はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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No.91 古代中国の鍼灸の起源と扁鵲

2009-09-18 17:59:15 | 医学のはなし

鍼灸医学は治療が独特でおもしろい医学なのですが、いつどこで発明されたのでしょうか。現在の日本や韓国、中国につながる鍼灸医学はおそらく戦国時代から前漢の時代、黄河流域においてだろうと思います。なぜならこの医学はその当時のその土地の思想が基本になっているからです。


しかし医学ではなく医術、つまり鍼という尖った道具を身体に刺すことによって治療しようとする行為は、いつどこで始まったのでしょうか。鍼灸の起源を明らかにしようとするとき、ある壁が存在することに気がつきます。


そのひとつは文献の情報が少ないということです。古代中国では何らかの発明をすると聖人とされ記録に残ることがよくあります。しかしその記録が存在しないということは、誰がどこで鍼治療をはじめたという情報が何らかの理由により伝わらなかった、または文字が発明される以前、つまり有史以前から鍼治療が存在したということが考えられます。(あるいは鍼治療は記録に残すほど重要または特別なことではなかった、とも考えられます)


もうひとつは鍼治療が行われていたと考えられる遺跡から、鍼などの考古学的史料が発見されたとしても、それには証拠能力がないとは言えませんが、それの証明力が低いということが挙げられます。つまり鍼が発見されても、それが病気の治療に使われたと証明することは困難です。鍼の使い道は他にもたくさんあるのですから。


もし世界のどこかの古代遺跡から、病気の人を鍼で治療している絵などが発見されれば、それは証明力が高いと言えますが、そういうものはまだありません。そしてもし発見されたとしたら、古代中国の鍼治療との先後関係や因果関係を調べる必要があります。


鍼灸の起源を明らかにする仕事は、歴史学者や検察官の仕事に似ています。医学者や自然科学者の仕事とはちょっと異なるようですね。これから新しい史料が発見されるにしたがい、さまざまな新しい可能性が生まれ、今までの仮説が消えていくのでしょう。


中国で鍼が使用された最初の記録は、司馬遷の『史記』扁鵲倉公列伝に残されています。扁鵲は、虢(カク)という国で「鍼を砥石に厲ぎ、以って外の三陽五会に取らし」め、仮死状態だった太子を鍼で治療しました。虢はBC655年に滅びたことになっているので、もし『史記』の記述を信じれば、春秋時代には黄河流域に鍼治療が存在したと言えます。


しかしその記述の信頼性をあやしむ意見があります。なぜなら『史記』には扁鵲が秦の咸陽に行ったとする記述もあるからです。すると秦が咸陽に遷都するのがBC350年なので、扁鵲は300年近く生きていることになってしまうからです。


ところで『史記』には「扁鵲なる者は勃海郡の鄭の人なり、姓は秦氏、名は越人」とあります。扁鵲が一人だとすると、この紹介文はよく分かりません。勃海は東北の果ての海のことであり、鄭は黄河中流の洛陽の近くの国であり、秦は黄河上流の西の果ての国であり、越は長江下流の南の国のことです。古代中国では人の名に国の名をつけることがよくありますが、ここまで地域がバラバラなのはどういうわけでしょうか。これは司馬遷が複数の扁鵲の逸話をまとめて記述した、と考えるのが自然です。


そして扁鵲という名が、集団につけられた名であるとか、歌舞伎役者や落語家のように代々受け継がれる名であるとすると矛盾はなくなります。どちらの可能性も否定できません。(しかし逸話が事実であったと証明することはできません)


ところで紀元前5世紀ごろインドの都市タキシラにはジーヴァカ(耆婆)という医師がいました。彼は鍼と薬嚢をもって生まれでた、と言われています(『チキツァー・ヴィドヤー』)。ただジーヴァカは開腹や開頭などの外科的手術をしたことが記録に残っていますが、扁鵲のような鍼治療をしたか否かは分かりません。


ちなみに古代ギリシャのヒポクラテス(BC460-377年)も外科的治療をしていました。また瀉血治療をしていた記録があるので、おそらく鍼を使っていたでしょう。しかしやはり扁鵲のような鍼治療をしたか否かは分かりません。


アーユルヴェーダには「スチ・ヴェーダ」がありこれはサンスクリット語で「鍼の科学」を意味しています。マルマ(ツボ)に鍼をすることでプラーナ(気)の流れを改善することを目的にしているようです。古代では竹や木製の鍼が使われていたようですが、ジーヴァカのいたタキシラでは鉄や銅、青銅製の鍼が発見されています。


その後インドでは鍼治療はすたれてしまいました。しかしスリランカでは古代から現在に至るまで鍼治療が続けられているようです。大陸から海により隔てられると、生物種だけでなく技術も保存されるようですね。ガラパゴスやマダガスカル、タスマニアなど、長い間外部と隔絶してきた島々の生物と似ています。


インドと中国のどちらがより早く鍼治療をはじめたのかは明らかではありません。しかし鍼灸は古代中国人が発明したとする説の他に、古代インド人が先に発明したという説もあります。もしそうであるのなら、その技術はタキシラや敦煌を通るシルクロードから伝わった可能性があります。また柳田國男(1875-1962年)の言うところの「海上の道」も考えられます。日本や中国に稲作や南海の神話が伝わったように、ヤシの実が海から流れ着いたように、鍼治療も海から伝わったかもしれませんね。そうすると『素問』異法方宜論にある「九鍼は亦南方より来る」という記述がしっくりきます。


この技術をはじめて発明したのはこの民族の文明である、という評価をする際には、しばしばナショナリズムが入り込みます。迂闊なことはなかなか言えません。しかしアフリカや南米、東南アジアにも鍼の治療があるので、こだわる必要はないかもしれませんね。


(ムガク)


No.90 ガンジーと伝統医学

2009-09-08 20:02:42 | 医学のはなし

墨家は平和を守るために「非攻」を主張し、もし他国から侵略される国があれば、命をかけてその国を守りに行きました。これは墨守と呼ばれていますが、攻撃に対して武力の防御で対抗することであり、戦争が生じる条件になります(「No.55 クラウゼウィッツと陰陽論(その2)」参照)。しかし防衛にはまた別の手段も存在します。


それはインド建国の父、マハトマ・ガンジー(1869-1948年)の主張した「サティヤグラハ」です。これはサンスクリット語で「真理の把握」を意味しますが、非暴力、非服従運動の中心的思想です。


当時、インドは大英帝国の植民地になっており、差別や抑圧に苦しんでいました。そして独立を望んでいましたが、だれでも思いつく方法が、大英帝国を武力でインドから追い出すというものです。しかしガンジーは、その方法を採用することも、その有効性を信じることもできませんでした。


結果的にガンジーの非暴力、非服従運動はインドの独立において非常に有効な戦略でした。第二次世界大戦が終わり、その2年後にはインドは戦争を起こすよりもはるかに少ない犠牲で独立を勝ち得たのです。


「夫れただ兵は不祥の器、物或に之を悪む」(『老子』三十一章)にあるように戦争は歴史が始まって以来(歴史自体がほとんど戦争の記録ですが)、悲劇を生み出してきました。ガンジーは国家間の闘争を暴力を用いずに解決し、またその闘争に終止符を打つような理想郷を考えだしました。


老子が「小国寡民」を理想の国として考えたように、ガンジーはパンチャーヤットを理想の国(村)として考えました。これは自給自足する完全な自治権をもった村(国)のことです。パンチャーヤットの上にタルカという村の複合組織をがありますが、軍隊もなく強制力もありません。これはそこに住むひとりひとりが「サティヤグラハ」を持つことが条件です。


しかし「サティヤグラハ」を持つには並々ならぬ精神力が必要です。他国から侵略されるかもしれないという不安、それを拭い去るには自国も軍隊、武力(抑止力)を持つ必要がある、という思想をなかなか捨てることはできません。


日本も憲法9条があるにもかかわらず、自衛隊という名前のついた軍隊を持ったように、1948年にガンジーが暗殺されると、インドも普通の軍隊を(核兵器も)持つ国家へと変化していきました。


ちなみに現在の医療界でも同じようなことがあります。感染症に対する非医学的で過剰な防御反応や、生活習慣病や悪性腫瘍などに対する薬物治療など、治療の内容も人々の心の不安から(また資本主義からも)影響を受けているようです。


それはさておき、ガンジーの(暗殺される直前に国民会議に提出された)憲法案には興味深いことが記載されています。衛生や医療制度の項目では公衆衛生や伝染病、公害、飲料水、病院や産婦人科に対する配慮が見られます。また医療費を無料にすることや伝統的療法や自然療法を薦めています。


ここでの伝統的療法とはインドに古代から伝わるアーユルヴェーダ(サンスクリット語で「生命の科学」)のことですが、アーユルヴェーダを広めることを薦めている訳ではありません。その国、その土地の伝統的な自然の医療、漢方でも鍼灸でもホメオパシーでも何でも構わないのです。


それと同じ頃(1949年)、コルチゾンという副腎皮質ステロイドのリウマチに対する実験が行われました。1人の患者に3日間で計300mgのコルチゾンを投与しましたが、その原料は約400kgの牛の副腎でした。いったい何百頭の牛の命が失われたのでしょうか。(現在ではコルチゾンをもっと効率的にメキシコヤムイモという植物から合成できますが…)


また1つの新薬が開発されるまでにも、数えきれないほどのネズミなどの実験動物の命が失われていきます。他の生命を犠牲にする、また自然を破壊する程度が、現代的医療は伝統的医療とは比べ物になりませんね。


とにかく「病気と戦わない」というのも治療の選択肢のひとつになるかもしれません。今まで病気と考えていたつらい症状、それと戦うことを止めた途端に治ってしまう、ということもよくあるのですから。


(ムガク)