はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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No.12 医学と宗教

2007-12-20 20:28:38 | 医学のはなし

「先生の学説への信頼は学派の創設のとき、つまり新しい研究方向の基礎をつくるときにいかに有効であっても、教義形成の危険をともなっている。…教え子たちは使徒となり、学派は宗教や信仰と化する。…意見の一致しない者は異端者の刻印を押され、中傷され、そのうえあらゆる信用を失う。(コンラート・ローレンツ『文明化した人間の八つの大罪』より)(註1)


これは現在の東洋・伝統医学会の中においても、その他の学会、大学の中においても観察される現象です。過去においては、アリストテレスやニュートンを見ても、中国の歴史を見ても、人々は学問の派閥を形成して他の派閥と対立します。他の派閥の学説は無批判的に批判し、同じ派閥の学説は無批判的に受け入れることがありますね。


現在、日本の漢方、鍼灸業界は流派が多様化して、理論や手技の統一性がありません。これは初診時の流派の選択が賭けになるという欠点もありますが、多様化した患者さんに対応しているようです。そしてどの流派も病を治癒しています(医療者個人としての知識と技量は別問題ですが)。特に日本の鍼灸医学界では、患者さんの皮膚、体表の状態を把握するため、触覚などの感覚を重視することが多いようです。この触覚などは感覚的なものなので自然科学的には(記号化、描画などにより翻訳は可能ですが)記述できません。このいわゆる非客観性が流派間の対立に拍車をかけます。


ここしばらく言われている西洋医学界と東洋医学界の対立らしきもの(それは明治時代には既にあったように思われますが)、も似たようなものだと思います


ちなみに「東洋医学は自然治癒力を増進させる治療を行い、西洋医学は病原物質を排除する治療を行う医学である」とか「東洋医学は全身を治療し、西洋医学は身体の一部分のみ治療する医学である」などの意見がありますが、これらは西洋と東洋の対立ではありません。言語の恣意性により単語の意味が変化を起こしているための誤解です。このことはまた後日にまとめたいと思います。


ソシュールは「言語は社会的生産物である」と言っています。そして単語の意味を船にたとえています。いったん造船所で作られ海洋に出ると、どんな航路になるかは誰にも判らないのです。


言語の誤解を減らしていくこと。それには他の人の言葉に耳を傾けていくこと。そしてそれから学んでいく「寛容さ」を持つことが必要のようです。


(註1)コンラート・ローレンツ(1903~1989)。動物行動学者であり著作では『ソロモンの指輪』が有名です。動物に対する愛にあふれています。1973年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。


(ムガク)