はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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No.96 ハイゼンベルクの不確定性原理と生命

2010-01-26 20:22:51 | 医学のはなし

ヴェルナー・ハイゼンベルク(1901-1976年)は1927年に『量子論的な運動学および力学の直観的内容について』という論文を発表しました。この論文の「不確定性原理」というものが、物理学の世界に革命をもたらしました。


私たちは飛行機でも電車でもその位置と運動について知ることができます。それなのでフライトスケジュールやダイヤと呼ばれるものがあります。何時に出発して何時に到着する。ある時間にはある特定の場所にいることを、事故でもない限り、測定および計算できることを当然のように感じています。


ところで、私たちが何かを観測する、認識するということに何かしらのエネルギーの移動が必要です。例えば、見るためには光のエネルギー、可視領域の電磁波が網膜の細胞にエネルギーを与えることが必要です。また聴くためには音のエネルギー、空気や物の振動が耳の鼓膜を介して聴細胞にエネルギーを与えることが必要です。嗅覚や味覚、触覚もまたしかりです。とは言ってもこれはデカルト(1596-1650年)やロック(1632-1704年)の言うところの知覚因果説という確からしい仮説の一種なのですが、そのようにして私たちは実存をつくりあげています。


私たちと同じ大きさのもの、またはより大きなものでは感覚する際に与えるエネルギーの割合はとても小さいので無視して考えることができます。しかしそれが小さい世界、豆よりも細胞よりも小さい、原子の世界になると話が違ってきます。なぜなら、もっているエネルギーが少ないので、それを与えた途端に自身の状態が大幅に変化してしまうからです。


このことについて、ハイゼンベルクは電子の位置を測定するための実験を考えました。それは電子に光を当てて顕微鏡で見るというものです。ただし電子はとても小さなものなので、ガンマ線という波長の短い電磁波を使います。電子に当たったガンマ線は反射し、顕微鏡のレンズにより屈折されて写真乾板上で観測されます(光電効果)。ハイゼンベルクの言葉を引用すると、


「位置測定の瞬間に、したがって光量子が電子によってそらされる瞬間に、電子は運動量を変える。この変動は使われた光の波長が小さいほど、すなわち位置の決定が精密なほど、大きい。そのため電子の位置がわかったその時刻には、電子の運動量は、この不連続的な変動に対応する量をふくめてしか知ることはできない。したがって位置が正確に決定されればされるほど、それに応じて不正確にしか運動量はわからない、またその逆。pq-qp=h/2πi という関係式の直接的直観的な解明が見られる。q1を値qがそれでもってわかる精度(q1は例えばqの平均誤差)、つまりこの場合は光の波長とし、p1を値pが決定されうる精度、この場合にはコンプトン効果におけるpの不連続的な変動とすると、コンプトン効果の基本的な公式によって、p1とq1とは


p1q1~h (1)


の関係にある。」


ここで導かれた法則が「不確定性原理」と呼ばれています。この方程式があるために、誤差をゼロにすることが不可能なわけです。すべての物質は原子から成り立っていますが、その基本の構成元素にはこのような性質が存在しています。とすると因果律というものはどうなるのでしょうか。ハイゼンベルクは以下のように言っています。


「因果律の決定論的な定式化、現在を精確に知れば未来を算出できる、というのは(仮定判断における)後件(Nachsatz)ではなくて、前提(Voraussetzung)が誤まっているのである(註1)。われわれは現在をそのあらゆる規定要素について知ることは不可能なのである。それゆえ知覚すること(Wahrnehmen)はすべて、多様な可能性のうちからの一つの選択であり、未来の可能性の一つの制限である。このとき、量子論の統計的性格はあらゆる知覚の不正確さと密接に結びついているものであるから、知覚された統計的な世界の背後にはなお、因果律の成り立つ真の世界がかくれているのではないかという憶測に心をそそられるかもしれない。だがこのような思惑(Spekulation)は、とくに強調するのであるが、非生産的であり無意味であると思われる。物理学は知覚の間の関連だけを形式的に記述すべきであろう。ことの真相はむしろ次のように言えば適切にしめされよう、あらゆる実験が量子力学の諸法則に、したがって(1)式にしたがう以上、因果律の不成立は量子力学によって決定的に確立される、と」


こうして新しい思想が誕生しました。それはさまざまな分野に影響を与えましたが、生化学や医学もその一つです。ハンガリー出身の生化学者、セント=ジェルジ・アルベルト(1893-1986年)は量子生物学を提唱しましたが、『医学の将来』という論文で以下のように言っています。


「組織(organization)というのは次のことを意味している。自然がなにか意味のあるように二つのものを組み合わせると、その構成要素の性質から説明できない新しいものが生ずるということである。このことは、原子核や電子から巨大分子や完全な個体に至る複合体の全域にわたって真実である。これが真実であれば、その逆もまた真実である…。


生命ということばの真の意味をより深く理解するには、越えねばならない広い溝がまだどこかにあるし、分子と高次構造との間をへだてている裂け目がまだあるのである。不遜に聞えるかもしれないが、この疑問には答えることができると考えている。われわれは、この分析を進めるにあたっては、一次元低く、原子や分子の次元から下って、基本的な粒子の次元、電子や量子の次元へ至らねばならない…。


私の感じから言えば、生物はそれ自身のなかに、これまでにはまだ確立されていなかったある原理、いわば自分自身を完成させる傾向をもっていると思われる。この原理を量子力学のことばで表現できるかどうかはわからない。新しい物理学の原理が見つけだされるのを待たなければならないのかもしれない。生物系は生命をもたない系から生じてきたのだから、この自己完成原理はすでに水素原子のうちに存在していたのかもしれない。それはあたかも、冬に霜が窓に作るすばらしい像は、ある意味ではすべての水の分子の中に存在しているのと同じように、生命はその起源をこの原理に負うているともいえよう」


決定論により無味乾燥になりかけた生命が、科学的に解明されつつ、さらに美しく輝きはじめることになりました。伝統医学の研究においても量子論は必要かもしれませんね。


つづく



(註1)部分論理式A→Bのうち、Aを前件、Bを後件と呼びます。ここでは「現在を精確に知れば」が前件、「未来を算出できる」が後件です。


(ムガク)