フェイク・ニュースは、昔からありましたが、ネット情報が拡大するにつれ、ますます増えて、高速化もみられます。
似ていることがあります。
- なんでもないようですが、道路を歩くというのは、とても刺激的で便利なことなんです。しかし公の道だからこそ、ひったくりにあう可能性があり、通り魔被害を受ける恐れもないわけではありません。交通事故もあり得るでしょう。
- 電話環境も、当初加入している人たちが悪さをしたということは少ないのでしょうが、普及することによってより便利な手段となり、そしてとても便利な携帯端末に至り、とても危険な道具となりました。
- ネット事情も似たようなところがあり、当初のインターネット環境や閉ざされたパソコン通信環境ではあり得なかった危険が、普及すると共にみられるようになりました。
- パソコンの黎明期を知っている人なら、今の携帯端末の事件などは、規模を大きくしただけで、またかと思わせるものばかりなのでした。
- 「便利なものは危ない」という大原則をしっかり覚えておきましょう。
銃規制訴えの高校生に「やらせ」説、ネットでまたデマ拡散:cnn 2018.02.22
米フロリダ州の銃乱射事件で
銃規制を主張していた高校生が「やらせ」であったとする発言があり、この発言が「デマ」であることが分ったそうです。
デマであるというのがデマかも知れず、何がデマなのかわからなくなります。
いくら銃による事件があっても、憲法を改正しない限りこの国では危険な状態が永続しそうです。
犯罪心理学からすれば、こんなことが考えられます。
- 銃規制を訴えるデモがあれば、それを「やらせ」とする「デマ」がみられます。これは「銃規制されると困る」人たちによるフェイク・ニュースなんでしょうか。
- 中国・韓国・日本へ関税をかけようという方針に反対するデモがあれば、それを「やらせ」とする「デマ」がみられます。これは「関税をかけないと困る」人たちによるフェイク・ニュースなんでしょうか。
- オバマケアを廃案にしようとするデモがあれば、それを「やらせ」とする「デマ」がみられます。これは「オバマケアを維持しないと困る」人たちによるフェイク・ニュースなんでしょう。
何が信じられるか、ですが
政府が「正しさをコントロール」するのは、全体主義国家であって、そういう正義はその国でしか通用しません。
かといって、国をこえて常識となっていることが、キリスト教国特有の間違った信念によるものかも知れません。
- 場合によって、政府による考えが正しい場合もあるでしょうが、そうでないことも多く
- 不可解な情報が氾濫する現在、何が信じられるか分らなくなり、少々バイアスがかかっていても、それが分っている人なら大手の通信社や新聞社が伝える記事に頼りたいところですが、それも危ないのです。
何がフェイク・ニュースで、何がフェイク・ニュースでないのか、自分で考えるしかない、のでした。
「遠い親戚よりも近くの赤の他人」、とも言いますが、「一番信頼している人が一番危ない」のかも知れません。
要は、一番いい方法は存在せず、自分の責任で自分が判断するしかないのでしょう。
さてさて、皆様はどう思われますか。