今年はレヴィ=ストロースの生誕100年になります。彼は現代のフランスの文化人類学者であり、その思想は様々な分野に影響を与えました。彼は世界中の民族、神話を調査することである結論に達しました。
「概念の切りとり方は言語によって異なり、…用語の抽象度の差異は知的能力に左右されるのではなく、一民族社会の中に含まれる個別社会のそれぞれが、細部の事実に対して示す関心の差によって決まるのである。…概念が豊富であるということは、現実のもつ諸特性にどれだけ綿密な注意を払い、そこに導入しうる弁別に対してどれだけ目覚めた関心をもっているかを示すものである。…それが近代科学の対象と同一レベルの事実に対して向けられることは稀であるにしても、その知的操作と観察の方法は同種のものである。」(レヴィ=ストロース『野生の思考』大橋保夫訳より)
この思想は現在の世界中の民族に当てはまるものだと言われています。この思想を時間軸に対して延長してみたらどうでしょうか。古代中国の人々が発見したと言われる経絡は何も特別な超能力を必要としていないことが判ります。彼らが関心を向けた生命現象が、経絡を見出せなかった人々と異なっていただけなのです。異なる経験のレベルによって解釈した結果が異なってくるのですが、知的操作と観察の方法は古代も現代も同種であると思います。それにしても膨大で綿密な観察が必要であったことでしょう。また以下のようにも言っています。
「呪術と科学の第一の相違点はつぎのようなものになろう。すなわち、呪術が包括的かつ全面的な因果性を公準とするのに対し、科学の方は、まずいろいろなレベルを区別した上で、そのうちの若干に限ってのみ因果性のなにがしかの形式が成り立つことを認めるが、ほかに同じ形式が通用しないレベルもあるとするのである。…呪術的思考や儀礼が厳格で緻密なのは、科学的現象の存在様式としての因果性の真実を無意識に把握していることのあらわれであり、したがって、因果性を認識しそれを尊重するよりも前に、包括的にそれに感づき、かつそれを演技しているのではないだろうか。」
何を呪術として何を科学とするか、よく考えると難しい問題です。伝統医学もある立場から見れば呪術的に見られるかもしれませんし、科学であるとも言えます。人や生命も自然の一部であり密接に関係しているという思想があります。天人相応とか天人合一などと言われています。そして伝統医学は人も自然も同時に説明しようとしてしまいます。
自然科学は特定の分野の中で通用する形式(原理、法則、定理など)を追求し、それはほかの分野で通用しなくても問題にしません。呪術も科学もそれぞれ世界を記述する一つの方法です。
(ムガク)