はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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江戸時代の外科手術(6)-腫物に針を刺切焼法-

2010-09-28 17:58:47 | 江戸時代の医学

 前回の「鉄砲之玉をぬく方」では灸が少し出てきたので、今回は針を使う治療法をご紹介しましょう。Haremono


萬ノ腫物ニ針ヲサスハ、先ツ腫物処ヲ見テ、アシキ処カ、亦ハ脉処ナラバ針ヲササズ、膏薬ニテ吸ヤブラセヨ。両ノ手ノ脉計ニテアラズ。動脉トテ幾処モ身ノ内ニヲドル処アリ。


 すべての腫物に針をして良いというわけではありません。治療前によく見て、アシキ処、つまり心臓や肺など針が内臓に達するおそれがあるなど針をするのに向いていない部位や、動脈がある部位には針をせずに、膏薬で治療します。
 両ノ手ノ脉計とは寸口の脉のこと、つまり手首の脈、橈骨動脈のことです。医者はここの動脈の拍動から患者さんが助かるかどうかを診ました。ちなみに重傷の人の脉は「沈小弱沈遅」がよく、「浮大浮数」はよくないと考えられていました。当時は医者の間で脉といえばここを指すので、ここではなく全身にある拍動する動脈のことである、と言っているのです。


夜ツネニ我身ノ内ニテ覚ベシ。又筋ノアル処ヲヨケテサスベシ


 これは、つねづね夜中に自分の身体を触って、どこに動脈があるか確認するようにという意味です。夜中の暗く静かな環境では感覚が研ぎ澄まされ、小さな拍動の動脈も発見できるようになります。また訓練を重ねると騒がしい昼間でも分かるようになります。これが夜に行う主な理由だと思いますが、昼間だと、裸になって自分の全身を触っている姿を人に見られるリスクが高い、というのも理由かもしれません。
 筋や腱は避けて針をするように、とのことです。


膿タルハ押テ見ルニ、クボクナリタル処指ヲトレバ上ヘフキアガルナリ。ウマヌハ押テ見レハ、クボクナリテアガラヌゾ。


 これは腫物が膿んでいるかどうか調べる方法です。


ウマヌニサセハ、針殊外イタムナリ。アトモ久シクウヅクナリ


 膿んでもいないのに、針を刺すと結構痛いし、痛みが長く続きます。針をするのは膿んでいる腫物に限ります。
 ちなみにここでの針は火鍼のこと、燔鍼とも焼鍼とも呼ばれます。火で真っ赤になるほど熱した針を刺して、排膿するとともに、熱により内部を消毒します。この一石二鳥の方法は、意外にも抗生物質の服用や単なるメスでの切開よりも、早くすっきりと治ります。しかしこの火針は、何度も自分の身体で試しましたが、勇気が毎回必要です。


針ヲタテニサセバ、タトヒ筋ヲ刺テモ筋キレズ。ヨコニサセバ筋キレテ針刺ヤウノナンニナルヘシ。フカサハ大形ハ三分四分入レヨ。物ニヨリテ五六分モ入ヨ。


 これは筋肉や腱の流れ、起始停止を結ぶ直線に平行に針をすると、たとえ筋に針を刺しても筋が切れることはありません。しかし垂直に針すると筋が切れることがあります。針刺ヤウノナンとは針刺様の難のこと。


針サシテアトヘサグリヲ入テ、サグレハ殊外膿血出ルナリ。押ベカラズ。ヲセハ肉イタムゾ。


 腫物に針を刺したまま、グリグリと動かすと膿だけでなく、血も出て肉が傷むので、必要以上に針を入れてはいけません。


口ニ紙ヨリヲシテ四分ホド入テヲケ。ソレヲノミト云フソ。長サ八分許シテ内ヘ四五分サシ入、アマリハ腫物ノハリグチヘヨコニシテ折イガメ、其上ニカウヤクヲ付テヲキ毎日右ノ如クカウヤク付替ル時ノミヲヌキ、又ノミヲ今付ヨ。次第に内イユレハ、ノミ入時ソコイタムソ。其時ハノミイレズ。


 また傷口に和紙をひねって作ったこよりを入れて残っている膿を吸い取らせます。ノミとは隙間にいれる詰め物のこと。こよりは8cmくらいで中へ4、5cmほど入れて、残りは横に折り曲げて、その上から膏薬を貼ります。こよりは毎日取り替えるので、少し長めに作っておくと、それが楽になります。次第に治ってくると、ノミを入れると痛むので、そうなったらもう入れる必要はありません。
 
 
 ついでながら、ここで使える膏薬についても紹介しておきましょう。


○黄膏ハウミスイアゲシ、シアゲイヤスコトハヤシ。
○紫金膏ハヨクウミヲスイ肉ヲアグル、イタミヲトムル、イヘヤスシ。
○青膏モ同前


 気づかれた人もいると思いますが、似たような名前の薬が今でも売られていますね。そう、一般的に華岡青洲が考案したとされる中黄膏と紫雲膏です。それぞれ黄柏と紫根が主成分です。


つづく


(ムガク)


江戸時代の外科手術(5)-鉄砲之玉をぬく方-

2010-09-25 20:26:45 | 江戸時代の医学

 今回は鉄砲で撃たれて、その銃弾が体内に残った時にそれを摘出するための手術です。現代の日本ではほとんど関係ないですね。でもこれも歴史と文化の勉強です。Teppou


先其疵、此如灸ヲシテ、抜薬ヲ入テヲケバ六七日ホドシテクサルナリ。其時キリヤブリ玉ヲトリ出シ、アトニハ青膏ヲ付ヨ。


 銃弾が身体の深くに残った場合は、右の図のように銃創とその周囲の四点にをします。灸とはヨモギから作られた艾を身体の表面で燃やす治療法のこと。もともとはユーラシア大陸の遊牧民族、烏丸族などの伝統的な治療法でした(正史『三国志』魏書参照)。それが春秋戦国時代あたりには中国にもたらされ(『孟子』参照)、その後日本へ輸入されたようです。灸は身体を温めるという作用とともに、患部を熱により消毒する作用があります。また人工的に火傷を作ることにより、白血球数などが増加することが知られています。
 抜薬については後にくわしく記されています。


亦処アサク玉アラバ、当座ニキリヤブリ、テンタヲ入テスクヒトルナリ。


 銃弾が浅い所にある場合は、すぐさま摘出します。テンタとは「玉ヲトル道具」のこと。


弱モノニハ気付ヲ度々用テ気ヲトリタテ療治スベシ


 患者さんが弱っている場合は気付を行います。「腹を納る法」でも気付が出てきましたが、ここでは気付の薬を二種類ほどご紹介しましょう。
 まずは蒲黄散、これは「金瘡並産婦気ヲ失ウヲ治スルコト神ノ如シ」と言われていました。これは蒲黄、人参、葛根、甘草、胡椒などを粉末にして服用させます。これは蒲黄が主薬です。大国主神が因幡の白兎を治療するために使ったことで知られていますね。止血の効果が高いので出血した時の気付向きです。
 それから茯神散、これは当帰、川芎、人参、白茯神、赤茯苓を煎じて使います。これは気血を補い、その巡りを促進するため、貧血や立ちくらみのような症状の時の気付に良いでしょう。
 次に抜薬について記載されています。


 矢根ヨロズ鉄針木竹肉ノ中ニ有を抜薬
○磁石(一匁)、鮫皮(内ノ白トリ用)、生栗、松茸、各七分
右細末ニシテ之塗、竹木ヲ抜ニハ磁石ヲ去リ、柿核霜加ヘテ水ニテネバネバトシテ付ル。


 面白い配合ですね。中国にもヨーロッパにもない処方かもしれません。主薬が磁石、つまりここでは朱砂です。殺菌消毒が目的です。また鮫、栗、松茸、これらは内服薬として使用されることがありますが、外用薬として使っている医学文献を、まだこれ以外見たことがありません。栗、松茸、柿と秋の味覚、おいしそうな薬剤です。きっと秋に開発された薬なのでしょう。ネバネバにするためだけでしょうか。いえ、目的は患部を腐らせること、そして弾丸を排出しやすくすることです。しかし、どの程度効果があるかは不明です。ちなみに栗粉は小麦粉の代用品にもなるので良い基材になりそうです。
 そう言えば天明八年(1788年)に「柿栗松茸」という落語が作られましたが、『外科手引艸』が記されたのは天明七年、その一年前です。何か関係有るのでしょうか…。

 なさそうですね。


○抜毒散 萬腫物ノ根ヲ抜ク、亦金創鉄砲之玉抜取ニ用ユ。秘伝ノ薬ナリ。
信石(五分)、赤六(五分)、雄黄(一匁)


 信石とは砒霜とも呼ばれ、三酸化二砒素 (As2O3 )のことです。昔から外用、特に患部が腐るような時、また内服にも使われてきました。砒素なので高い毒性がありますが、現在でも白血病や骨髄異形成症候群、多発性骨髄腫にも使われています。雄黄とは(三)硫化砒素(AsS・As2S3)のこと。これも皮膚の化膿や傷、寄生虫症など解毒や虫下しに使われてきました。信石ほどではないにしろ、砒素なので毒性があります。
 赤六とはアカニシ(赤螺)の黒焼きのことです。現在ではサザエの代用品として知られています。


右三味細末ニシテ、腫物ニハナカミ四分バカリニフトサ一分ニシテ、ソクイニテ、口ニ入ル。又金創ニモ右ノ通ナリ。但シ、スグニ用ルコト。有ソクイニテヲシ合セ丸メテ用ユルコトモアリ。口伝ナリ。


 この三味を粉末にしてから練って長さ4cm、太さ1cmくらいの円柱状に形を整え、傷口に挿入します。傷を負ったらすぐに手当てすること。あるいは丸めて用いることもあります。口伝ナリとは、実際のこと、臨床の微妙なことは面と向かって伝えるということです。


つづく


(ムガク)



江戸時代の外科手術(4)-手足の落たるを続法-

2010-09-23 00:04:04 | 江戸時代の医学

 今回は手足を切り落とされてしまった時の手術です。紹介はしますが、真似はしないでくださいね。身近な人の手足が切れて落ちたら、応急救護をして救急車を呼びましょう。Teasi


先、ヲチタル手ヲトリヨセ、砂ナドツキタラバ其口ヲ洗テ、能々見ヨ。筋肉ノ内ヘチヂミ入テアルモノナリ。


 其口ヲ洗テとありますが、洗う方法はいくつもあります。ここでは疵洗薬を使う方法をご紹介しましょう。疵洗薬は藤瘤、蓮葉、石南、車前草、それから塩を三合、水を八升を煎じて六升五分になるまで煮詰めて作ります。これを温かいうちに疵口にかけて洗うのです。これは相当塩分濃度が高いことが分かると思います。仮に天然塩で一合170gとした場合だと、この塩分濃度は7.8%あり、人間の体液の浸透圧が0.9%の食塩水と同じなので、相当しみるはずです。しかしそれを補って余りあるメリットがあります。それは煮沸消毒した直後の洗浄液を使用するという点と、浸透圧による殺菌を期待できるという点です。
 ちなみに疵口を温めた酒で洗うという方法もあります。華岡青洲も焼酎で傷を洗ったように、これらはアルコール消毒のことですね。


ソレヲツガニノツメニテ筋ヲカキヲコシ、トウシンニテモ生柳ノ枝ナリトモ骨ノ内ヘシンニ入レ両方ノ筋ヲ合セ、皮ノ上ニ墨ニテシルシヲシテヲキ、…


 ちょっと長い文なので、間に解説を挟みましょう。ツガニ(頭蟹)とはモクズガニという蟹のことです。日頃、その蟹を多く採っておき、肉やミソを全て取り去り、干して保存しておきます。その蟹の爪を、落ちた手の切口の内側に縮み入った筋肉を掻き起こすのに使います。そして灯心生柳ノ枝など細い棒を、骨の切口の穴に入れて真っ直ぐになるようにし、両方の筋肉を合わせて正しい位置になるように調節して、ずれないように皮膚の上に墨で印を付けておきます。


扨、筋渡シノ薬ヲ両方ノ筋ノ処ニバカリ貼テ、落タルキレクチニ人油ヲヌリ、アイシルシノテンニ合セ少シモチガハヌヤウニヲシ合セテ、針ニ糸ヲツケテ八處ヌヒテ、人油ヲ切口ニクルリト引テ、…


 筋渡シノ薬は河童から製法を教わったという伝説の薬の名前。新撰組の芹沢鴨が作っていたことでも知られています。医者がそれぞれ独自の秘伝の製法を持っていたようですね。詳細は不明ですが、おそらくここでは人油膏の一種(人油や葡萄酒、野師油、乳香、小麦などから作られた軟膏)のことだろうと思います。
 墨でつけた印に合わせて、筋肉や腱を縫合していきます。


偖テ唐綿ノイカニモホソキウスキカネキンヲ水ニテ洗ヒ蝋気ヲナクシテ、常ニタクハヘ置、長サ三寸ホドハバ四分カ三分ニイクツモキリテ、…


 これは手術用の脱脂綿の作り方ですね。長さが約9cm、幅は3、4cm。カネキンとはカナキン(金巾)のこと。ガーゼのポルトガル語です。


其モメンニ天利膏ヲアツク貼テ、鶏ノ卵ツブシ白ミヲ皿ニ入テ、天利膏ノ貼タル木綿ヲタマゴニヒタヒタニツケテ、ヌウタルイトヲ一処ツツニテキリテ、合セタル両口ヲモメンノマンナカニナルヤウニ間ヲ一分カ半分アケテクルリトツケテ、其上ニ青膏ヲ紙ニ付テ、上ヲ張ナリ。


 前々回(腹を納る法)でも出てきた、鶏ノ卵。古来、日本で使われてきたその卵の白身は無菌状態であり、良質のタンパク質を豊富に含み、また細菌の細胞壁を分解するリゾチームも含んでいます。卵を割らない限り、衛生状態が保たれるので、合戦の陣中でも使える質の良い薬でした。
 次の段落はグロテスクな表現を含みますので、気の弱い方は飛ばしてお読みください。


其上ヲ鶏ノヒヨコノウヅラホドナルヲケヲムシリ、クビノキハカラト羽モ胴ノキワカラ足モキワカラキリテ、二ツニワリテワタヲ去テ温マリ有ル内ニヲチタル方ヘ大分カケテクルリトマクホド、ヒヨコヲキリテマキ、上ヲフクサニテツツミ、イタニノセテ、ヲチタル方ヲ少シサカリカゲンニシテ女ヲソバニヲキ、ヲチタル方ヲソロソロサスラスベシ。ソバ伴ヲツケヲクベシ。


 ウズラ位の大きさの鶏ノヒヨコを用意します。それを生きたまま毛をむしり、首と羽と足を根元から切断します。そして胴体を二つに割って、内臓を取り、温かいうちに、切断した手の末端側、青膏を貼布した上に、くるりと巻いていきます。大部分を覆ったらフクサで包みます。患部を板にのせて位置を少し下げます。馬肉の湿布というものがありますが、このヒヨコの湿布は作用がまったく異なります。馬肉の湿布は冷やして炎症を鎮めるのが目的ですが、これは保温が主な目的です。またヒヨコの若い生命力や成長促進因子をもらう、という意味もあったかもしれません。手を少し下げるというのは新鮮な血液を供給させたいがため。そしてマッサージを行います。


次ノ日ハイロハズ中一日ヲキテヒヨコヲトリ、青膏モ天利膏モトリテ亦前ノ如ク療治スベシ。十五六日シテ本ノ如クツゲルナリ。股ヲツグモ同前ナリ。少シ二三分ホド成トモ皮カカリアレバ、ナヲナヲツギヤスシ。


 次の日は何もしないで、中一日おいたら全て取り替えます。これを繰り返すと15、6日ほどで手は元通りにつながる、とのことです。しかし、ここでは血管も神経も縫合していませんし、元通り動かせたか否かは不明です。現代の日本での実証は困難でしょう。


惣ジテ手ヲヒニカカリテハ、今死スルモノニモイカニモ心ヤスキヤウニ云モノナリ。ソレニテ手ヲヒチカラヲエルナリ。ソバノ人ガ云分ニハ實ニセネトモ、医者ノ言コトハ實トヲモヒテ気ヲヨクスルモノナリ。大事ノ手ヲヒナラバ、手ヲヒニカクシテシンシヤクスベシ。


 手ヲヒとは患者さんのこと。一般的に、今にも死にそうな患者さんにでも、安心するように話さねばなりません。そうすると患者さんは治す力を得られるのです。身近の人からの励ましを信用しなくても、医者が「大丈夫。心配いらないよ。だんだん良くなるよ」などと言えば本当のことだと思って、気分が良くなります。命の危険がある患者さんに「あなたは死ぬかもしれない」などと言わず、斟酌すべきであると、言っています。


 ここであえてこのように言及しているのは、当時死にそうだと思われる患者さんに、「あなたは死ぬ」という医者がいたからです。でもこれは江戸時代からではありません。二千年以上前から死を予言する医者の逸話が数多く残されているのです。むしろ死を予言することが名医であるように伝えられてきたので、医者がそれを目指すことは普通でした。現代でも「あなたの病気は治りません。余命〇年です。あきらめなさい」などと医者から言われる患者さんが結構いますね。でも、もしそう言われても信じないことです。フランスの哲学者、アランも以下のように言っています。


カッサンドラは不幸を告げる。眠っている魂たちよ、かずかずのカッサンドラに不信をいだけ。真の人間は奮起して未来をつくるのである。


つづく


註)カッサンドラ: ギリシャ神話のトロイア王プリアモスとヘカベとの娘。プリアモスの娘のうちでもっとも美しく、アポロンは、彼女の愛を得んがため、彼女に予言の力をあたえたが、この力を得たのち、彼女はアポロンをしりぞけたので、彼は彼女の予言をだれも信じないようにした。

アラン『幸福論』白井健三郎訳 参照


(ムガク)


江戸時代の外科手術(2)-腹を納る法-

2010-09-18 16:54:17 | 江戸時代の医学

 今回はお腹を刀などで切られてしまい、はらわたが出てしまった時の手術です。紹介はしますが、真似はしないでくださいね。身近な人のお腹が裂けてしまったら、応急救護をして救急車を呼びましょうHarawata


腹ヲ納ルコト先ツ、気付ヲ用テ入ルベシ。大麦ヲヨク煮テ其汁ニテ腹ヲ洗ヒテ、モシ腹ニ疵アラバ人油ヲ付テ糸ヲ以テヌイ、右ノ麦ノ煮タルアツキヲフクサモノニツツミ、二ツモ三ツモコシラヘテ腹ニヲシアテ、腹をアタタムナリ。アタタマレハ、腹ヤハラクナリ、チイサク成ナリ。冷レハコハバリ、大キニフトルナリ。


 お腹を入れるに先立って、患者さんを気付けさせます。それから大麦を使うのですが、これは煮汁とカスを両方使います。煮汁はお腹の洗浄に使いますが、この中にはカンジシンが含まれています。これは血圧を上げたり、呼吸や心拍数を抑制したりといった作用を持っています。また煮出した麦は熱いうちにフクサに包んでホットパック(カイロ)を作ります。こうしてお腹を温めると、傷口の筋肉が過剰に収縮した状態を緩和できます。一石二鳥ですね。


サテ生レテ十七日ノ内ノ赤子ノフンヲ、鳥ノ羽ニテヨク腹ニクルリトツケテ、柳ノヘラニテソロソロト押シ入ベシ。イラズバ、人ヲシテ童ノアヲノキネタルヲ膝ヘアゲルヤウニ、病人ノ左ノ方ヨリ片手ハクビボンノクボヘ入レ、片手ハ足ノヒツカガミニサシ入レテ、ソロソロヲコサセテヘラニテ押入ルベシ。入レテ両ノ疵ノ口ニ人油ヲ引テヌウナリ。人油ヲ引トキシヅクモ内ハヲチヌヤウニ引ベキナリ。


 前回の「頭脳を納る法」でも出てきた赤子のフン、これは生後17日以内のものを使います。赤ちゃんのウンチは、生まれてからの日数とともに質が変ってきます。だんだんと臭いが強くなり、清潔でなくなってくるのです。なので外科医は、どの家にいつ生まれた赤ん坊がいるか、常に調べておく必要があったでしょうね。
 鳥ノ羽は、柔らかくて人体に与える刺激が少なく、フンをまんべんなく塗るために使います。これも清潔なものが良いですね。
 柳ノヘラはしなりがあり柔らかく、またサリチル酸を含んでいるので、痛みや炎症に少しは良いかもしれません。でもこれを使う最も重要な理由は、後に記されています。
 赤ちゃんのオムツを換える時の姿勢にするとお腹が緩み、はらわたを入れやすくなります。


サテ疵ノ大小ニヨリ、イク処ナリトモヌイテ、天利ヲモメンニ付テタマゴニヒタシ、上ニ付テ其上ニ青膏ヲ紙ニ付テ上ニ貼ヲクナリ。毎日天利青膏ヲ替テ療治スベキナリ。


 天利青膏は前回も出てきましたね。


多クハ入リ残リタル腹有ベシ。其レハ巴豆ヲ皮ヲ去リテ油ヲトリ、右ノ糸三筋バカリ一ツニ合セ、其糸ニ巴豆ノ油ヲヨク付テ腹ノ入リノコリタルキハヲ三ツ四ツマトヒテ、シツカリトムスビテ、糸サキヲキリテ、上ニ青膏ヲ付テヲクナリ。


 巴豆ノ油は歴史の長い毒薬です。主に下剤として使われてきましたが、とても毒性が強いので、現代ではほとんど使われることはありません。ありとあらゆる生物に毒性を示します。皮膚につくと強い灼熱感や炎症をひき起こし、水疱になることもあります。また白血球を増加させるというデータもあります。それを、お腹に入りきらなかった肉を縛るための糸に塗るのです。


亦色々ニ入レテモ、腹大キニフトリ、コハバリテ入リガタクバ、ヘラニテ腹ノ痛マヌヤウニ、ワキヘヲシヨセ、切カタナニテ腹ヲ五分バカリキリヒロゲ入ルベシ。


 なかなか腸がお腹に収まらない場合は、メスで傷口を切り広げて入れる場合があります。


先ツ萆麻子ヲツブシ、ソクイノヤウニヲシテ、アツアツトカミニ付テ、疵ノトヲリノウシロニ、大キサ四寸四分バカリニシテ付テヲキ、腹モ入テ療治シ、マイタラハ背ノ付薬ハトルベシ。


 萆麻子はひまし油のひましです。少し毒がありますが、排膿や抜毒、止痛や患部の腐敗防止の効果などがあります。
 ソクイというのは続飯のことで、ご飯粒をつぶして練って作った糊のことです。


又モヤシ麦ヲ細末ニシテ腹入時ヒネリ懸ルハ一段トヨシ。入レサマニ内ヘ磁石滑石等分ニシテ細末ニシテウス茶一プクバカリ湯ニテ用ユ。其跡ニテモ日ノ内二三度用ヨ。


 モヤシ麦とは食べ物ではなく、燃やし麦のことで、炭化した麦です。炭は毒物の吸着に優れていて、内服薬としても用いられます。現代でも尿毒症の時によく服用します。
 磁石滑石はどちらも薬です。磁石は、ここでは磁鉄鉱のことではなく、おそらく朱砂をさしています。朱砂は水銀鉱物で化膿に使われていました。今ではほとんど見かけなくなった赤チンも水銀です。でも有機水銀ではないので中毒の心配はありません。
 滑石は加水ハロサイトのことです。現代の漢方薬にもよく使われていますが、浸出の多い皮膚炎などに外用薬としても使われていました。


其後ハ内薬ハ補気調血飲ヲ用ユルナリ。


 補気調血飲とは煎じ薬のことで、「諸々ノ金瘡尤モ反張アル者、治之如神」と言われていました。配合は当帰、川芎、生地黄、人参、白芍薬、白茯苓、白芷、沢瀉、蒲黄(生)、紫檀、枳殻、沈香、大黄(半生半炮)、肝木(葉クキトモニ日ニホシ各等分)、甘草(少)などですが、症状により他の生薬を加えます。詳しくは割愛します。


大事ノ者ナリ。不功者ナレバ見アヤマリ死スルナリ。脉ヲタシカニシテ、問薬ヲ用ヒ、能タメシテ療治スベシ。若シ死レハ、ヘタニテ療治シコロシタルト人ニイワルルナリ。様子ヲヨク見テコトハツテスベシ。


 お腹を切られて、はらわたが出ている患者さんは命を落とす危険がある大事ノ者である、ということです。程度の低い医師だと見誤り、患者さんは死んでしまいます。慎重に慎重を重ねて治療しなければなりません。治療した後に患者さんが死んでしまうと、「ヘタニテ療治シ、コロシタル」と言われてしまうからです。診断とインフォームドコンセント(説明と同意)の重要性を、医師の立場から説いています。
 問薬というのは、薬を飲ませて患者さんの生死を試定する診断法のことです。小児の臍帯を刻んで煎じて用います。これを服用させ三度吐くと、必ず死ぬと言われていました。また陰干ししたイノシリ草や虎の肉を使う方法もあります。残念ながら、この診断法の仕組みや精度は不明です。


偖又、始終腹ヲ指ニテイロフベカラズ。毒ナリ。ヘラニテイロフベシ。モシワタニモキズアラバ、ソレモヌウテ青膏ヲツケズニ入テウヘヲヌウベシ。


 イロフとは弄ふのこと。始終、お腹を指で触ってはいけない、それは毒になると言っています。面白いですね。院内感染予防の父と呼ばれるゼンメルワイスが、産褥熱の研究から院内感染の原因が医師の汚染された手である、と主張したのは19世紀中頃のことです。それより半世紀以上前、江戸時代にそのような思想があったのですからね。柳のヘラで処置する理由は感染の予防のためなのです。


つづく


(ムガク)


江戸時代の外科手術(1)-頭脳を納る法-

2010-09-14 19:19:05 | 江戸時代の医学

 しばらく育児を言い訳にしつつブログを休んでいましたが、そろそろ再開させていただきます。さて、何について書こうかなと考えましたが、広く知られている事柄については面白くないので、江戸時代の外科的医療についてはいかがでしょうか。ただここでは華岡青洲(1760-1835)の業績のようなエポックメイキング的なものではなく、日々日常のドロドロとしたものを取り扱っていこうかと思います。主な出典は天明七年頃(1787年頃)に記された『外科手引艸』です。


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江戸時代の外科手術(1)-頭脳を納る法-


 頭を強打し頭蓋骨が割れて、中身が出てしまった時の手術です。紹介はしますが、真似はしないでくださいね。身近な人の頭が割れてしまったら、応急救護をして救急車を呼びましょう。


ハチワレタラハ、ワレメニ人油ヲ付テツヨクヲシ合セ、両方ニ物ヲカヒテツヨクシメテユイテ、件ノ天利ヲ玉ゴニヒタシ付テ上に青膏付テヲク。


 この人油というのはどうも人間から採った油脂のようですね。牛から採れば牛脂、豚から採れば豚脂、ゴマから採ればゴマ油、ヤシから採ればヤシ油と呼ばれます。同じ水に溶けない油脂でも動物性のものと植物性のものではその融点が異なります。動物性の油脂は融点が高いので常温では固体であるのに対して、植物性のそれは低いので常温では液体です。固体だとハマグリなどの貝殻に入れるなどして携帯や取り扱いが楽になります。この人油、どうやって採ったのでしょうか。想像したくないので記しません。しかし人体というものは宗教的道徳的そして法的に禁じられるまでは、世界のあらゆる場所で、食料としてまた薬として扱われていました。日本でも明治時代になっても薬店で人体から作られた薬が売られていました。人の尿も乳も薬です。「爪の垢を煎じて…」の爪も薬です。プラセンタと呼ばれる胎盤もそうです。輸血や臓器移植も人体を利用した医療ですね。その目的が生命を助けること、そこに仁愛があるのであれば、それらの印象も変ります。


 天利というのは天利膏のことで、これは白蝋と野師(ヤシ)油を混合して作った軟膏です。続物縫物によく使われます。配合は季節によって異なります。白蝋と野師油の比率は、夏は6:4、冬は5:5となっています。夏は暑いので融けにくくなるように工夫されていますね。
 青膏は「たこの吸出し」という名で今でもありますね。殺菌力のある塩基性炭酸銅、緑青が使われています。


毎日薬を替ベシ。脳出デタルモ、ウス皮ヤブレズハ生ベシ。ソレトモドロケタルモノ出ルニハ赤子ノフンヲウスキ皮ニモ脳ニモ付テ入レハ則チ入ナリ。ムラナク出タル分ニ付ベシ。入タルアトハ右ノゴトク療治スベシ。


 ウス皮とは脳を保護する硬膜やクモ膜、軟膜などのことです。頭が割れて脳が出ても、これらの膜が破れなかったら、クモ膜などの出血もなければ、大丈夫です。
 ドロケタルモノ、これはなんでしょう。脳脊髄液のことでしょうか。出ても大丈夫なの?っていう声も聞えてきそうですが、もし脳圧が亢進している状態だったら、少し出たほうが逆に良いかもしれませんね。
 赤子のフンは衛生的にどうなんでしょうか。ちょっと心配ですね。でも当時の他のものと比べるとはるかに良いものです。乳児は完全栄養食であり、殺菌力もあるラクトフェリンが含まれる母乳だけ口にして、腸内の細菌叢もまだありません。乳児のフンは人体に親和性が高く、また免疫グロブリンを多く含んでいるのです。問題はそれの保存であり、細菌が繁殖する前の新鮮なフンを使うのがベストですね。


内ヘ水油気入レハ死スルナリ。惣体赤子ノフンハ手足ヲツグニ骨ニ両方ニヌレ。ヨク骨ズイニ入テ合コト妙ナリ。


 もし脳のウス皮の中に水分や油分が入れば死んでしまいます。あるいは手術をしたのに死んでしまった場合に水分や油分が入ったためである、と説明したのかもしれません。赤子ノフンは手足の骨折にも使えるようですね。妙ナリというのは実際に成功する確率が高い、ということです。


 頭の外科手術は現代医学だけのものではありません。すでに古代ギリシャのヒポクラテスもインドのジーヴァカも頭の外科手術をしているのですから。現代のそれは、より衛生的に、精密に、深く治療できるように進歩したのです。ただ、今の時代も、昔の人が全国からあるいは海外から腕の良い先生を探す必要があったように、そういう努力や運が必要みたいですね。


つづく


(ムガク)