らず

骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん

人間到る処青山あり

スペンサー ジョンソン の『チーズはどこへ消えた?』にも同じような話がありましたね。

変化の前には勇気が必要です。

でも、どこへ行っても、青々とした美しい山があるものです。

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養生一言(5)

2017-07-10 12:00:16 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

皮膚という 薄い柔らかい

伸びちぢみ自由な 大小無数の穴によって

外界と通じ合っている

複雑きわまりない

ひとつの生きた袋の中に、

液体的なものがいっぱい入っていて、

その中に骨も内臓も浮かんでいる。

(野口三千三『原初生命体としての人間』より)

自分の身体に対するイメージ。

それが変わるだけで心身がいろいろと変化してきます。

多く蔵すれば、必ず厚く亡う。

(『老子』「四十四章」より)

お金も、物も、たくさん蓄えようとすると、それ以上のものを失うことがあります。

食事も、水も、おやつも、ジュースも、お酒も・・・

摂り過ぎに気をつけましょう。

自ら悪を作せば自ら穢れ、自ら悪を作さざれば自らが清し、

浄と不浄と共に己にあり、自ら他を清くすること能はず。

(『法句経』「自己品第十二」より)

自ら悪をなさば自ら汚れ、自ら悪をなさざれば自らが浄し、

浄きも浄からざるも自らのことなり、他者に依りて浄むることを得ず。

(「少林寺拳法、聖句」より)

武術には自己修養がたいせつです。

養生にもそれが言えますね。

どのように生きるか、自分で決めるべき時が必ずきます。

人間はガイアの一部でガイアと切り離すことはできないので、われわれの知性はガイアにとって新たな能力と力である代わりに、新たな危険でもあるのだ。

(ジェームズ・ラブロック『ガイアの復讐』竹村健一訳より)

レオナルド・ダ・ヴィンチも人体を地球の縮図とみなして、地球を人体の拡大モデルとみなしました。

天人相応。天人相関。

東洋哲学も、それにもとづく鍼灸医学、東洋医学も、基本は同じです。

人の身は父母を本とし、天地を初とす。

(貝原益軒『養生訓』より)

自分の身は、自分一人だけのものではない。

不養生して若死にでもすると、それは天地父母に対して不孝である、

と、益軒は言います。

長生きして、人倫の道を行い、喜び、楽しむことが大切です。

凡、薬と鍼灸を用るは、やむ事を得ざる下策なり。

飲食、色欲を慎しみ、起臥を時にして、養生をよくすれば病なし。

(貝原益軒『養生訓』より)

薬も鍼灸だけでなく、導引も按摩も同様です。

病気でもないときに、みだりに治療をおこなうことは上策ではありません。

まずは、朝夕歩き、労働して、座り、寝てばかりいることを避けること。

その上で、具合の良くないときは、治療の当否をよく知って選ぶことが大切です。

養気は医の至道なり。

(本居宣長「送藤文與還肥序」より)

気を養うこと、それが医療の至道である、

と宣長は言います。

どのように気を養うのか、

食べ過ぎない、

身体を動かして、でも、やり過ぎない。

思慮は常に少なく、

これが原則。

湯熨鍼灸(薬や鍼灸)は、あくまで真気を補助する治療法です。

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養生一言(4)

2017-07-02 13:14:19 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

自分の生命を愛しても憎んでもいけない。

だが生きている限りは生命を大切にするがよい。

長く生きるか短命に終わるかは、天に委ねるがよい。

(ミルトン『失楽園』平井正穂訳より)

主人は好んで病気をして喜んでいるけれど、死ぬのは大きらいである。

死なない程度において病気という一種のぜいたくがしていたいのである。

(夏目漱石『吾輩は猫である』より)

意識とは、あったこととあるだろうこととの間を結ぶ連結線であり、過去と未来をつなぐかけ橋である。

(ベルクソン『哲学的直観ほか』「意識と生命-1911年5月29日 バーミンガム大学におけるハクスリ記念講演」 池辺義教訳より)

健やかに生活するには、身体だけでなく、心も大切です。

痛みや苦しみを感じることは、意識の働きのひとつです。

病気になる前も、なった後も、治った後も、意識によってそれを認識しているのですね。

過去は死んだ歴史ではない。過去は、人間が自分自身をつくりだし、将来を建設する生きた材料である。

(ルネ・デュボス『人間であるために』野島徳吉 遠藤三喜子共訳より)

人が人らしく生きていくために、前を見て、目標に向かって進んでいく必要があります。

でも、それを達成するには、後ろを見ることも必要のようですね。

生物学とは、「地球とそこに棲む生命の現在、過去、未来にわたる歴史」と定義できる。

(レイチェル・カーソン『レイチェル・カーソン遺稿集 失われた森』古草秀子訳より)

生物学を歴史と定義するなんておもしろいですね。

でも、確かに的を射た定義です。

人間も生物。東洋医学に携わるものも、それらを学ぶ必要がありそうです。

歴史の大半は推測であり、残りは偏見だ。

(ウィル・デュラント/アリエル・デュラント『歴史の対局を見渡す』、Durant,Our Oriental Heritage,12 小巻靖子訳より)

歴史とは人の意識によって紡がれた過去の物語、とも言えるでしょうね。

尽く書を信ずれば、則ち書なきにしかず。

(『孟子』「盡心下」より)

なんでもかんでも『書経』に書いてあることを信じるのなら、『書経』はないほうがましである、という意味です。

ちまたは様々な本であふれかえっていますね。

歴史、経済、小説、芸術、漫画、医学や健康に関する書なども。

書の中には、現代の政治家がつくような故意によるウソだけではなく、良心的な誤り、誤解をまねく言葉も含まれています。

読書の際は、注意して、自分の頭を使って読む必要がありそうですね。

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養生一言(3)

2017-06-26 18:53:06 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

人の学ばずして能くする所の者は、其の良能なり。

慮らずして知る所の者は、その良知なり。

(『孟子』』「盡心上」より)

学ばなくても、できる、それが「良能」と呼ばれるもので、

考えなくても、知る、それが「良知」と呼ばれているものです。

人には、生まれながらにして、この「良知良能」が備わっています。

人の生まれるや柔弱なり。其の死するや堅強なり。

(『老子』「七十六章」より)

生まれたばかり、赤ちゃんの頃は、だれでも柔らかいものです。

そして、死ぬと硬直してしまいます。

だから、身体も心も柔らかく保つことが大切です。

でも、柔弱は、力ない豆腐のような柔らかさではありません。

剛を制する、力強さをもった柔軟性が必要のようですね。

恭しければ則ち寿し。

(『古詩源』「帶銘」より)

いろいろと養生法がありますが、態度というものも大切です。

恭しく、謙虚に、小さなことにも配慮を怠らないこと、それが長寿の秘訣です。

心和し気平らかなる者は、百福自ずから集まる。

(『菜根譚』「前集二百九」より)

心が和かで、気持ちが平静であれば、

自然と、たくさんの幸せが集まってきます。

病は以て身を保つべし。

(『菜根譚』「後集百十九」より)

人は、病気があるからこそ、身体を健康に保ちたいと思います。

それは、死があるからこそ、生を大切にするように。

人の霊は

水にも似たるかな

空より来たり、

空へ昇る。

再びくだっては

大地にもどり、

永久に変わりてやまず。

(ゲーテ『ゲーテ格言集』「水上の精の歌」高橋健二訳より)

冥冥に視、無声に聴く。

(『荘子』「外篇天地」より)

目に見えないものを視る。

声しないものを聴く。

鍼灸医学でも、これらは大切なことです。

病の本質、予兆などは、たいてい目に見えません。

身体からの声、メッセージなどは耳では聞こえません。

治療は、それらを観て、聴いて、それから行うことが必要です。

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養生一言(2)

2017-06-21 10:31:33 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

服食を神仙に求れば、多く薬の誤る所と為す。

(『雑書』「古詩」より)

昔の話、

神仙家、仙人になって不老長生を望む人は、その手段を食べ物に求めました。

さまざまな神仙薬、丹薬が生まれ、

秦の始皇帝も、水銀を含む薬を服用していたという説があります。

でも、不老長寿を求めても、薬によって逆に病気になったり命を落としたりすることが多かったのです。

現代では、健康、健康寿命が求められています。

その一方で、テレビや新聞、雑誌などで、健康食品や薬の宣伝が活発です。

食事や薬は大切なものなので、

昔のあやまちを繰り返さないように、服用する前に、よく考えたほうが良さそうですね。

 
生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味をもっているに違いない。
苦悩が生命に何らかの形で属しているならば、また運命も死もそうである。
苦難と死は人間の実在を始めて一つの全体にするのである!

(V.E.フランクル『夜と霧』霜山徳爾訳より)

人は、人が人として扱われることがなかった、第二次世界大戦中のアウシュビッツにおいてですら、人として生きることを選択する自由を持つことができました。

現代でも、周辺国家がどのように行動するか不安な時代でも、未来が見えづらい社会の中でも、就職や仕事が大変でも、家庭に問題があっても、病気を抱えていても、どんな苦悩を抱えていても、私たちは人間らしく生きていくことができるようですね。

聖人は已病を治さずして未病を治す。

(『黄帝内経素問』「四気調神大論」より)

聖人は、病気になった後ではなく、なる前に治める、ということです。

喉が渇いてから、井戸を掘る、戦闘が始まってから、武器を作るのでは遅いのです。

聖人は、病気にならないように生きていくのですね。

生まれついて人間には四つの敵がある。
恐れ、明晰さ、力、そして老いの四つだ。恐れにも、明晰さにも、力にも、打ち勝つことはできる。
だが、寄る年波には誰も勝てない。
なんとか先延ばしにすることはできても、老いをやっつけることなど絶対にできない。

(カルロス・カスタネダ『時の輪』、『呪術師と私』北山耕平訳より)

古代メキシコのシャーマン、ドン・ファンの教えの一つです。

老化。

若い頃は、それについて全然考えることはなくても、日々、感じられてくるものです。

老化も死も避けることができないものですが、それ以外の敵には打ち勝つことができます。

恐れや力は敵になりますが、明晰さもそうなるのですね。 

 
志は、気の帥なり。

(『孟子』「公孫丑上」より)

東洋医学では、「気」の思想が重要な役割を果たしています。

身体に流れているもの、身体を構成しているもの、身体と宇宙とつなげているもの、宇宙そのものも気で作られている。

(と、考えられています)

それを統率しているのが、人の志なのですね。

自然の研究者は自然をねじ伏せようとしてはいけない。
自然をして自然のおもむく所におもむかしめるように導けばよい。
そうして自然自身をして自然を研究させ、自然の神秘を物語らせればよい。

(寺田寅彦『寺田寅彦随筆集』三より)

病気の時にもあてはまりますね。

医学者も自然の研究者の一員です。治療には、その原因や要因、機序を考え明らかにしていくことが必要です。

でも、時にはその必要もありますが、病気をねじ伏せなくてもよいのです。

たいていが、自然に治癒するように導いてあげるだけで十分です。

身体に、自然の神秘を物語らせればよいです。

心を養うは寡欲より善きはなし。

(『孟子』「盡心下」より)

無欲、ではないのですね。欲がまったくなかったら生きていけませんから。

欲望は少なく、が良いようです。

食べ過ぎない、飲み過ぎない、寝過ぎない、遊び過ぎない、怠け過ぎない・・・。

 

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養生一言(1)

2017-06-19 10:44:31 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

調身・調息・調心

調身・調息・調心は、座禅を行う時の基本で、
調身は、座る時の姿勢(端座法)
調息は、呼吸方(丹田呼吸)
調心は、心を調えること(数息観・只管打坐など)
と言われていますけど、病気の治療や、子供の成長にとっても、非常に大切なものです。
現代社会の生活の中で、それらが乱れてしまっているのに、それに自分では全然気づいていなかった、
ということが、結構あるものです。
こまめに、調身・調息・調心を意識してみると、心身を良い方向へ変化させていくことができますよ。
 
 
障害と力くらべするとき、人間はおのれを発見する。
しかし、障害にぶつかるためには、人間には道具が必要だ。
 
(サン=テグジュペリ『人間の大地』山崎庸一郎訳より)

サン=テグジュペリは、大工にとっては鉋(かんな)、農夫にとっては鋤(すき)が必要だと言いました。
東洋医学に関わる者にとっては、鍼(はり)と艾(もぐさ)が必要です。
あと、漢方薬と、何より、知識と知恵が必要ですね。
病気や障害で苦しむ私たちにとって必要なものは何でしょう。
自分に合ったものを見つけたいですね。
 
 
志は満たすべからず、楽しみは極むべからず。
 
(『礼記』「曲禮上」より)

志も、楽しみも、人が人らしく生きていくために、とっても重要なものですよね。
でも、それらを満たしたり、極めたりしてはいけない、と『礼記』にあります。
そうなった時は、人としての成長や人生が終わってしまうから、かもしれません。
極められるような、簡単なものではなく、遠大で、継続的な人生の目的を持つのが良さそうですね。
子供の時も、退職した後も、一生懸命に働いている時にも、考えさせられる言葉です。
 
 
人を玩べば徳を喪い、物を玩べば志を喪う。
 
(『書経』「旅獒」より)

現代の、人口過密、物質過多社会は、一昔前の王侯貴族の生活に似ている所があるかもしれません。
こんなにも、人が多くなって、物が多くなると、一人の、一つの物の価値を低く感じてしまうものです。
それでも、一人一人を大切に、一つ一つを大事にしていくことが、人間にとって必要なことなんでしょうね。
 
 
風邪は経過するもの

頭を使い過ぎて頭が風邪を引く。消化器に余分な負担をかけた後でも風邪を引く。
腎臓のはたらきを余分にした後でも風邪を引く。
とにかく体のどこかに偏り運動がおこなわれ、働かせ過ぎた処ができると風邪を引く。
だから飲み過ぎて絶えず肝臓を腫らしている人は肝臓系統の風邪を引く。
ふだん余分に栄養物を摂って腎臓を腫らしている人は腎臓系統の風邪を引く。
しょっちゅう心配している人は神経系統の風邪を引く。
そうやってそれぞれその人なりの風邪を引くと、その偏って疲れている処がまず弾力性を恢復してきて、風邪を経過した後は弾力のあるピッチリした体になる。
だから風邪というものは治療するのではなくて、経過するものでなくてはならない。
 
(野口晴哉『風邪の効用』より)

人の身体には、自分で自分を調えよう、治そうとするはたらきがあります。つらい症状や心配な症状があると、ついついそれを抑えてしまおうとする欲求がでてきてしまいますが、自分の自然治癒力を信じて、経過させることは、とても大切なことです。
でも経過させるにしても、ただ信じるだけではなく、自分の身体の性質、状態をふだんからよく知っておく必要がありそうです。
自覚的に、他覚的に、わかる人に聞くのも一つの手ですね。
 
 
学ぶとは、知識や技術を単に増やすことではなく、根本的に新しい経験や考えを全人格的に受けとめていくことをとおして、その人格が再創造されることなのである。
 
(ミルトン・メイヤロフ『ケアの本質』田村真・向野宣之訳)

病気になったり、つらい症状を持つ機会に恵まれると、健康な時には考えもつかなかったことを学ぶことができます。
いろんな痛みや不快感だけでなく、なんとも言えない独特の感覚、感情、医学的知識、治療法やその経過、回復したときの喜び、爽快感など・・・。
でも、その学ぶことの本質は、「人格の再創造」なんでしょうね。
苦しみを知ると、他の人の苦しみを理解することができます。自分の弱さを知ると、より弱っている人の力になるために、強くあろうとします。
病気の時に何を学ぶか。大切な人生の分岐路です。
 
 
真人の息は踵を以てし、衆人の息は喉を以てす。
 
(『荘子』「内篇・大宗師」より)

真人と呼ばれる人の呼吸は、深い、踵から身体全体を使ってするもので、衆人の呼吸は喉を使った浅いものである、ということです。
腹式呼吸とか丹田呼吸などと呼ばれる呼吸法、調息法があります。
お腹や丹田を動かして呼吸することを意識しすぎると、胸とか他の部位を、無意識的に、動かさないように力をいれてしまうことがあります。
でも、そうすると、浅い呼吸と同じように、逆効果です。
本当の呼吸は、身体全体を柔軟に使って行うものなのですね。
 

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