はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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陰陽戦隊ゴギョウジャー 第一話 召集 解説 「五行と色」

2010-03-27 20:56:43 | 気・五行のはなし

陰陽戦隊ゴギョウジャー 第一話 召集 解説 「五行と色」


ムッチー先生のこのお話は一読するとくだらなく思えますが、けっこう深く計算されているようです。しかし五行学説を知らない人にとっては何のことかさっぱり分らないかもしれませんので、簡単に解説したいと思います。


陰陽五行説は古代中国、戦国時代の鄒衍(BC305-240年頃)によって体系づけられた自然科学的哲学のことです。もともと陰陽説と五行説はまったく別の思想であり、上古から存在したとも言われています(確かな証拠はありません)。それが鄒衍によって結合され、理論として完成されると、あらゆる学問に応用されることになりました。政治や宗教、兵法や占い、自然科学やもちろん医学に対してもです(「No.88 鄒衍と古代中国医学」参照)。


陰陽説と五行説はまったく別のものでしたが、それを生み出した人の意識について言えば、ある一つのことを除いてまったく同じです。それはものごとを分類する数です。つまり陰陽説は陰と陽の二つに、五行説は水火木金土の五つに分類します。そして自然界の不可思議な現象を理解するため、分類されたものごと間の関係性を観察し、理論として抽象していきました。


さて、このブログは伝統医学を考察することがたてまえなので、陰陽五行説の解説は古代中国医学で使われるものにしぼっていきたいと思います。今回は「五行と色」についてです。


五行の五つのカテゴリには五つの色が配当されています。


水 - 黒
火 - 赤
木 - 青(蒼と記載する文献もあります)
金 - 白
土 - 黄


病気によってこれらの色が顔に現われます。それを観察することで病の深さや古さ、予後などを推察することができます。たとえば『黄帝内経霊枢』の五色篇とか、『黄帝内経素問』の五臓生成篇などの医学書に書いてあります。ではこれらの色は実際にはどんな色だったのでしょうか。たとえば青が光の三原色のBlueを意味していると考えると、実際にそんな顔色の人はいませんよね(ブルーマンズを除いて…)。


言葉の定義というものは恣意的なもので、言葉の意味はその文献を記した人がその言葉をどのような考えていたかを表しています。それなので一番よいのは自分でなにかしらの文を読んでみて、その文ごとに言葉を定義していくことです。しかし、ここではあえて抽象的に話をはじめます。


抽象的な言葉の意味を調べるには字典を使うと便利です。陰陽五行説の影響を受け、時代も近い『説文解字』を参考にしてみると、どうでしょうか。それには以下のように記されています。


黒 - 火、薫する所の色なり。炎の上りてマドに出づるに従ふ。マドは古の窻(マド)の字なり。
赤 - 南方の色なり。大に従ひ、火に従う。
青 - 東方の色なり。木、火を生ず。生丹に従う。丹青の信、言必ず然り。
蒼 - 艸の色なり。
白 - 四方の色なり。陰、事を用ふるとき、物色白し。入に従いて二を合す。二は陰の數なり。
黄 - 地の色なり。田に従い炗(コウ)に従ふ。炗は古文光なり。


なんだか分かるような分からないような説明ですね。黒は何かを火で燃やした後の色なので、現在の「くろ」と同じようですね。黄は黄河流域の大地の色なので、これは「おうど色」のことですね。蒼は草の色なのでこれは「きみどり」です。しかし南方とか東方、四方の色というのは具体性にかけているので想像するのが困難です。しかたがないので『素問』の五臓生成篇からも少し引用してみると…。


黒きこと炱(タイ:すす)の如き者は死す。…黒きこと烏羽の如きものは生く。
赤きこと衃血(鼻血)の如き者は死す。…赤きこと鶏冠の如き者は生く。
青きこと草茲(枯れ草)の如き者は死す。…青きこと翠羽(かわせみの羽)の如き者は生く。
白きこと枯骨の如き者は死す。…白きこと豕膏(豚の脂)の如き者は生く。
黄なること枳実(からたちの実:みかんの一種)の如き者は死す。…黄なること蟹腹の如き者は生く。


これでだいぶ具体的になってきましたね。イメージがつかめてきたのではないかと思います。


さて古代の人は、なぜ色を五色に分類したのでしょうか。五行説があったからではありません。『孫子兵法』黄帝伐赤帝篇に、黄帝が赤帝や青帝、白帝、黒帝を討伐した記載があるように春秋時代にはすでに五色の分類がありました。五つに分類することが積み重なることによって五行説が誕生したのです。可視光線の約400から700nmの波長は無限に切り取ることができます。なぜでしょう。


それは、おそらく人間の視覚が網膜の錐体細胞と桿体細胞に依存していることに由来します。錐体細胞は三種類あり、それぞれ感覚できる波長が異なります。この三種の錐体細胞が長、中、短波長に反応することで無数の色を認識できます。桿体細胞は感度が良く、比較的暗い場所でも反応しますが色を認識しません。なので暗い夜道では色彩感覚はありませんよね。


つまり五色は色の三原色と明暗から生まれました。もし犬や猫が人間のように知性が高くても、色をほとんど認識できず、白黒の二色の世界にいるので五色の分類はしなかったでしょう。鳥だと紫外線も感覚できるので六色の分類を作り上げるかもしれません。何れにせよ五色は原始的な分類です。これに環境や文化的条件が加わると、虹の色の数が国や民族によって異なるように変化します。


また色はたんなる光の波長や強さだけではありません。それは見る対象そのものの性質でもあります。ある一つのものを見るとき、それが夜明け前でも、昼間でも夕焼けの時でも、同じものだと感じますね。よくよく反省するとそれぞれ異なる波長なのに、違うものとは思いません。これはたとえばミツバチにも当てはまります。ミツバチも色を認識しますが、その時の波長によらず昼間でも夕方でも目的の花の色に集まります。色は光の波長や強さだけでなく、見る対象の印象(イマージュの一つ)でもあるのです。


『老子』に「五色は人の目をして盲せしむ」とあるように、あまりに分類にとらわれ過ぎると、本当のものが見えなくなってしまうかもしれませんね。


(ムガク)


No.99 病気の原因と意味

2010-03-10 22:16:40 | 医学のはなし

年々新しい病気の名前が生まれ今では数えきれないほど(註1)ですが、病気とはいったいどんなものなのでしょうか。色々な病気の定義の仕方があります。WHO(世界保健機構)でもさまざまな医学書でも日用の辞典でも病気の定義をしています。難しく考えるときりがありませんが、元々は簡単でした。それは自分が苦しみ辛いと感じる身心の状態とか、他人の異常と感じる身心の状態という、感覚的なものでした。その後、その症状の集合に一つ一つ名前をつけていきました。それが病名です。


病気に名前をつけたのは人間の社会を維持するためのコミュニケーションのためです。その後、世界のあちこちの文明で医学が誕生すると、病名は爆発的に増えることになりました。なぜ増えたのかと言うと、それは医療が呪術から科学に変化したためです。それまでの祈祷による治療は人間以上の存在に治してもらうという受動的なものでした。しかしその限界が見えてくると、人間は自分自身の手で治そうと能動的になりました。病気を細かく分類し、法則を見つけ、治療に結びつけようと努力してきました。この方法はかなりの成功を収め、以前では致死的な病気でも、現在では助かることが当たり前のように治療することが可能です。しかし問題が残されていないわけではありません。


その一つは病名の定義が抽象的になりすぎてしまったことから生れた「病人製作」の問題です。血液検査や尿検査やCTスキャンなどさまざまな臨床検査がありますが、その数値や結果で病名をつけることがあります。本人や第三者も苦痛や異常を感じていなくても、ある人を病気にすることができます。その時、治療を加えることで本来の病気になる確率を減少させるのなら良いのですが、治療の有無と予後の関係が明らかになっていないのに病気として治療されている人は数えきれないほどいます。


また病気の名前をつけられないため、適切な治療が受けられないという人もいます。カール・フォン・リンネ(1707-1778年)は生物分類学を創始しましたが、絶えず進化、変化する生物に固定的なラテン語の学名をつけることに批判的な人々がいます。ましてや日々変化する私たちの身体の状態にひとつひとつ病名をつけていくと天文学的な数になるので、病名はある程度高い確率で現われるものに限られます。苦しくて病院に行ったのに、「あなたは病気ではありません」と言われて帰らされてしまうことも多々あります。(これは医療の分業化も関係しています。また治療されても抗不安薬などの処方だけの場合があります)


これらは医療界の「抽象を具体とおき違えるの錯誤」と呼ぶことができます。ちなみにこの問題は現代医療だけでなく、「証」などと呼ばれる病名とは異なる抽象だけに頼って治療する治療家がいるように、伝統医療の中にも同じように存在します。これは医学の問題ではなく、人としての態度の問題のようです。具体的な病気はイマージュ(性質情状)の一つですが、それをとらえるには本居宣長(1730-1801年)の言うところの「もののあはれを知る心」が必要のようですね。


さて、私たちはなぜ病気になるのでしょうか。もっとも病気は人によって千差万別なのでこれも抽象的な話ですが、このなぜという問いには大きく分けて二種類の答えが期待されています。一つは病気の原因です。なぜ知りたいのか。それは人が不可思議なものごとに対する好奇心と原因を見つけて病気を治したいという希望を持っているからです。


病気の原因はその人の信仰する思想によって異なります。もし現代の弁証法的唯物論の世界においての決定論(または運命論)を信じている人では、病気を含むすべての現象は必然であり避けることができないと考えます。例えばこの痛みがあるのは寒い中で冷えたから、腰痛は人類が二足歩行を始めたから、そもそも人類や生物が誕生したから、地球は太陽が誕生したから、太陽や銀河、宇宙はビックバンが起こったからと現象のカスケード(数珠つなぎ)があるだけで、病気を治すという気持ちは生じてきません。これは病気を受け入れるというよりは、苦しみながらあきらめる方向の思想です。


また、もし観念論を信じているのであれば、病気を含む全てのものは主観が生み出しているので、治療は自分の心を変えることだけで十分であると考えます。これらの思想はヤジロベエの両極端ですが、人の気持ちはいつもゆらゆらと揺れているので偏り過ぎないように注意が必要です。


さて、病気の原因を見つける目的が病気を治すことであれば、それは解決できるものが望ましいですね。そして人に与えられた最大の自由は「選択の自由」であるので、ある選択がある結果を引き起こしたと考えると、問題の解決が容易になります。なお、因果関係は心に存在するものです。そして自分自身の心は確かに存在すると言えますが、他人の心はその人の身体の動き、表情、言葉などで存在を確認しています。なのでここでの選択は、ただ思うだけではなく具体的に身体上に表現する「行為の選択」のことです。ちなみに宮沢賢治(1896-1933年)が「畢竟世界はたゞ因縁であるだけ」と言ったように、選択には善悪はありません。しかしその結果には好ましいものとそうでないものとがあります。


選択はいくつかに(結構ファジーにですが)分けられます。それは自分あるいは他人の個人的なもの、または集団や社会的なもの、さらにそれらを時間的に現在と過去に分けることが可能です。例えば、もし食べすぎでお腹が痛くなったのなら、それは自分が必要以上に食べることを選択したことが原因です。また居眠り運転の車が後ろから突っ込んできて怪我をしたのなら、その原因は運転手が眠いのに運転したことが原因です。また水俣病やイタイイタイ病などの公害病はある集団が水銀やカドミウムで環境を汚染したことが原因です。これらのように原因が過去にある場合は今苦しんでいる人の原因を除くことはできません。できるのは、記憶と学習により現在の選択を変えてこれから病気になる確率を低くすること、また原因を知ることで現在の身体の状態を推察し治療に生かすことです。


すでに発症した病気には(いわゆる)対症療法が必要になります。これは例えば、寄生虫や細菌、ウイルスなどの感染症がひどければ抗菌薬や抗ウイルス薬、点滴や伝統医療の方法でも何かしらの治療、そして安静が必要なようにです。もっとも感染前なら、食べ物や飲料水、生活環境の衛生状態、生活習慣などに気をつけることでほとんど予防できますが…。


また病源微生物などの存在を原因と考えることは妥当ではありません。なぜなら、そう考えると「なぜそれが存在するのか」という新たな問いが生まれるからであり、またその存在が原因か否かを判断するには、存在しない状態と比較することが必要なのですが、その存在を自由にできない(存在を完全に消すことは不可能であり、試みるだけで別の存在、新種が生まれる)からです。また人も微生物も生態系を構成する一員なので、お互いに絶滅しないようにしたいですね。


もし原因が現在も進行中である場合は、原因を除いたときに病気が治ってしまうことがあります。例えば心配事で不眠症になったのなら、心配事がなくなると眠れるようになりますし、生活習慣病の一部などもこれに当てはまります。


一つの病気は時間的空間的に無数の原因が結びついて成り立っています。病気の原因が現在の自分の選択の問題であれば、努力が必要なものの、それを解決することが容易です。そして原因が他人や社会的な選択にある場合も、今まで数多くの公害病や天然痘やコレラなどの感染症などを解決できたように、間接的に変化を働きかけて問題を解決することが可能です。


ちなみに、脳梗塞(の症状)になった原因は脳の血管に血栓ができたこととか、腰痛の原因は腰の骨が変形していること(もっともこれは実証の難しい仮説ですが)とか、すべての病気の原因は遺伝子の異常であるなどという説明は、正しい言葉の使い方をしていません。これらは原因ではなく、病気を分析的に細かく描写したもので、呼ぶとするなら「条件」です。しかし言葉の定義は変化するので、そのうち原因という言葉の意味も変るかもしれませんね。


「なぜ病気になるのか」という問いの、期待される二つ目の答えは、その病気の意味や目的です。遺伝病や悪性腫瘍などもその意味を考えることは重要です。すべてのものごとには長所と短所が見つけられますが、気持ちが弱っている時には短所ばかりが目につきます。このような時には家族や治療家が、患者さんの意識の志向性を変化させる、病気の意味を気づかせる助けになってくれるでしょう。


そして病気だけでなく、生きること、死ぬことの意味も重要です。第二次世界大戦中の話ですが、ナチスドイツは強制収容所において幾百万人もの人々を虐殺しました。オーストリアの心理学者、ヴィクトール・フランクル(1905-1997年)はアウシュヴィッツなどに収容されましたが、彼は収容された人々の「精神的自由、すなわち環境への自我の自由な態度は、この一見絶対的な強制状態の下においても、外的にも内的にも存し続けた」ことを明らかにしました。選択の自由はどんなに苦しい状況でも存在するようです。人々はナチスに抵抗するか素直に従うか、どのように生きるか死ぬかを自由に決めることができました。


この収容所で生き長らえたのはどのような人だったのでしょうか。身体的に頑強な人、明るくて人当たりの良い人、従順で真面目な人などいろいろ考えられますが、違います。人々は生きる意味や目的、未来を失うと、次々に内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落し滅亡していったのでした。生き長らえたのはそれらを持ち続けた人々でした。彼はこう言っています。


「生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味をもっているに違いない。苦悩が生命に何らかの形で属しているのならば、また運命も死もそうである。苦難と死は人間の実存を始めて一つの全体にするのである」 (註2)


ある病気はその意味を知ったとたんに消えてなくなってしまうことがあります。病気が治る(病名がなくなる)か否かは別にして、病気の意味を知ることで、大切な一生をより人間らしく幸せに過ごしていくことができるかもしれませんね。


(ムガク)


(註1) International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems 10th Revision Version for 2007

(註2) (V・E・フランクル『夜と霧-ドイツ強制収容所の体験記録』霜山徳爾訳)

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