水行を見に行った。
僧侶の読経(と言うのだろうか)の中、
「祈り」と「願い」は何がちがうのだろう、とふと考えた。
「祈り」は、神仏に耳を傾けてもらいたいもの、であって
「願い」は、叶えてもらいたいもの、でいいのだろうか。
祈りだろうが、
願いだろうが、
「助けてください」の
この言葉が心から発せられた瞬間に、
既に神仏に救われていることになるのかもなあ。
三省堂の辞書には
「祈る」
{自分の力ではどうしようもない時に}神仏の力にすがって、よいことが起こるように願う。
「願う」
そうなればいいなあと思うことを、神仏・他人に伝えて、その実現を望む
と書かれている。
果たして、救われている者は、救われていることを自覚できるのだろうか。
僧侶の読経(と言うのだろうか)の中、
「祈り」と「願い」は何がちがうのだろう、とふと考えた。
「祈り」は、神仏に耳を傾けてもらいたいもの、であって
「願い」は、叶えてもらいたいもの、でいいのだろうか。
祈りだろうが、
願いだろうが、
「助けてください」の
この言葉が心から発せられた瞬間に、
既に神仏に救われていることになるのかもなあ。
三省堂の辞書には
「祈る」
{自分の力ではどうしようもない時に}神仏の力にすがって、よいことが起こるように願う。
「願う」
そうなればいいなあと思うことを、神仏・他人に伝えて、その実現を望む
と書かれている。
果たして、救われている者は、救われていることを自覚できるのだろうか。