はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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017―第百三十六段・(塩・鹽・鹹)―徒然草の中の医療

2016-02-29 20:40:41 | 徒然草の中の医療

第百三十六段

(現代語訳)

 医師の和気篤成(アツシゲ)が、(故)後宇多法皇を診察しにきた時、法皇に食事が運ばれてきた。

 篤成は、法皇の食事中、傍に控えていた侍臣たちに言った。

 「今運ばれてきた料理について、法皇から色々、文字も功能もお尋ね下されたら、何も見ず皆さんにお答え申し上げましょう。本草(薬物学)の書を確かめて下さい。間違いは一つもないことでしょう」

 ちょうどその時、(故)六条の内大臣、源有房(アリフサ)が参上してきた。

 「有房はついでに物を習いたい」と言って、「まず、しおという漢字は、何の偏か」と質問した。

 篤成は「土偏です」と有房に申し上げると、「あなたの才の程度は、それだけで明らかだ。もうこれ以上聞きたいこともない」と有房は言った。

 その場はざわざわとどよめき、篤成は法皇の前から退出した。



 この段では和気篤成が内大臣有房にコケにされました。第百三段では丹波忠守が侍従大納言に小馬鹿にされています。

 和気家と丹波家は医者の二大名家として知られており、室町ころの書、『庭訓往来』にはこう書かれてあります。

「此の間、持病再発し、又、心気、腹病、虚労に更に之間発し、傍がた以て療治灸治の為、医骨の仁を相尋ね候といへども、藪薬師には間々見え来るが、和気、丹波の典薬、曾て逢い難く候」

 『徒然草』では、名医の家系の二人がそろって侮辱されているのですが、兼好法師は医者が嫌いなわけではありません。第百十七段では、「よき友」の二番目に「医師(クスシ)」を挙げているのですから。

 篤成の何がいけなかったのでしょう。職業や身分でしょうか。それとも漢字の偏を誤ったことでしょうか。どうも、それ以前の問題があるようですね。

 第一に、篤成は後宇多法皇に無礼をはたらきました。彼は自分とは身分の比べようもない法皇の意見を聞いていません。法皇は彼に料理について何か聞きたかったのでしょうか。彼は目上の人の意思をないがしろにして話を進めたのです。

 第二に、彼は自分の知識をひけらかそうとしました。「おのが智の勝りたる事を興とす。これまた礼にあらず」、「道を学ぶともならば、善に伐らず、ともがらに争うべからずといふ事を知るべき」と、第百三十段にあるのです。

 おそらく皆の癇に障ったのはこの辺りだったのでしょう。なぜなら「しお」が「土偏」というのは、あながち誤りでもなかったからです。

 『医心方』

 日本最古の医学書、丹波康頼の著した『医心方』「五穀部第一」には、胡麻や大豆などとともに「塩」が収載されています。食事の時の質問で、食材の「塩」を「土偏」と答えても、通常だったら何の問題にもならなかったかもしれません。

 でも、有房は「あなたの才の程度は、それだけで明らかだ。もうこれ以上聞きたいこともない」と言い、篤成をコケにしました。なぜでしょう。

 それは篤成が「本草(薬物学)の書を確かめて下さい。間違いは一つもないことでしょう」と言ったからです。

 当時読むことができた本草書、『經史證類大觀本草』を見ると、「しお」は全て「鹽(エン)」 と書かれているのです。



 ちなみに、医学上の五味の「しお」は「鹹(カン)」と書きます。「鹽」も「鹹」も「鹵(ロ)」が偏です。

 『医心方』

 有房は篤成の揚げ足をとり、無礼を咎めたのかもしれませんね。

(ムガク)

(原文)

くすし篤成、故法皇の御前にさふらひて、供御の参りけるに、今参り侍る供御の色々を、文字も功能も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草に御覧じ合はせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじと申しける時しも、六条故内府参り給ひて、有房、ついでに物習ひ侍らんとて、先づ、しほといふ文字は、いづれの偏にか侍らんと問はれたりけるに、土偏に候ふ、と申したりければ、才の程、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所なし、と申されけるに、どよみに成りて、罷り出でにけり。

001―もくじ―徒然草の中の医療

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貝原益軒の養生訓―総論下―解説 053 (修正版)

2016-02-29 20:40:20 | 貝原益軒の養生訓 (修正版)
(原文)

養生の術、まづ心法をよくつゝしみ守らざれば、行はれがたし。心を静にしてさはがしからず、いかりをおさえ慾をすくなくして、つねに楽んでうれへず。是養生の術にて、心を守る道なり。心法を守らざれば、養生の術行はれず。故に心を養ひ身を養ふの工夫二なし、一術なり。

夜書をよみ、人とかたるに三更をかぎりとすべし。一夜を五更にわかつに、三更は国俗の時皷の四半過、九の間なるべし。深更までねぶらざれば、精神しづまらず。

外境いさぎよければ、中心も亦是にふれて清くなる。外より内を養ふ理あり。故に居室は常に塵埃をはらひ、前庭も家僕に命じて、日々いさぎよく掃はしむべし。みづからも時々几上の埃をはらひ、庭に下りて、箒をとりて塵をはらふべし。心をきよくし身をうごかす、皆養生の助なり。

(解説)

今回は解説は特に必要ないですね。養生には心、精神を静かに清く保つことの大切さとその手段が述べられています。三更とは今でいうところの午後11時から午前1時まで。

(ムガク)

(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)

021―第百四十九段・(脳を食べる虫)―徒然草の中の医療

2016-02-20 22:57:12 | 徒然草の中の医療

第百四十九段

鹿茸を鼻に当てて嗅ぐべからず。小さき虫ありて、鼻より入りて、脳を食むと言へり。



 怖いですね。脳を食べる虫の話です。絶対にこの「鹿茸を鼻に当てて嗅」ぎたくないですよね。この鹿茸とは何でしょう。

 ふつうに思い浮かべるのはキノコでしょう。鹿茸(シシタケ)は昔から日本では食用とされており、元禄時代の食材辞典、平野必大が著した『本朝食鑑』にも収載されています。この書では食材ごとにきちんと分類されており、鹿茸は松茸(マツタケ)や初茸(ハツタケ)、椎茸(シイタケ)、平茸(ヒラタケ)などと並ぶ、代表的なキノコとして扱われています。

 でも、キノコだから虫が湧きやすいとは言え、脳を食べる虫については知られていません。もっとも、有毒なキノコであれば、幻覚や幻聴、意識不明に陥った時に、その原因を小さな虫のせいにして、脳を食べられたからだ、と説明することもできますが、この鹿茸(シシタケ)は「本邦、毎に之を食して毒に当たらず、復た未だ病を治する者を聞かざる」と『本朝食鑑』にも書いてあるように、無毒なキノコです。ではどういうことでしょう。

 鹿茸にはもう一つあり、それは生薬として使われる鹿の幼角です。鹿の角は二月から四月にかけて脱落し、四月頃に幼角(袋角)が新生し、成長します。古来、鹿茸(ロクジョウ)は強壮薬、強精薬として用いられてきました。



 中国の薬学書、明代の李時珍による『本草綱目』には、「鹿茸は鼻を以て之を嗅ぐべからず。中に小白虫有りて、之を視れども見えず。人の鼻に入りて必ず虫顙(チュウソウ)を為す。薬は及ばざるなり」とあります。

 なので、兼好法師の言った鹿茸とは『本草綱目』(本当はもっと前の時代、宋代の唐愼微による『經史證類大觀本草』)の記載が由来であり、キノコではなく鹿の角を意味します。この鹿茸は、(乾燥させたものは)硬いわりにスポンジのように穴がたくさんあります。生薬は保存の状態によって虫が湧くので、この穴の中に湧いた虫が脳を食べるのでしょうか。実はこれもちょっと違うのです。

 『本草綱目』にある「虫顙」は、西晋代(三国時代の少し後)、葛洪による『肘後備急方』の「治牛馬六畜水穀疫癘諸病方第七十三」に出てくる言葉であり、これは家畜伝染病の一種なのです。

蟲顙、馬鼻沫出し、梁腫起きるは、治すべからざるなり。驢馬、脬し轉せば死せんと欲す。

 とあり、これに感染した家畜は鼻などから体液が流れ出て、排尿が増え、寝転がって死に向かいます。つまりこれは感染性海綿状脳症(TSE)の一種であり、この場合は鹿についてなので、慢性消耗病(CWD)と考えてもよいかもしれません。

 慢性消耗病の原因は虫でも細菌でもウイルスでもありません。現在、その原因はプリオンタンパク質という説がありますが、「之を視れども見えず」、肉眼で見ることはできません。

 「脳を食む」とありますが、当時の脳と現在の脳は同じでしょうか。少し違います。この頃の脳は以下のようなものです。

 人が生れるには精というものが必要である。この精が生成すると脳髄が生れる。*1 内臓(五臓六腑)も脳髄のおかげで、その役割を果たす。*2 涙や鼻水などは陰に属し、体液をつかさどる脳髄が作っている。*3 また脳の機能が低下すると、耳鳴り、四肢の運動低下、めまい、何もないのに、だるくて寝てばかりいるようになる、と考えられていました。*4

 これが、当時の脳に対するイメージですが、兼好法師、あるいは彼にそれを教えた人は、「虫顙」による症状が脳の症状であるという、当時の正しい医学的知識をもっていたのです。それ故、「虫顙を為す」と言う『本草綱目』の記述を、「脳を食む」に翻訳したのでした。

 「脳を食む」の「脳」はもともとは家畜、牛や馬、鹿などの脳のことでした。しかし、それが人の脳にも伝染するかもしれない、と不安に思う気持ちは今も昔も同じです。

 現在でもクロイツフェルト・ヤコブ病(Creutzfeldt-Jakob disease, CJD・狂牛病)があるように、慢性消耗病の人間への感染の可能性が示唆されています。汚染された食材・薬材については十分気を付けなければなりません。

 その一方で汚染されていないもの、安全なものについては、過度に心配しすぎないように十分気を付けなければなりません。

 心配しすぎると、せっかくの美味しい牛肉も味が落ちてしまうし、治療に必要な鹿茸も使いづらくなってしまいますから。



世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる (皇太后宮大夫俊成)

つづく

(ムガク)

*1:『黄帝内経霊枢』「經脈篇」「人の始めて生れるや、先ず精が成り、精は成って脳髄が生れる」
*2:『黄帝内経素問』「五蔵別論」「脳髄を以て臓を為す」
*3:『黄帝内経素問』「解精微論」「泣涕は脳なり。脳は陰なり。髓は骨の充なり。故に脳は滲じて涕す」
*4:『黄帝内経霊枢』「海論」「脳は髓の海を為す。…髓海が不足すれば、則ち脳は転じて耳鳴し、脛痠し眩冒す。目する所見無く懈怠し安臥す

001―もくじ―徒然草の中の医療

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貝原益軒の養生訓―総論下―解説 052 (修正版)

2016-02-20 22:56:56 | 貝原益軒の養生訓 (修正版)
(原文)

呼吸は人の鼻よりつねに出入る息也。呼は出る息也。内気をはく也。吸は入る息なり。外気をすふ也。呼吸は人の生気也。呼吸なければ死す。人の腹の気は天地の気と同くして、内外相通ず。人の天地の気の中にあるは、魚の水中にあるが如し。魚の腹中の水も外の水と出入して、同じ。人の腹中にある気も天地の気と同じ。されども腹中の気は臓腑にありて、ふるくけがる。天地の気は新くして清し。時々鼻より外気を多く吸入べし。吸入ところの気、腹中に多くたまりたるとき、口中より少づつしづかに吐き出すべし。あらく早くはき出すべからず。是ふるくけがれたる気をはき出して、新しき清き気を吸入る也。新とふるきと、かゆる也。是を行なふ時、身を正しく仰ぎ、足をのべふし、目をふさぎ、手をにぎりかため、両足の間、去事五寸、両ひぢと体との間も、相去事おのおの五寸なるべし。一日一夜の間、一両度行ふべし。久してしるしを見るべし。気を安和にして行ふべし。

千金方に、常に鼻より清気を引入れ、口より濁気を吐出す。入る事多く出す事すくなくす。出す時は口をほそくひらきて少吐べし。

常の呼吸のいきは、ゆるやかにして、深く丹田に入べし。急なるべからず。

調息の法、呼吸をとゝのへ、しづかにすれば、息やうやく微也。弥久しければ、後は鼻中に全く気息なきが如し。只臍の上より微息往来する事をおぼゆ。かくの如くすれば神気定まる。是気を養ふ術なり。呼吸は一身の気の出入する道路也。あらくすべからず。

(解説)

 『荘子』刻意篇にこう記されています。

吹呴呼吸し、故を吐き新しきを納る。熊経鳥申、寿の為にするのみ。此れ導引の士、形を養うの人、彭祖寿考の者の好む所なり。

 息を吐いたり吸ったりする呼吸、熊や鳥まねの体操は長寿を願う人々、仙人に近づこうとする人々が行っていたことでした。例えば、秦を滅ぼし漢帝国を築いた劉邦の軍師、張良(子房)も導引術を行っていたことが知られています。張良は、「今、三寸の舌を以て帝なる者の師と為り、万戸に封ぜられ、列侯に位す。此は良足に於いて布衣の極。願くは人間の事を棄て、赤松子に従い游せんと欲するのみ」と言い、政治の世界から離れようとして赤松子という伝説の仙人にならい「辟穀(断食)、道引、軽身を学び」ました。(『史記』)留候世家)

 こんな例は他にもいろいろ有りますが、それはさておき、『荘子』にはこの続きがあります。

導引せずして寿く、忘れざる無きなり。有せざる無きなり。澹然無極にして衆美之れに従う。此れ天地の道、聖人の徳なり。 故に曰わく、夫れ恬淡寂莫、虚無無為、此れ天地の平にして道徳の質なり。 故に曰わく、聖人は休す。休すれば則ち平易なり。平易なれば則ち恬淡なり。平易恬淡なれば則ち憂患入る能わず。邪気襲う能わず。故に其の徳全うして神虧けず。

 と「導引せずして寿く」というような「恬淡寂莫、虚無無為」の境地、そして「憂患入る能わず。邪気襲う能わず・・・徳全うして神虧けず」という心身が平安である長寿を目的とすることなく、ただそれが結果としてあるという状態を理想とする思想もあったのです。ちょっと先の方まで進んでしまいましたが、古今東西、呼吸にはただ空気(酸素)を取り入れるという以外の特別な働きがあると信じられてきました。

 例えば、ラテン語のアニマ(anima)とか、ギリシャ語のプシュケー(psyche)、プネウマ(pneuma)などはもともと呼吸や気息の意味でしたが、だんだんと生命であるとか、魂や霊魂、心や精神といった意味を持つようになったのです。

 ホメロスの時代には、プシュケーなどは死者の口から抜け出て、生前の姿をして冥府へ行くと言われていたので、ちょうど気息と霊魂の二つの意味を重ね持っていたようですね。

 プラトンやソクラテスはそれに人間を人間たらしめる人格の座としての意味を持たせました。プラトンはイデア論を展開しましたが、ここに精神が肉体から分離しつつあった思想の流れを見ることができます。

 そしてキリストの生存していた頃にアニマという言葉が『マタイ福音書』8章35.36.37節に使われていますが、これは人間としての人間らしい生命という意味でしょうね。なぜなら自分の十字架を背負えるものがそのアニマを救うことができたからです。

 サンスクリット語にはプラーナ(purana)という言葉があり、これももともと呼吸や気息という意味を持っていました。この言葉も生命のような意味を持つようになりましたが、インドではもう少し歴史を遡ることができます。プラーナというのはヴァーユ(vayu)やヴァータ(vata)と呼ばれる、風や風神、運動の一種(ヴァータはより自然現象に近い意味を持つ)と捉えられていて、アーユルヴェーダでもプラーナ・ヴァーユという空気や食べ物の摂取をつかさどる原動力のようなものとしての言葉が残されています。またプラーナーヤーマ(pranayama)という呼吸法のような言葉もあります。このヴァータは紀元前1200年前後に作られたとされる『リグ・ヴェーダ賛歌』に歌われています。

ヴァータは医薬を吹きもたらせ、われらが心に幸福を与え、爽快を与うるところの。彼がわれらの寿命を延ばさんことを。

ヴァータよ、汝はわれらの父なり、また兄弟なり、また友人なり。かかる汝はわれらが生存しうるごとくなせ。

ヴァータよ、そこなる汝の家に、不死の宝庫として置かれたるもの、そこよりわれらに与えよ、生きんがために。

 (辻直四郎訳)

 というようにプラーナより上のヴァータに対して、生命を与える存在、病を治癒する存在としての親密な感情が見られますね。ちなみにこのヴァータは五大の空と風を構成元素とします。時代は下りますが中国にも似たようなものがありました。天地の間に満ちた気(浩然の気)、それが人間の心身に大きく影響をあたえるのです。『孟子』公孫丑章句上にはこう記されています。

夫れ志は気を帥いるものなり。気は体を充ぶるものなり。夫れ志至れば、気はこれに次ぐ。故に曰く、其の志を持りて、其の気を暴なうこと無かれと。・・・。志壱らなれば則ち気を動かし、気壱らなれば則ち志を動かせばなり。今夫れ趨りて蹶く者は、是れ気なり。而れども反って其の心を動かす。

 そして孟子は言ったのです。「その気たるや、至大至剛にして直く、養いて害なうことなければ、則ち天地の間に塞つ」と。そして『荘子』大宗師篇は少し具体的な呼吸法にふれています。

古の真人は、其の寝ぬるや夢みず、其の覚むるや憂いなし。其の食らうや甘しとせず、其の息は深々たり。真人の息は踝を以てし、衆人の息は喉を以てす。

 このように荘子の言う真人の呼吸法とは自然で深い身体全体を使って行うものでした。

 と言うことで、ここで益軒が述べている呼吸法。それは昔の養生方にあるものですが、いま述べてきたことを知っていれば、それらはその技術的な表現がより細かくなっただけということに気付くかもしれません。

(ムガク)

(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)

貝原益軒の養生訓―総論下―解説 051 (修正版)

2016-02-11 11:55:15 | 貝原益軒の養生訓 (修正版)
(原文)

孫真人が曰、修養の五宜あり。髪は多くけづるに宜し。手は面にあるに宜し。歯はしばしばたゝくに宜し。津は常にのむに宜し。気は常に練るに宜し。練るとは、さはがしからずしてしづかなる也。

久しく行き、久しく坐し、久しく立、久しく臥し、久しく語るべからず。是労動ひさしければ気へる。又、安逸ひさしければ気ふさがる。気へるとふさがるとは、ともに身の害となる。

養生の四要は、暴怒をさり、思慮をすくなくし、言語をすくなくし、嗜慾をすくなくすべし。

病源集に唐椿が曰、四損は、遠くつばきすれば気を損ず。多くねぶれば神を損ず。多く汗すれば血を損ず。疾行けば筋を損ず。

老人はつよく痰を去薬を用べからず。痰をことごとく去らんとすれば、元気へる。是古人の説也。

(解説)

 「孫真人・・・」も「久行、久坐、久立、久臥」も「貝原益軒の養生訓―総論下―解説 029」にでてきました。『千金方』が出典でしたね。

 「病源集」はちょっと注意が必要です。この語順だと『諸病源候論』というこれもまた知られた古典医学書を想起しそうですが、これだと隋代の巣元方の著作です。ここでは「唐椿が曰く」とあるので、書名は正しくは『原病集』でしょう。唐椿は代々医の名門の家系で、様々な宗派の医術を捜し集め、父祖の教えを以て正し、自分の意見も付け加え、病源を斟酌し、分類編集して『原病集』を著しました。

 江戸期の医師丹波元胤はこの書について「医の指要であり具わざる所無く、今の方術家の多くは之れを宗とす」と記しています。人々を説得するには、権威や一般的に知られたものを利用することは今も昔も同じです。益軒もこれに倣っているようですね。

 「古人の説」の古人とは具体的に誰を指すのか明らかではありません。もしご存知の方がいらっしゃればお教えください。ただ明代の医師、韓懋(カンボウ)は『韓氏医通』で去痰薬の一つである白芥子についてこう述べています。「凡そ老人の痰気喘嗽、胸満懶食に苦しむは、妄りに燥利の薬を投ずべからず。反って真気を耗す」と。他にも半夏や天南星、(ソウ)角子、杏仁など去痰薬はいろいろありますが、これらも毒性があるので過剰摂取しないように注意が必要でしょう。

(ムガク)

(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)

貝原益軒の養生訓―総論下―解説 050 (修正版)

2016-02-11 11:54:39 | 貝原益軒の養生訓 (修正版)
(原文)

内慾をすくなくし、外邪をふせぎ、身を時々労動し、ねぶりをすくなくす。此四は養生の大要なり。

気を和平にし、あらくすべからず。しづかにしてみだりにうごかすべからず。ゆるやかにして、急なるべからず。言語をすくなくして、気をうごかすべからず。つねに気を臍の下におさめて、むねにのぼらしむべからず。是気を養ふ法なり。

古人は詠歌舞踏して血脉を養ふ。詠歌はうたふ也。舞踏は手のまひ足のふむ也。皆心を和らげ、身をうごかし、気をめぐらし、体をやしなふ。養生の道なり。今導引按摩して気をめぐらすがごとし。

おもひをすくなくして神を養ひ、慾をすくなくして精を養ひ、飲食をすくなくして胃を養ひ、言をすくなくして気を養ふべし。是養生の四寡なり。

摂生の七養あり。是を守るべし。一には言をすくなくして内気を養ふ。二には色慾を戒めて精気を養ふ。三には滋味を薄くして血気を養ふ。四には津液をのんで臓気を養ふ。五には怒をおさえて肝気を養ふ。六には飲食を節にして胃気を養ふ。七には思慮をすくなくして心気を養ふ。是れ寿親養老補書に出たり。

(解説)

 前回の解説では「十二少」が、今回は「四寡」や「七養」なとが登場しました。一段目の「養生の大要」である「此四」と四段目の「四寡」の共通する所は、その数字と慾を少なくすることです。他も細かく見ていけばきりがありません。それらの名前は異なっていますが、内容は今まで『養生訓』に出てきたものをまとめ直しただけであり、言い換えれば同一対象の概念の切り取り方が異なるだけなのです。

 『寿親養老』とは明代の医師、劉純の書。

(ムガク)

(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)

東洋医学カードゲーム製作計画 (その2)

2016-02-11 11:31:58 | 雑記

 今から4年前、2012年にためしに、ツボ・経穴のデータベースをそのままカード化したものを作成してみました。 これを二人の子供に与えてみました。


 


 すると、これを使ってカードバトルを始めたのですが、意外にも楽しそう。ニコニコしながらいきいきと戦い、カードが二人の間を行ったり来たりしています。


 ルールも教えてなく、読めない字ばかりなのに、すぐに適応し遊ぶ子供のチカラにはおどろきです。


 ただ問題が・・・。


 


問題① 大人がいっしょに楽しめない


 子供の間のルールが意味不明なので、大人がいっしょに楽しめない、という問題があります。子供はいわゆるゴッコ遊びを行なっていたのであり、世間で流行っているカードバトルの雰囲気を楽しんでいたのかもしれません。でも、大人と子供が一緒に遊び、コミュニケーションをとれるほうがいいですよね。


問題② カードに書かれていることが一般の大人にも理解できない


 東洋医学の専門的な用語をそのままカード化しただけなので、一般の大人にも理解できません。子供にはなおさらです。文字もほとんど読めなかったでしょう。絵や図もないので、ツボの場所も解らない。(つまらない)


問題③ カード枚数が多すぎる


 カード枚数はツボの数だけあるので、360枚以上あります。UNO(ウノ)のカード枚数は108枚なので、その3倍以上あり、管理保存が大変です。もし何枚か紛失したとしても、長期間、気づかれることもないでしょう。


問題④ 身体を動かさない。


 たんなるカードだけだと、身体を動かさないし、触れあいもありません。ちゃんとしたルールが必要そうです。


 


 ということで、どうしたらいいのでしょう。試作品2号を作ることにしましたが・・・


つづく


(ムガク)


 


 


東洋医学カードゲーム製作計画 (その1)

2016-02-03 20:33:20 | 雑記

 娘をつれて近所の公園に遊びに行くと、小さい子たちはブランコや回転遊具、すべり台などでさかんに遊んでいます。鬼ごっこやこおり鬼、だるまさんがころんだなどをやると、どんどん仲間に入ってきて一緒に遊びます。けっこう楽しいし、おじさんにとっても体力をつかいます。


 小学生高学年くらいから、ちょっと遊びの質が変わるようで、ベンチや遊具に腰かけて携帯電子ゲーム機(たぶんニンテンドーのDSとか)で静かに遊んでいます。楽しいのはとても分かります。私も子供たちとゲームで勝負してかなり燃えます。あれはハマりますね。


 でも、大切なかけがえのない成長期には、せっかく友達と集ったのなら、もっと身体を動かして、触れあって遊んだほうがいいんじゃないかな、とも思います。


 また、現代では子供のうちから東洋医学・伝統医学に触れる機会はほとんどなくなりました。小児鍼などがさかんな地域や、お父さんお母さんが漢方や鍼灸に親しんでいる家庭の子は別にして、学校や塾でそれを教わることもまったくと言っていいほどないかもしれません。


 これはちょっともったいない気がします。東洋・伝統医学には、大切な生きる哲学が豊富に含まれています。また、薬などの医療にたよらない養生法もあります。手洗いやうがいなどの予防を教わることはあっても、養生を教わることはあまりないですよね。


 そんなわけで、子供が遊びながら東洋・伝統医学に親しむことができるカードゲームを作ることにしました。


 今から4年前、2012年にためしに作成してみたのがこれ↓。



 ツボ・経穴のデータベースをそのままカード化したものです。これを二人の子供に与えてみました。


 すると、これを使ってカードバトルを始めたのですが、意外にも楽しそう。ニコニコしながらいきいきと戦い、カードが二人の間を行ったり来たりしています。


 ルールも教えてなく、読めない字ばかりなのに、すぐに適応し遊ぶ子供のチカラにはおどろきです。


 ただ問題が・・・。


つづく


(ムガク)