今回のムッチー先生のお話のテーマは五音についてでした。やっぱり、ざっと読んだだけでは何のことを言っているのかさっぱり分らないので、解説したいと思います。ただしこの五音については奥が深くしかも面白いところなので、文量を気にしないと本一冊分くらいになってしまうかもしれません。なるべく気をつけて、簡単に、短く短く、まとめてみたいと思います。
古来、音楽はただ娯楽や祭礼のためにあるのではなく、政治的、哲学的にまた自然科学的に考察される対象となっていました。そして古代中国、春秋戦国時代において音楽の重要性を主張したのは孔子や荀子に代表される儒学者でした。荀子は以下のように言っています。
「音楽は楽しむものである。楽しければ必ずそれが音声になって歌となり、動作に現われて舞となる。人の道は生まれつきの感情が物に感じてさまざまに変化するといっても、この音声と動作で尽くすことができる。…音楽というものは、人の心の奥底に入り人を感化することが深いものである。だから先王は慎重に文飾し正しく雅やかな音楽を制定した。音楽が中正でよく調和していれば、民もこれに感化されて和らぎ節操を失わない。音楽が敬粛で荘重であれば、民もこれに感化されて斉一で乱れない。民が和らぎ斉うときは、軍隊は強く城の守りが堅く敵国も容易に攻めてこない。このようであれば一般民衆はその居処に安住し、その郷里に楽しんで生活しその君主の政治を十分に満足に思わないものはない…」
当時、音楽の調和は、天下の人々の社会や国の調和をもたらすものでもありました。そしてこの時代が陰陽五行説が誕生した時代でもあり、音が五行に配当されたのです。この音の五分類(ペンタトニック・スケール)は、世界のあちこちの民族にも見られるように原始的な分類です。日本では雅楽や沖縄民謡が有名ですね。音声の母音も「a,i.u,e,o」の五つあるように、片手で数えられる数に分類すると結構便利なものです。『礼記』楽記第十九にはこう記されています。
「宮は君であり、商は臣、角は民、徴は事、羽は物である。故にこの五者の間が乱れなければ、音楽も正常に演奏されるのである」
というように、角徴宮尚羽という五つの音階を君、臣、民、事業、万物、にあてはめてその政治や社会と音楽の調和について考察しています。後の時代には変徴と変宮の二音が加わり、現在のドレミのようにオクターブの分類となりますが、さてこの五音(角徴宮尚羽)はどんな音だったのでしょうか。これは司馬遷の『史記』律書第三に記されています。
「九九、八十一を宮とすると、八十一からその三分の一を引いた五十四が徴、五十四にその三分の一を加えた七十二が商、七十二からその三分の一を引いた四十八が羽、四十八にその三分の一を加えた六十四が角である」
これは何を意味しているのかというと、笙などの楽器の音管の相対的な長さです。ファゴットやピッコロを見て判るように、管が長ければ音が低くなり、管が短ければ音は高くなります。それなので音が低いほうから並べると、
宮(81) 土 ~ド
商(72) 金 ~レ
角(64) 木 ~ミ
徴(54) 火 ~ソ
羽(48) 水 ~ラ
となります。もちろんこれは周波数がHz(ヘルツ)で表せるような絶対的なものではなく、相対的なものです。合奏する時は黄鍾などの基準にあわせて楽器作りから始めたのでしょうね。現在でもロンドンフィルのA音は440Hzであり、ウィーンフィルが444Hzであるように、何を基準とするかは自由です。古代の音の基準も周王朝の力が強かった頃は統一されていたでしょうが、群雄割拠する戦国時代となると、国によってさまざまな文字が生み出されたように、音も多様だったことでしょう。
ついでながら、なぜ八十一を宮にしたのかについて、ちょっと触れておきます。世界のあらゆる民族では10進法が基本です。漢数字やアラビア数字、ローマ数字を見ても数を数える時に10を一つのまとまりとして考えています。なぜでしょう。そう、両手の指の数ですね。一人で10、二人で20、石器時代の人々が狩猟採集していた頃も、収穫物や危険な獣、敵対する集団を数える時に10以上を数える必要性がありました。古代中国では10進法と陰陽論が結びつき、九という数字は特別な意味をもちました。九は一桁の最後の数字であり、また最大の陽の数でもあります。現在でも九月九日は重陽の節句ですよね。なので九と九をかけた八十一は非常に特別な数字なのです。『老子』が八十一章でまとめられていること、『黄帝内経素問』や『黄帝内経霊枢』が八十一章でまとめられているのも、こんな理由なのです。
つぎになぜこの五つに分類したのでしょうか。宮とオクターブ高い宮の間を仮に6とすると、宮と商、商と角、徴と羽の間は1.02となるのに対して、角と徴、羽と宮の間は1.47となり一定ではありません。つまりこれは純粋に理論的、数学的に決められた分類ではないのです。数学的な音階はというと十二律があります。今風にいうと十二平均律ですね。この十二律の歴史も長く、その昔、周の武王が殷の紂王を征伐した時に、武王は正月に配当される音から始めて、十二月に相当する音まで陰陽それぞれ六音を吹き鳴らしたと、そしてその音調を聞くと殺気と十二月の音が調和したと伝えられています(『史記』律書第三より)。その十二音には干支の名前がつけられていますが、オクターブを10でも20でもなく12に平均的に分類したのは、ただ単に数学的、音響学的にだけではなく、一年に月が必ず12回満ち欠けするように、規則的な天の運行、季節の移り変わりなど、自然との調和が期待されているのです。
で、なぜ角徴宮尚羽の音程が決まったのでしょうか。実は、五音の音階は世界中に存在すると言いましたが、それぞれ異なる音を五つ集めて作られているんですね。たとえば沖縄ではドミファソシのようにです。そしてそれぞれの五音はそれぞれ心地よい和音を作り上げています。なのでこの問題は古代中国の人々が、なぜこの五音を心地よいと感じたのか、という感覚的、心理的な問題となります。これを明らかにするのはちょっと困難ですね。現在の私たちでも、ある和音を聴いたとき、なぜ良いと感じるのかと尋ねられても、「良いと感じるから良いのだ」というように、うまく説明できませんよね。ある種の霊妙な不可思議な働きがあるのかもしれませんし、遺伝子レベルの単純なプログラムがあるためかもしれません。それはさておき、『史記』楽書にはこう記されています。
「宮の音を聞くと、その人をして、温厚であって広大ならしめ、商の音を聞くと、その人をして、方正であって義を好ましめ、角の音をきくと、その人をして、惻隠であって人を愛せしめ、徴の音を聞くと、その人をして、善を楽しみ施しを好ましめ、羽の音を聞くと、その人をして、整斉であって礼を好ましめる…」
これはもしかしたら「条件付け」が関係しているかもしれません。パブロフがベルの音で犬に唾液を分泌させたように、人にもともとそのような働きがあったのではなく、「教育によりそうさせた」可能性がありますね。これらのことを踏まえながら古代中国の医学書、『霊枢』にある陰陽二十五人篇や五音五味篇、経脈篇を読んでみると面白いでしょうね。興味ある方は読んでみて下さい。
最後に付け加えておくと、上記の五音は音楽の音なので、ある(比較的単純な)周波数が存在します。しかしそうでない五音もあります。例えば兵法家における五音は、敵陣や城の外からその中を聞いて、戦の勝敗やどこから攻めるのか占うために聞いた音でした。これはドレミの音でないことは明らかですね。甲冑や足音、色々な音が混ざり合った、全体的な雰囲気のことです。音だからといって特定の周波数があるとは限らないのです。
(ムガク)