世間には環境が悪いほど偉人が出やすいという説があります。
確かに、環境がよすぎると、出にくいのかも知れませんね。
そう言えば、一度たりとも「まともな時代がなかった」からこそ、中国やロシアで、偉人が出ております。
これらは時代が大きく異なる人たちですが、いずれも
- 当時の社会に受け入れられなかった人間性に問題があったのか
- 受け入れられない環境だったからこそ立派な業績を残せたのか
私にはわかりませんが、国家運営に携わることがないまま、今にも通用する言葉をたくさん残しております。
つまり
今も昔も、どうしようもない中国・ロシアであったからこそ、優れた人たちが存在し得たのでしょうか。
その場合、生存中に高く評価されたかどうかは、たいした問題ではなさそうです。
かつて立派な言葉を残した人がいたので、今もきっと立派な国なんだろう・・・・・・、こんな勘違いをしている人が、特に日本に多いようですね(笑)。錯覚いけないよく見るよろし(升田幸三)・・・・・・
その意味では
今なお中国・ロシアでは、独裁に走る国家首脳とは別に、優れた人物がどこかにいて静かにその能力を磨き火の目を見る時をまっているのでしょうか(笑)。
一方で
いい環境だった国(そんな地域が実在したかどうか疑問ですが)では、不思議なことに、偉大な人が出ていないようです。
例外も多いことでしょうが、普通には
- 環境が悪ければ悪いほど、確率はとても低くなるけれども、偉人が出てくる可能性が高まり
- 環境がよすぎると、改善する余地が少なく見えるためか、偉人が出てくる可能性は極端に低くなるものです。
いまは、たまたま中国・ロシアを取りあげましたが
これは国の大小を問わないし、全国的な識字率の高低とも無関係でしょう。
こんなことを考えていると
中国・ロシアなどの独裁国家が世界制覇の野望をもつことに懐疑的になり、その延長上にある朝鮮半島の南北分断の実情、そして多くの人が期待しているであろう南北会談さえ、むなしく感じられてくるのでした。
もちろん、文在寅や金正恩のレベルの低さを嘆いておりますが、プーチンやトランプや習近平もその例から洩れることはありません。
こうなってくると
ソクラテス・モーツアルト・トルストイの女房が3悪女だったかどうか、さえもどうでもいいことのように思われますね。
最後になりますが、共産主義革命が
- 革命前には、物事を疑うことが多くの人に推奨され
- 革命後には、物事を疑う人が邪魔になり排除される
つまり共産主義社会になってしまうと
- 社会制度そのものを疑えない
- 社会制度そのものを疑ってはいけない
- 社会制度そのものを疑う人は排除される
という宿命がありそうで、これが「共産主義社会での腐敗の根源」なのでしょう。
奇妙なことですが、若い頃に共産主義の魅力に取り憑かれた人たちが、共産主義の現実を知るや「もろくも自分の夢が破れ」、一転して強烈な反共産主義者(悪質な保守主義者か)に転じることが多いようで、このわけが分ってきましたね。
そうすると
今の中国・ロシアが、しっかりその伝統を守っていることになり、旧・現の共産主義国家の首脳たちが、狭い視野のまま、なかなかその悪影響から脱することができないわけも理解できそうです。
さてさて、皆様はどう思われますか。