尊敬の念と共に憧れを抱いて仰ぎ見ていた日本画家の堀文子さんが亡くなったという今朝の新聞の記事に目を疑いました。 100歳の長寿を全うされたのですから、「お疲れさまでした。 素敵な絵の数々を有難うございました。」というべきかもしれませんが、上品で温かく繊細な画風と、その凛とした生き方が好きでした・・・・・
先日も、日野原重明氏の「100歳が聞く100歳の話」実業之日本社刊 の本を読み返したばかりでした。 篠田桃紅、入江一子、後藤純男、高山辰雄氏達と共に堀文子さんも、日野原氏のインタビューを受け、日野原氏に『初対面とは思えないほど魂が通じ合った瞬間であった』と言わしむほど、素晴らしい対談が心に響きました。
「ただ過ぎたことは忘れ、今の自分の感動を描きとめたいだけ」・・・と言う通り、82歳の時に幻の高山植物のブルーポピーを求めて、ヒマラヤ山脈の高地に出かけて、ブルーポピーを描き、2001年に病に倒れてからは、微生物に着目して、顕微鏡を覗きながら、極微の世界に生きる命をモチーフとして描くという、柔軟な心で絵に向かう姿勢に多くを学んだ気がします。
「群れない、慣れない、頼らない」は彼女の言葉として広く知られていますが、凛と一本芯が通った生き方は私だけでなく、多くの人々に生きる勇気を与えてくれていると思います。
どうぞ、安らかにお眠りください・・・・
★ ★ ★ ★ ★
冒頭の絵は、堀文子さんの絵で、タイトルは「流れゆく山の季節」(1990年)です。 お元気だった頃、軽井沢の山荘で草木と共に暮らしていた時期の作品です。
堀さんの解説によると、「この絵は、私の庭の花達の春秋の姿に現れた万物流転のいのちの記録である。」そうです。
先日も、日野原重明氏の「100歳が聞く100歳の話」実業之日本社刊 の本を読み返したばかりでした。 篠田桃紅、入江一子、後藤純男、高山辰雄氏達と共に堀文子さんも、日野原氏のインタビューを受け、日野原氏に『初対面とは思えないほど魂が通じ合った瞬間であった』と言わしむほど、素晴らしい対談が心に響きました。
「ただ過ぎたことは忘れ、今の自分の感動を描きとめたいだけ」・・・と言う通り、82歳の時に幻の高山植物のブルーポピーを求めて、ヒマラヤ山脈の高地に出かけて、ブルーポピーを描き、2001年に病に倒れてからは、微生物に着目して、顕微鏡を覗きながら、極微の世界に生きる命をモチーフとして描くという、柔軟な心で絵に向かう姿勢に多くを学んだ気がします。
「群れない、慣れない、頼らない」は彼女の言葉として広く知られていますが、凛と一本芯が通った生き方は私だけでなく、多くの人々に生きる勇気を与えてくれていると思います。
どうぞ、安らかにお眠りください・・・・
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冒頭の絵は、堀文子さんの絵で、タイトルは「流れゆく山の季節」(1990年)です。 お元気だった頃、軽井沢の山荘で草木と共に暮らしていた時期の作品です。
堀さんの解説によると、「この絵は、私の庭の花達の春秋の姿に現れた万物流転のいのちの記録である。」そうです。