はちみつブンブンのブログ(伝統・東洋医学の部屋・鍼灸・漢方・養生・江戸時代の医学・貝原益軒・本居宣長・徒然草・兼好法師)

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No.24 経絡と実体論

2008-02-13 22:39:12 | 経絡のはなし

鍼灸界などの医療界において経絡というものを実体論的にとらえようとする試みがあります。つまり人体に経絡があるのであれば解剖学的な器官が存在するはずであり、それを発見しようとする試みです。現在のところ整合性の高い説明は発表されていません。経絡の何割かが血管や神経と一致したという話はあります。またその経絡の発見において経穴と経絡どちらが最初に発見されたかというような議論もあります。


経穴が最初に発見されたと考えると経絡とは経穴と経穴、または経穴と内臓や体の部位を繋ぐ線として認識されると思います。それは夜空の星座の星と星の間に線がないように実体がある必要はありません。そして関係性の高い経穴の集合に、例えば「手太陰肺経」のように名前が付けられます。


経穴の近くには神経や血管が存在する割合は高いと言われています。また戦場での傷や入れ墨をする際の鍼刺激になどにより病状が変化することもあったことと思います。例えば足の経穴の鍼刺激で頭痛や鼻炎などの頭部の症状が良くなった経験をすると足の経穴と頭が繋がっていると考えてしまいます。実際明らかに一つの身体なので繋がっているのですが、その繋がりをそれより細小のスケールで説明しようとしてしまうのは昔も今も同じのようです。


帯状疱疹のような皮膚病が起きると経絡に沿って水疱が線状に出現することがあります。また例えば狭心症では「手少陰心経」に沿って放散痛が出現します。動静脈はある程度皮膚を通じて視覚や触覚での観察が可能であり、血管を切ると血液の流れも観察できます。


経絡が最初に発見されたと考えると経穴は経絡上の他の部分とは異なる点として認識されると思います。そして経験を積み重ねてその差異を識別していったのでしょうか。


「交通」の概念を用いたのはマルクスとエンゲルスでした。彼らは『ドイツ・イデオロギー』の中であらゆるシステムが固定していることを疑いました。例えばある二つの町が元々あり、その間で人や物の交通が起こるのではないということです。人や物はたえまなく複雑に移動していて、その移動の道の交点の集合が町という実体として意識されるのです。


この交通の概念を人体における経絡と経穴の関係や、歴史と思想の関係に応用できるでしょうか。ちなみに古代中国の人は経脈を実際の川にたとえて説明しようとしていました。


(ムガク)

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