はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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No.30 大森荘蔵と気

2008-03-24 22:17:10 | 気・五行のはなし

シュレディンガーの猫という「重ね合わせ」というパラドックスの影響を受けたかどうかはよく解りませんが、大森荘蔵(1921-1997年)という哲学者は17世紀の科学革命以来、科学から心が排除されてしまったことで生じた問題を解決する方法を提案しました。


「道徳的行為も芸術活動も、放射能崩壊や惑星運動と同様に全く無意味な死物運動にすぎない。こういう見方が現代科学が与える世界描写なのであり、現代に生きるわれわれに巣食う不安の根源であって、それに較べれば流行の自然破壊や脳死その他の生命倫理の問題は取るに足らないように見える。…この不安を根絶することはできないが、多少とも鎮静させる方策がないでもない。…私が本書で提案するのは「重ね描き」の概念である。」(大森荘蔵『知の構築とその呪縛』)


大森荘蔵はこの「重ね描き」の概念を提出したのち、たとえとして科学者が鉄の一片とその原子集団をどのように認識するのかについて、は以下のように言っています。


「…彼(科学者)は見えている場所に見えているままの形で鉄の原子という「物」の配列がある、と考えていることは確かだからである。いい換えれば、彼は知覚風景によって「物」の存在と形とを「定義」しているのである。…この定義によって「物」は「知覚像」にぴったり密着していることになる。…「物」と「知覚像」の一心同体的同居は、それぞれの住宅である客観的世界と主観的世界との一心同体的同居を伴う…。日常描写と科学的描写は共に、一にして「同じ状況」の二通りの描写なのである。換言すれば日常描写に科学的描写が「重ね描き」されるのである。」


12世紀に生まれた朱子学はその時代の最先端の科学を含んでいました。その内の気の哲学を受け継いだ人々が気を認識した方法は現代の科学者が原子を認識した方法と同じであると思います。これは原子顕微鏡を使用するなどの観測レベルはもちろん異なりますが、原子顕微鏡そのものが目の前にありそれを触り認識する経験、その仕方は同じという意味においてです。


江戸時代の儒医は気を観ていました。それも超能力などによるものではなく、いわゆる客観的なものに重ね合わせて観ていたのかもしれません。これは気の一つの定義です。江戸時代には気の意味は他にまだ存在し、それは武士社会であったことが関係していると思いますが、それについてはまた今度…。


(ムガク)


No.29 シュレディンガーの猫と気

2008-03-16 22:09:37 | 気・五行のはなし

張横渠は気を物質や生命の構成元素として定義しました。気(氣)とはもともと米を炊いた時の湯気という意味があったようです。その湯気を光に対して観測すると小さい粒子が見られます。また水中に漂う分子を光に対して観測すると小さい粒子の運動が見られ、これをブラウン運動と呼びます。しかし多くの物質の構成元素を肉眼にて確認することは不可能に近いことと思います。なぜなら、例えば今見ているパソコンがあることは判りますが、そのパソコンの構成元素を純粋意識によって確認できないからです。


それでは張横渠や気の哲学を受け継いだ人々はどのように気を見ていたのでしょうか。それとも気とは見ることなく、ただ思弁的な説明概念として使用していた用語に過ぎないのでしょうか。


1935年にシュレディンガー(註1)はある思考実験を発表しました。それは「シュレディンガーの猫」と呼ばれる有名なパラドックスです。


その思考実験とは、生きた猫を放射性物質とその検出装置および毒ガス発生装置と一緒に鉄の箱の中に閉じ込め、猫が生きているか判らないようにします。箱の内部は放射性物質が原子核崩壊を起こして、検出装置がその放射線を検出すると毒ガスを発生するように作られています。そして一時間で放射線を放射する確率が50%として一時間後に猫が生きているのか、それとも死んでいるのかという問題です。


当時、量子論において原子核が崩壊して放射線を放射するかしないかは、観測者が放射線を観測するかしないかで決定するという理論がありました。観測した時点で量子の波の収縮が起きるということです。それ故に物理学の世界に観測者が観測するまでは放射線がある状態とない状態の重ね合わせの状態にあるという、実在とも非実在とも異なる新しい状態が生まれました。


さて箱を開ける前では、箱の中の放射性物質は原子核が崩壊した状態と崩壊していない状態の重ね合わせの状態になっています。その時箱の中の猫は生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせの状態になっているのでしょうか。猫の半殺しの状態を想像はできても生と死の重ね合わせの状態を想像することは難しいと思います。


しかしこのパラドックスが思想界に多くの影響をあたえました。そしてまた気の哲学にも応用できそうです。


(註1)シュレディンガー(1887-1961年):物理学者であり1933年にはノーベル賞を受賞しています。シュレディンガー方程式を生み出し量子力学の確立に大きな力となりました。


(ムガク)


No.28 張横渠と気

2008-03-10 22:36:51 | 気・五行のはなし

張横渠(1020-1077年)は宋代の唯物論哲学者です。彼は全てのものごとを対立する相互関係として理解しようとしました。どうも易の影響を多く受けているようです。


「物に孤立の理なし。同異、屈伸、終始もってこれを発明するに非ざれば、物といえども物に非ざるなり。事は始卒をありて乃ち成る。同異、有無、相感ずるに非ざれば、即ちその成を見ず。その成を見ざれば、即ち物といえども物に非ず。故に曰く、屈伸相感じて利生ずと。」(『正蒙』動物篇)


というように、彼はその対立するものの両方を明白に認識し、統一することでものごとの本質に迫ろうと思いました。例えば善悪に関しては、善も悪も単独では存在しえないものなので、善についても悪についてもよく認識しようとします。またそれは自己の内外についても当てはまります。つまり主観と客観の対立の統一をはかります。そして自己の本質に近づくことが自己の外のものごとの本質に近づくことと同一になりました。これは程伊川(1033-1107年)や朱熹のいう「格物致知」の思想と似ています。


さてそれは置き、張横渠といえば気の哲学で有名です。それは朱子学の根幹を形成しているとともに江戸期の儒家に大きな影響を与えたようです。江戸時代に入ると医師の仕事は儒家の手に渡っていきました。そして朱子学、陽明学に関わらず儒学を学んだ医師(儒医)もその気の哲学を受け継いでいるのではないかと思われます。


その気の哲学は何なのかというと、万物は気によって構成されているということです。宇宙は空虚なのですが気によって満たされて、その気の集合と離散によって万物は生まれ死んでゆくと考えました。これは『荘子』に由来するかもしれませんが、張横渠は気とはとても小さい粒子状の物質として定義して考えたようです。その当時の気については神秘性は全くありませんでした。


これはデモクリトス(BC460-370頃)の原子論と全く同じレベルのものごとの説明方法です。原子論は後にジャン・ぺラン(1870-1942年)によって実証されました。そして原子は陽の電荷を持った原子核(陽子と中性子からなる)と陰の電荷を持った電子から構成されています。


気も陰と陽の二つに大別して考えられていました。したがって陰の気は電子であり、陽の気は陽子なのでしょうか。そうではないでしょう。これらの二つは観測のレベルが異なります。故にものごとの解釈が異なっていても当然であり、単語の定義つまり思想の切りとり方も異なるのです。


(ムガク)