への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

故郷の戸手駅は変貌していました

2025年01月20日 | 旅行

この日の朝、新幹線に乗って故郷に向かいました。

 

名古屋駅でひかりに乗車して3時間、

福山駅に着きました。南口方向です。左は地元百貨店の天満屋

への次郎 5年ぶりかぁ、この駅

 

街には出ず、すぐ福塩線のホームに移動しました。

背後は福山城。この光景、高校通学時によく見ていました。

この府中行きに乗って30分、車窓の風景の変化を見逃すまいと絶えずキョロキョロ。

 

 

戸手駅

戸手駅で下車。高校生のとき、毎日乗り降りしていた駅です。

電車を見送って、目線を左に向けたら、

 

廃棄されたホーム。当時はこれが府中方面のホームでした。

振り向いたら、

 

への次郎 「えっ!!

まるでバス停のような簡素な駅舎!

 

高校生のころの戸手駅は・・・

福山行きと府中行きの二つのホームがあり、列車の交換も行われていました。こちらが府中方面、向かいが福山方面。その向こうに駅舎があって、駅員も複数。1970年代のことです。

 

 駅舎の外に出てみました。

ポストの向うに数軒、屋内駐輪場を経営する家もあったんですが・・・。変貌のさまに驚きながら、当時の痕跡を探していたら、迎えが来ました。

 

 このあと、妹に連れられ、両親の墓と昨年亡くなった同級生の墓に参りをしました。

 

 

母校中学校

墓参りのあと、ランチを済ませ、母校の中学校に行ってみました。

左に正門の石柱、ロータリーに植わったソテツ。当時のままです。ただ背後の校舎、木造からコンクリート製に代わっていました。

 

への次郎 「ここだ

本館棟(管理棟)前の石段、ここで卒業アルバムのクラス写真を撮りました。

いもうと そう?

 

二人で話し合っていたら、背後から声。休日部活をしていた後輩が挨拶をしてくれました。

への次郎 「少ないなぁ、人数

いもうと 「過疎化に少子化よ

 

 

自由軒

夕方、福山駅前に戻って来てホテルにチェックイン後、すぐ街に繰り出しました。

オープン前、行列ができていた自由軒です。吉田類さんも来たとか。

 

店内には、コの字型のカウンター、

15名ほどがやっと座れる狭さ。数分で満席となりました。

 

まず熱燗で冷たくなった体を温めることに。

酒のあては、子供のころよく売りに来ていたシャコ、それにしめ鯖

 

客は吞み続けていましたが、への次郎は一合吞んだあと、食事に転換。

ここの売りはおでん、それを定食にしてもらいました。一番人気のロールキャベツに、大根、豆腐。上にかかっていたのは甘い味噌でした。

 

 

への次郎 「うまかったー!

客の中で最初に暖簾をくぐって出てくると、火照った頬に冷たい風。

 

ダウンジャケットのポケットに両手を突っ込んで、

への次郎 「明日は、同窓会だ!