旭川発 ハッピーなくらし

二度とない今日の日
出会えたことの喜びに感謝して…

旭川 知里幸惠文学碑・2016年冬

2016年01月16日 | 史跡表示板と碑

 この冬、はじめて旭川市立北門中学校の近くを通りましたので
 『アイヌ神謡集』で知られる知里幸惠さんの「文学碑」と
居住地を示す 旭川市の史跡表示板など見学してきました。

                2016.1.11
  旭川市立北門中学校正門前から 前庭を撮影

                

                2015.7.24
  上写真と同じ風景  夏の深緑が美しいころ


                2016.1.11
  冬ならではの凛とした空気感  まるで墨絵のよう…

  あわせて初夏の風景もご紹介いたしましょう
 


   彫刻家 空充秋氏作 “白御影石”と“さび御影石”で創られています。

 1990年6月8日 旭川市立北門中学校前庭(知里幸惠さんが住んでいた場所)に
 知里幸惠さんの文学碑が建てられました。



 『アイヌ神謡集』の冒頭の詩句が刻まれています。

 「梟の神の自ら歌った謡」
 "Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe ranran pishkan"
 シロカニペ  ランラン  ピシカン  コンカニペ ランラン ピシカン
 「 銀のしずく降る降るまわりに、金のしずく降る降るまわりに。 」





                2015.7.24
  知里幸恵さんの居住地を示す旭川市の「史跡表示板」と「文学碑」



  旭川市錦町15丁目  旭川市立北門中学校正門横の歩道沿いに設置されてます。


                2016.1.11
  「知里幸恵居住地」表示板
  1903(明治三六)年登別で生まれる。旭川の伯母金成マツのもとで育てられ、
 祖母や伯母から多くの口承文芸を受け継ぐ。
 金田一京助にその資質を認められ上京、彼のもとでユーカラの編訳にあたったが、
 著書『アイヌ神謡集』を残して1922(大正11)年、19歳の若さで亡くなった。
  住居のあった北門中学校校庭には、彼女を愛する人々の
 手によって文学碑が建立され、毎年六月八日の幸恵の誕生日
 には、エゾカンゾウが手向けられる。

         

                2016.1.11
 「知里幸恵居住地の碑」の標柱は雪道のむこうです。車道側から撮影

  撮り置き写真から 

 文学碑の建つ前庭では、毎年6月8日の誕生日を「銀の滴降る日」として

                2005.6.8
「知里幸惠さんを偲ぶ行事」が行われております。


                2011.6.17
   初夏の陽射しに輝くエゾカンゾウ なんと美しい…。

 2011年6月中旬 北門中学校前を通ったときのこと 
 「知里幸惠 文学碑」のそばに知里幸惠さんが好きだったエゾカンゾウの花は満開に




 
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旭川 「今野大力居住地の碑」と詩碑

2015年07月17日 | 史跡表示板と碑

 先週末、旭川市旭町1条1丁目( 国道40号線)に設置されている
今野大力の居住地を示す旭川市の史跡表示板を見学してきました。

                   2015.7.10
 「今野大力居住地の碑」の標柱は 歩道の植え込みのなかです。

 
 1904(明治37)年宮城県生まれの詩人。
旭川郵便局に勤めながら地元紙や「文芸戦線」等に詩、創作を発表。
のち上京して「戦旗」等の編集活動に携わり、1935(昭和10)年31歳で死去した。
 宮本百合子の小説『小祝の一家』のモデル。
市内を転々とし、1927(昭和2)年から上京までこの付近に住む。
常磐公園には友人「小熊秀雄の碑」と並んで彼の文学碑が建立されている。


                  2015.7.10
「旭橋」をゆっくり歩いて常磐公園内の詩碑も見学してきましょう。
 噴水のむこうの建物は市立旭川病院。大雪山連峰はうっすら。



 旭町から「旭橋」を渡ると常盤町です。ラベンダーは満開に…♪


 旭川ゆかりの詩人 「今野大力の詩碑」 2015.7.10

 昭和60年6月(1985年)没後50周年記念として
 常磐公園内(川のおもしろ館うら)に詩碑が建立されました。


  詩人は時代を先駆した
  詩人が郷土を眞實に生かした
  そんな言葉が
   私の耳に流れては来ないかしら
  そんな言葉が
   地球のどこかで語られる時
  私のからだは
   墓場の火玉となって消えるだろう

     1924年作「やるせなさ」より


                  2015.7.10



                  2015.7.10
  「今野大力(こんのだいりき)の詩碑」の前には「千鳥ケ池」


                   2015.7.10
 歩道のむこう 木立の中に「小熊秀雄の詩碑」が見えます。




 
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旭川 「石川啄木宿泊の地」の碑

2014年12月27日 | 史跡表示板と碑

この夏、いつも通るJR旭川駅前の交差点のそばに設置されている
「石川啄木宿泊の地」の標柱をゆっくり見学してきました。

 JR旭川駅前 西武旭川店B館角の標柱 2014.7.30

 平和通買い物公園側にあります。

                    2014.7.30 

「石川啄木宿泊の地」の碑


明治四十一(1908)年一月二十日、石川啄木は釧路に向かう途中、知人
との待ち合わせのため、旭川駅前の宮越屋旅館に投宿した。
 旭川の地で啄木は、五首の歌を詠んでいる。


  乗合の砲兵士官の
  剣の鞘
  がちやりと鳴るに思ひやぶれき


  名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の
  宿屋安けし
  我が家のごと


  伴なりしかの代議士の
  口あける青き寐顔を
  かなしと思ひき


  今夜こそ思ふ存分泣いてみむと
  泊りし宿屋の
  茶のぬるさかな
  

  水蒸気
  列車の窓に花のごと凍てしを染むる
  あかつきの色




  歌碑付きの石川啄木像
  石川啄木像・歌碑はJR旭川駅東口にある観光物産情報センター内にあります。



 2012年4月13日 啄木没後100年の命日に除幕式が行われました。

「JR旭川駅で石川啄木歌碑像を見学♪」2012.8.18
  旭川にお越しの際は、ぜひ記念撮影などお楽しみください。




 
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旭川 常磐公園・記念碑

2011年11月13日 | 史跡表示板と碑

一昨日(11日)には氷点下2.2度と今季最低気温でしたが
今朝はプラス気温、久しぶりに暖かい一日でした。
旭川地方気象台によると14日未明から雪が降る見通し
16日まで雪が降りやすい天候が続くそう…
冬将軍の足音がすぐそこまで近づいてきている旭川です。

この前、常磐公園を散策し石碑を撮影してきました。


   常磐公園 正面入り口  2011.10.28
御大典記念として当時の第七師団長の渡辺錠太郎氏の揮毫による常磐公園碑です。



この前、紅葉を撮ろうと少し離れてみて初めて気がついた石碑。
いつも通っている道なのに、なぜか気がつかなかった。



『御大典記念樹碑(ごたいてんきねんじゅひ)』 2011.10.28
昭和3年(1928年)全国各地で昭和天皇の即位を祝し「御大典奉祝行事」が行われたそうです。


 
『旭川開村記念碑』常磐公園内 2011.10.28

「旭川市公会堂」と「川のおもしろ館」の中間に設置されています。
2010年10月 旭川開村120年記念イベントとして「食べマルシェ」が開催されました。



木立のなか石碑が見えます。近くに行ってみましょうか♪



 『魚鳥記念碑』  2011.10.28
市内の飲食店の経営者による「魚鳥類供養祭」は今年で六十一回目を迎え
普段食材として使っている魚や鳥に感謝し供養と祈りを捧げたそうです。





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小熊秀雄の詩碑

2007年05月28日 | 史跡表示板と碑
旭川市民の憩いの場となっている常磐公園の一角に
ひっそりとたたずんでいる小熊秀雄の詩碑があります。
これまで足を止めたことはなかったが、過日、大雪クリスタルホールで開かれた
小熊秀雄賞贈呈式、記念講演(信濃デッサン館館主 窪島誠一郎氏)を拝聴。
今回、小熊秀雄の作品について何も知らないことをあらためて知った。
碑文は『現代文学』の追悼号に遺稿として発表された詩の一部が刻まれている。

  
  ここに理想の煉瓦を積み
  ここに自由のせきを切り
  ここに命の畦をつくる
  つかれて寝汗掻くまでに
  夢の中でも耕やさん

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背面碑文

2007年05月28日 | 史跡表示板と碑
小熊秀雄の詩碑 背面碑文です。
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旭川 知里幸惠文学碑 2005年6月

2005年06月08日 | 史跡表示板と碑

知里幸惠さんの文学碑では
毎年 6月8日の誕生日を「銀の滴降る日」とし
知里幸惠さんを偲ぶ行事が行われてます。


登別で生まれ、旭川で育ち「アイヌ神謡集」を世に出し
19歳の若さで亡くなった知里幸恵さんを偲ぶ
第15回・銀の滴降る日の集い(同実行委員会主催)が
6月8日知里幸恵さんの文学碑の建つ旭川市立北門中学校庭で開かれました。


 旭川チカップ二アイヌ民族文化保存会による
  カムイノミ 神々に祈る儀式


 ウコウック 神に感謝を捧げる儀式


 同校吹奏楽部の演奏「銀の滴・金の滴」が流れ
 参列者の献花の列が続きました。
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