江戸時代にはすでに感染症の概念がありました。痘瘡(天然痘)や麻疹は胎毒や天疫などではなく流行している土地を避ければ感染しないと橋本伯寿が『断毒論』(1810年著)の中で述べています。梅毒も大流行しましたが、スウェーデンの医師ツュンベリーは、それはヨーロッパ人によって世界中にばらまかれ日本へもたらされたものであることは疑いの余地がないと『江戸参府随行記』の中で述べています。
しかし具体的にどんなものが感染の媒体になっているのかよく分かっていませんでした。それなのでその媒体に瘴気とか邪気、虫、伝尸虫などと名前をつけて呼んでいたようですね。
本居宣長は国学者として知らない人はいないと思いますが、実は医師として生計をたてていました。今回は宣長の感染予防法を少しご紹介しましょう。出典は『覚』養生紀からです。
○病家ニ入テ邪気ヲウツラヌ法
雄黄ノ末ヲ以テ鼻孔ノ中ニ塗リ、或ハ香油(ゴマアブラ)ヲ鼻孔ニ塗モ亦妙ナリ
雄黄とは(三)硫化砒素(AsS・As2S3)のことです。その粉末を鼻孔の中に塗ります。または胡麻油を塗るのも良い、とのことです。なんだかどこかで見たことありますね。最近、花粉症のシーズンには鼻の中にアレルシャットなどの軟膏を塗っている人が増えましたね。あれは油に花粉をくっつけて体内に入らないようにするための工夫です。この胡麻油も似たような作用を期待しています。
しかし雄黄は、毒をもって毒を制すこと、邪気の解毒が目的です。たしかに細菌に対しても毒性があるのですが、人体に対しても毒性があります。現在ではマスクがあるので使う機会はないでしょう。
病家ヲ出テ、紙條ヲ以テ鼻ヲサグリ、フカクイレ噴嚏スベシ
患者さんの家を出たら、こよりを鼻の奥にいれて刺激をします。そしてくしゃみをするのです。これで上気道に入り込んだ邪気を外に出すのです。おもしろいですね。この頃すでにくしゃみは体内の悪いものを追い出すためにあると知られていました。
いくら身体を鍛えようとも、養生法を実践していようとも、感染症にかかる時はかかってしまいます。宣長はこのようにして感染の予防をしていたのですね。
(ムガク)