はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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養生一言(7)

2017-07-23 12:19:38 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

医術とは、人間とはなんであるか、どんな原因によって生じるのか、その他のことをくわしく知ることである。

(ヒポクラテス『古い医術について』小川政恭訳より)

具体的な治療法を知ること、ではないのですね。

東洋医学、鍼灸医学も基本は同じです。

古典医学書の『黄帝内経』、『素問』や『霊枢』に書かれてある、中心的なことがらも、

これです。

養生する時、自分で自分を治療するときも、これを知っておく必要があります。

教育は、気づきの教育のみが可能であり、また価値がある。

(カレブ・ガテーニョ『赤ん坊の宇宙』土屋澄男訳より)

治療するから治癒するのではありません。

教育するから成長するのではないのと同様に。

志を以て言を発し、言を以て信を出だし、信を以て志を立つ。参は以て之を定む。

(『春秋左氏伝』「襄公二十七年」より)

身を定め立てるには、志、言、信、の三つがたいせつです。

ぼくはあなたに仕える「健康である幸福」です。

ぼくは一番美しいというものではないけれど、一番大事なものです。

(メーテルリンク『青い鳥』堀口大學訳より) 

これからはもうわたしがわかるでしょうね?

これは「清い空気の幸福」で、ほとんど透き通ってます。

それからこれが、「両親を愛する幸福」です。

灰色の着物をきて、いつも少し悲しそうです。

というのは、だれもこれを見てやらないからなんですよ。

これは「青空の幸福」で、もちろん青い色の着物を着てます。

次は「森の幸福」で、これももちろんのこと緑色の着物を着てます。

窓のところへ行けば、いつでもこれは見られるでしょう。

それからこれは「昼間の幸福」で、ダイアモンドのような色をしていますし、

「春の幸福」はエメラルド色をしています。

酒は百薬の長

(『漢書』「食貨志」より)

「漢」を滅ぼし、「新」を建国した王莽は、こう言って、お酒を専売制にしました。

いつの時代でも、専売にしたり、税金をかけたりするには、一応建前が必要です。

心置きなく、お酒をたしなむにも、理由があると助かりますね。

ほどほどに飲めば、お酒は健康に良いのです。

無病にして後の福を祈らんには、力(ツトメ)と倹(ツマシキ)との二ツを行うにしくはなし。

(平野重誠『病家須知』より)

勤勉と倹約。

「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」

 灯台守がなぐさめていました。

「ああそうです。ただいちばんのさいわいに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」

(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より)

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養生一言(6)

2017-07-20 08:47:24 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

一利を興すは、一害を除くに若かず。

(『十八史略』「南宋 理宗」より)

良いことを一つ始めるより、今ある悪いことを一つやめることのほうが良い、

という、政治の言葉は、人の身体についても当てはまります。

ある薬で副作用が現われたとき、その症状をおさえる薬を新たに飲むのではなく、まず、その薬をやめることが必要であるように、

日々の生活の中でも、健康のために何か始めるとき、薬や健康食品を服用し始めるとき、

自分が、今、健康に悪いことをしていないか、悪いものは身近にないか、

思い返すことが必要かもしれませんね。

深く愛することのできる人だけが、同じように、深く悲しむことも経験できる。

(トルストイ『幼年時代』より)

悲しんでもいい。

泣いてもいい。

幸福の秘訣のひとつは自分自身の不機嫌に無関心でいることだ。

(アラン『幸福論』「ストイシズム」白井健三郎訳より)

不機嫌は、無視していると、犬が犬小屋に戻っていくように、動物的な生命力の中に戻って薄らぐものだ、

とアランは言います。

「わたしが満足しているのは暖まったからではない。満足しているから暖まるのだ」

死期は序を待たず。

死は、前よりしも来らず、かねて後に迫れり。

人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。

(兼好法師『徒然草』より)

花は半ば開くを看、酒は微かに酔うを飲む。

(洪自誠『菜根譚』「後集」より)

花見は半開、お酒はほろよい、

それがよろしい。

満開も、泥酔も、あと味の、趣き苦し。

みんなは、特急列車に乗りこむけど、いまではもう、なにをさがしてるのか、わからなくなってる。

だからみんなは、そわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ・・・。

(サン=テグジュペリ『星の王子さま』内藤濯訳より)

人間至る処青山有り

(僧月性『清狂遺稿 上』「将東游題壁」より)

男兒立志出郷關

學若無成不復還

埋骨何期墳墓地

人間到処有青山

男児志を立てて郷関を出づ

学若し成る無くんば復た還らず

骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん

人間到る処青山あり

スペンサー ジョンソン の『チーズはどこへ消えた?』にも同じような話がありましたね。

変化の前には勇気が必要です。

でも、どこへ行っても、青々とした美しい山があるものです。

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養生一言(5)

2017-07-10 12:00:16 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

皮膚という 薄い柔らかい

伸びちぢみ自由な 大小無数の穴によって

外界と通じ合っている

複雑きわまりない

ひとつの生きた袋の中に、

液体的なものがいっぱい入っていて、

その中に骨も内臓も浮かんでいる。

(野口三千三『原初生命体としての人間』より)

自分の身体に対するイメージ。

それが変わるだけで心身がいろいろと変化してきます。

多く蔵すれば、必ず厚く亡う。

(『老子』「四十四章」より)

お金も、物も、たくさん蓄えようとすると、それ以上のものを失うことがあります。

食事も、水も、おやつも、ジュースも、お酒も・・・

摂り過ぎに気をつけましょう。

自ら悪を作せば自ら穢れ、自ら悪を作さざれば自らが清し、

浄と不浄と共に己にあり、自ら他を清くすること能はず。

(『法句経』「自己品第十二」より)

自ら悪をなさば自ら汚れ、自ら悪をなさざれば自らが浄し、

浄きも浄からざるも自らのことなり、他者に依りて浄むることを得ず。

(「少林寺拳法、聖句」より)

武術には自己修養がたいせつです。

養生にもそれが言えますね。

どのように生きるか、自分で決めるべき時が必ずきます。

人間はガイアの一部でガイアと切り離すことはできないので、われわれの知性はガイアにとって新たな能力と力である代わりに、新たな危険でもあるのだ。

(ジェームズ・ラブロック『ガイアの復讐』竹村健一訳より)

レオナルド・ダ・ヴィンチも人体を地球の縮図とみなして、地球を人体の拡大モデルとみなしました。

天人相応。天人相関。

東洋哲学も、それにもとづく鍼灸医学、東洋医学も、基本は同じです。

人の身は父母を本とし、天地を初とす。

(貝原益軒『養生訓』より)

自分の身は、自分一人だけのものではない。

不養生して若死にでもすると、それは天地父母に対して不孝である、

と、益軒は言います。

長生きして、人倫の道を行い、喜び、楽しむことが大切です。

凡、薬と鍼灸を用るは、やむ事を得ざる下策なり。

飲食、色欲を慎しみ、起臥を時にして、養生をよくすれば病なし。

(貝原益軒『養生訓』より)

薬も鍼灸だけでなく、導引も按摩も同様です。

病気でもないときに、みだりに治療をおこなうことは上策ではありません。

まずは、朝夕歩き、労働して、座り、寝てばかりいることを避けること。

その上で、具合の良くないときは、治療の当否をよく知って選ぶことが大切です。

養気は医の至道なり。

(本居宣長「送藤文與還肥序」より)

気を養うこと、それが医療の至道である、

と宣長は言います。

どのように気を養うのか、

食べ過ぎない、

身体を動かして、でも、やり過ぎない。

思慮は常に少なく、

これが原則。

湯熨鍼灸(薬や鍼灸)は、あくまで真気を補助する治療法です。

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養生一言(4)

2017-07-02 13:14:19 | 養生一言

今日の一言」で連載中の、養生に役立ちそうな言葉を、週ごとにまとめておきました。

自分の生命を愛しても憎んでもいけない。

だが生きている限りは生命を大切にするがよい。

長く生きるか短命に終わるかは、天に委ねるがよい。

(ミルトン『失楽園』平井正穂訳より)

主人は好んで病気をして喜んでいるけれど、死ぬのは大きらいである。

死なない程度において病気という一種のぜいたくがしていたいのである。

(夏目漱石『吾輩は猫である』より)

意識とは、あったこととあるだろうこととの間を結ぶ連結線であり、過去と未来をつなぐかけ橋である。

(ベルクソン『哲学的直観ほか』「意識と生命-1911年5月29日 バーミンガム大学におけるハクスリ記念講演」 池辺義教訳より)

健やかに生活するには、身体だけでなく、心も大切です。

痛みや苦しみを感じることは、意識の働きのひとつです。

病気になる前も、なった後も、治った後も、意識によってそれを認識しているのですね。

過去は死んだ歴史ではない。過去は、人間が自分自身をつくりだし、将来を建設する生きた材料である。

(ルネ・デュボス『人間であるために』野島徳吉 遠藤三喜子共訳より)

人が人らしく生きていくために、前を見て、目標に向かって進んでいく必要があります。

でも、それを達成するには、後ろを見ることも必要のようですね。

生物学とは、「地球とそこに棲む生命の現在、過去、未来にわたる歴史」と定義できる。

(レイチェル・カーソン『レイチェル・カーソン遺稿集 失われた森』古草秀子訳より)

生物学を歴史と定義するなんておもしろいですね。

でも、確かに的を射た定義です。

人間も生物。東洋医学に携わるものも、それらを学ぶ必要がありそうです。

歴史の大半は推測であり、残りは偏見だ。

(ウィル・デュラント/アリエル・デュラント『歴史の対局を見渡す』、Durant,Our Oriental Heritage,12 小巻靖子訳より)

歴史とは人の意識によって紡がれた過去の物語、とも言えるでしょうね。

尽く書を信ずれば、則ち書なきにしかず。

(『孟子』「盡心下」より)

なんでもかんでも『書経』に書いてあることを信じるのなら、『書経』はないほうがましである、という意味です。

ちまたは様々な本であふれかえっていますね。

歴史、経済、小説、芸術、漫画、医学や健康に関する書なども。

書の中には、現代の政治家がつくような故意によるウソだけではなく、良心的な誤り、誤解をまねく言葉も含まれています。

読書の際は、注意して、自分の頭を使って読む必要がありそうですね。

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