はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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No.69 吉益東洞と親試実験

2009-02-16 20:30:05 | 医学のはなし

実験の重要性を物理学の分野においてはじめて認めたのはガリレオ・ガリレイ(1564-1642年)でした。現代医学の分野においてはクロード・ベルナール(1813-1878年)が代表的です。また漢方などの伝統医学の分野では古方派医学の大家、吉益東洞(1702-1773年)の名があげられます。


古方派医学の特徴は後世方派医学が重要視した(自然や人間を同時に説明しようとする)陰陽論や五行論、運気論などの理論を捨てたことです。しかし吉益東洞の言葉をまとめた『医断』によると、「理」と呼ばれる何かしらの原理や法則の実在を否定していないことが分かります。


「蓋し理は本もと悪むものに非ざるなり、その鑿(コジツケ)を悪むのみ…理は定準無く、疾は定證有り、豈定準無きの理を以って定證有るの疾に臨む可からんや…理は黙して之を識る」(鶴冲元『医断』より)


というように吉益東洞は「理」の実在を認めていましたが、医療行為においては(後世方派の)理論を無視しました。その代わりに個人の経験に頼ることを重視しました。そして自ら新しい治療法を考え出し、それが正しいかどうか実際に病人で試すという方法を採りました。それは「親試実験」と呼ばれていますが、現在の「臨床試験」と呼ばれる人体実験と似ています。


ところで仮説演繹法と呼ばれるものがあります。それはまず個別的なデータから仮説を考え出します。その仮説にもとづいてある予測をたてます。そしてその予測が正しいかどうか観察や実験により検証するというものです。ガリレイであれ、ベルナールであれ実験する前には仮説をつくりました。そして吉益東洞の仮説は「万病一毒論」と呼ばれています。


「万病一毒、衆薬みな毒物、毒を以って毒を攻む、毒去りて体始めて佳なり、初め元気に損益なし、何ぞ補を云わんや」


と主張して毒薬(作用の強力な生薬)により治療するという「親試実験」をおこないました。その仮説と方法に反対する医師もいましたが「万病一毒論」は一世を風靡しました。後世方医学と比較してはるかに単純な理論と、またもう一つの「病人の生死は天命であり、医はそれを救うことはできない」(註1)という医師の責任回避可能な主張は、医師家業で生活する人々にとってどんなに魅力的だったことでしょうか。しかしその「親試実験」により命を失った人々や家族にとってはたいへんな悲劇です。


この「親試実験」をした時、その検証を行うのは何かというと、それは人の心です。そこには意識の指向性が働いています。つまり一つの学派を立てようとする人の心には、他の流派では治らなかったという事実へ、また自分の流派では治ったという事実へ意識が向けられてしまいます。この「捉われの心」は現在の医療界(現代医学や伝統医学に関らず)にも存在するようですので注意が必要です。


「万病一毒論」は吉益東洞の個人的な経験から生まれました。初めは実験だった吉益流の医術も臨床経験を積んでいくうちに洗練されて治癒する人が増えたことと思います。しかし次の世代には別の問題が生まれてきます。


それは流派や理論に対する信仰であり、先生や医学書の言葉を絶対的に捉える、いわゆるパリサイ人の出現です。パリサイ人とはマタイの福音書にある、聖書の言葉だけを守り自分が神様に一番近いと思っている人のことです。そこではイエス・キリストは言葉ではなく、ものごとの本質や真髄をつかむ大切さを説いています。(そういえば荘子も忘筌の喩えで同じことを言っていましたね)


古方派医学は理論的な朱子学にもとづいている後世方派医学への反動として生まれたと言われています。しかし直接的には古方派は後世方派の中にパリサイ人が増えてきたことにより生まれたのかもしれません。そして歴史はくり返されるようですね。


それはさて置き、古方派により、後世方派の理論とともにそれが生まれるもとになった数多くの経験が捨てられて、しかもそれが日本の医学の主流になってしまいました。この時代において、個人を越えた経験の集積と理論の形成、そして修正、という流れが途切れてしまったことは残念なことです。


それは明治時代に漢方や鍼灸医学がドイツ医学に取って代わられる一因になったかもしれません。なぜなら日本で主流の伝統医学の力が(確かに名医は存在しましたが、日本の全ての医師の能力や医療システムを考えたとき)ドイツ医学より高ければ、政府から伝統医学が存続を認められなくなる、ということはなかったでしょうから。


(註1)吉益東洞『医事惑問』、『医断』参照


(ムガク)


No.68 EBMと熱力学

2009-02-05 20:26:19 | 医学のはなし

EBMとは「Evidence-based medicine」の省略で日本語では「根拠に基づいた医療」と呼ばれています。どんな根拠かというと、それは生理学や解剖学などによるものではなく、疫学や統計学によるものです。EBMは20世紀末期に現れましたが、しだいに広まりつつあります。


それまでは「私はそれはこう治療している」とか「高血圧の人は脳卒中や心筋梗塞になりやすい。故に降圧薬を使えばそのリスクは減るはずだ」というような、個人的な経験や推測を根拠にして治療するのが主流でした。


しかしEBMが現れると、今まで良いと思われていた治療が広い目でみると逆に死亡率が高く危険であることなどが発見されてきました。数え切れない人々の命や健康がEBMにより救われたことになります。これはたいへん大きな成果ですね。


このEBMを考えると熱力学が思いだされます。一つは医学に関することであり、もう一方は物理学に関することなのになぜなのでしょう。それはどちらも統計に基づくからのようです。量子力学の生みの親であるエルヴィン・シュレディンガー(1887-1961年)はこんなことを言っていました。


「物理法則は原子に関する統計に基づくものであり、近似的なものにすぎない。


…原子はすべて、絶えずまったく無秩序な熱運動をしており、この運動が、いわば原子自身が秩序正しく整然と行動することを妨げ、小数個の原子間に起こる事象が何らかの判然と認められうる法則に従って行われることを許さないからなのです。


莫大な数の原子が互いに一緒になって行動する場合にはじめて、統計的な法則が生まれて、これらの原子「集団」の行動を支配するようになり、その法則の精度は関係する原子の数が増せば増すほど増大します。事象が真に秩序正しい姿を示すようになるのは、実はこのようなふうにして起こるのです。


生物の生活において重要な役割を演ずることの知られている物理的・化学的法則は、すべてこのような統計的な性質のものなのです。…」(シュレディンガー『生命とは何か』岡小天・鎮目恭夫訳)


物理的・化学的法則は原子の集団の法則です。一個の原子の運命をその法則から知ることはできません。同じように臨床の世界でも一人の病に苦しむ患者さんの運命を疫学や統計学により知ることはできません。あくまでも分かるのは集団の傾向なのです。


それなので例えば「あなたの命はあと○カ月です」とか「この病気は治りません」などと患者さんに言うことはできません。それは非人道的なだけではなく非科学的な言動です。悲しいかな、心が弱っている時にそんなこと言われたら、一種の暗示や呪いのように無意識のうちにそれを実現しようとする働きが生まれてしまいますよね。


経験医学であれEBMであれ大切なことは治療後の効果の確認です。過去の別の人の経験や統計どおりに目の前の患者さんが治癒していく保障はないのですから。確率には常に不確実性が付きまとっています。


「待ちぼうけ 待ちぼうけ ある日 せっせこ 野良かせぎ そこへ兎が飛んで出て ころり ころげた 木のねっこ」(北原白秋『子供の村』より)


この守株(カブヲマモル)のお話は2200年以上前からあるようですね。昔も今と同じ問題があったようです。


EBMと漢方・鍼灸医学のことを書くつもりがだいぶ話題がずれてしまいました。伝統医学についてのエッセーはたぶん次回からまた再開したいと思います。


(ムガク)