陰陽戦隊ゴギョウジャー 第一話 召集 解説 「五行と色」
ムッチー先生のこのお話は一読するとくだらなく思えますが、けっこう深く計算されているようです。しかし五行学説を知らない人にとっては何のことかさっぱり分らないかもしれませんので、簡単に解説したいと思います。
陰陽五行説は古代中国、戦国時代の鄒衍(BC305-240年頃)によって体系づけられた自然科学的哲学のことです。もともと陰陽説と五行説はまったく別の思想であり、上古から存在したとも言われています(確かな証拠はありません)。それが鄒衍によって結合され、理論として完成されると、あらゆる学問に応用されることになりました。政治や宗教、兵法や占い、自然科学やもちろん医学に対してもです(「No.88 鄒衍と古代中国医学」参照)。
陰陽説と五行説はまったく別のものでしたが、それを生み出した人の意識について言えば、ある一つのことを除いてまったく同じです。それはものごとを分類する数です。つまり陰陽説は陰と陽の二つに、五行説は水火木金土の五つに分類します。そして自然界の不可思議な現象を理解するため、分類されたものごと間の関係性を観察し、理論として抽象していきました。
さて、このブログは伝統医学を考察することがたてまえなので、陰陽五行説の解説は古代中国医学で使われるものにしぼっていきたいと思います。今回は「五行と色」についてです。
五行の五つのカテゴリには五つの色が配当されています。
水 - 黒
火 - 赤
木 - 青(蒼と記載する文献もあります)
金 - 白
土 - 黄
病気によってこれらの色が顔に現われます。それを観察することで病の深さや古さ、予後などを推察することができます。たとえば『黄帝内経霊枢』の五色篇とか、『黄帝内経素問』の五臓生成篇などの医学書に書いてあります。ではこれらの色は実際にはどんな色だったのでしょうか。たとえば青が光の三原色のBlueを意味していると考えると、実際にそんな顔色の人はいませんよね(ブルーマンズを除いて…)。
言葉の定義というものは恣意的なもので、言葉の意味はその文献を記した人がその言葉をどのような考えていたかを表しています。それなので一番よいのは自分でなにかしらの文を読んでみて、その文ごとに言葉を定義していくことです。しかし、ここではあえて抽象的に話をはじめます。
抽象的な言葉の意味を調べるには字典を使うと便利です。陰陽五行説の影響を受け、時代も近い『説文解字』を参考にしてみると、どうでしょうか。それには以下のように記されています。
黒 - 火、薫する所の色なり。炎の上りてマドに出づるに従ふ。マドは古の窻(マド)の字なり。
赤 - 南方の色なり。大に従ひ、火に従う。
青 - 東方の色なり。木、火を生ず。生丹に従う。丹青の信、言必ず然り。
蒼 - 艸の色なり。
白 - 四方の色なり。陰、事を用ふるとき、物色白し。入に従いて二を合す。二は陰の數なり。
黄 - 地の色なり。田に従い炗(コウ)に従ふ。炗は古文光なり。
なんだか分かるような分からないような説明ですね。黒は何かを火で燃やした後の色なので、現在の「くろ」と同じようですね。黄は黄河流域の大地の色なので、これは「おうど色」のことですね。蒼は草の色なのでこれは「きみどり」です。しかし南方とか東方、四方の色というのは具体性にかけているので想像するのが困難です。しかたがないので『素問』の五臓生成篇からも少し引用してみると…。
黒きこと炱(タイ:すす)の如き者は死す。…黒きこと烏羽の如きものは生く。
赤きこと衃血(鼻血)の如き者は死す。…赤きこと鶏冠の如き者は生く。
青きこと草茲(枯れ草)の如き者は死す。…青きこと翠羽(かわせみの羽)の如き者は生く。
白きこと枯骨の如き者は死す。…白きこと豕膏(豚の脂)の如き者は生く。
黄なること枳実(からたちの実:みかんの一種)の如き者は死す。…黄なること蟹腹の如き者は生く。
これでだいぶ具体的になってきましたね。イメージがつかめてきたのではないかと思います。
さて古代の人は、なぜ色を五色に分類したのでしょうか。五行説があったからではありません。『孫子兵法』黄帝伐赤帝篇に、黄帝が赤帝や青帝、白帝、黒帝を討伐した記載があるように春秋時代にはすでに五色の分類がありました。五つに分類することが積み重なることによって五行説が誕生したのです。可視光線の約400から700nmの波長は無限に切り取ることができます。なぜでしょう。
それは、おそらく人間の視覚が網膜の錐体細胞と桿体細胞に依存していることに由来します。錐体細胞は三種類あり、それぞれ感覚できる波長が異なります。この三種の錐体細胞が長、中、短波長に反応することで無数の色を認識できます。桿体細胞は感度が良く、比較的暗い場所でも反応しますが色を認識しません。なので暗い夜道では色彩感覚はありませんよね。
つまり五色は色の三原色と明暗から生まれました。もし犬や猫が人間のように知性が高くても、色をほとんど認識できず、白黒の二色の世界にいるので五色の分類はしなかったでしょう。鳥だと紫外線も感覚できるので六色の分類を作り上げるかもしれません。何れにせよ五色は原始的な分類です。これに環境や文化的条件が加わると、虹の色の数が国や民族によって異なるように変化します。
また色はたんなる光の波長や強さだけではありません。それは見る対象そのものの性質でもあります。ある一つのものを見るとき、それが夜明け前でも、昼間でも夕焼けの時でも、同じものだと感じますね。よくよく反省するとそれぞれ異なる波長なのに、違うものとは思いません。これはたとえばミツバチにも当てはまります。ミツバチも色を認識しますが、その時の波長によらず昼間でも夕方でも目的の花の色に集まります。色は光の波長や強さだけでなく、見る対象の印象(イマージュの一つ)でもあるのです。
『老子』に「五色は人の目をして盲せしむ」とあるように、あまりに分類にとらわれ過ぎると、本当のものが見えなくなってしまうかもしれませんね。
(ムガク)