染の小道を楽しんだ後は
渡された落合記念館散策マップを片手に歩きました
先ずは林芙美子記念館へ(見出し画像)
この四の坂沿い左側に記念館が建っていました
格子門
この先に正門があります
たくさんの部屋がありました
『ここは庭の山野草が四季折々に楽しめるので季節ごとに通っています』と
カメラ片手の高齢の紳士が話してくれました
たしかに・・・
フクジュソウやユキワリイチゲなどが陽だまりの中で気持ちよさそう・・・
立派な家屋とお庭は新宿区によって丁寧に管理されていましたが
私の中にイメージとしてある林芙美子像とのギャップが大きくて戸惑いました
第一次世界大戦後の困難な時代を背景に一人の若い女性が
飢えと貧困にあえぎつつ
下女 女中 カフェの女給(当時の言い方です)と職を転々としながら
向上心を失わず強く生きた姿を書いた
自伝的小説「放浪記」は
森光子さんの当たり役として
何と公演回数2000回を超えたことでも知られていますが
私の中の林芙美子さんは
「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ大かりき」の
言葉に代表されるイメージでしたので
目の前の立派な邸宅とのギャップがとても大きかったです💦
考えてみれば
放浪記をはじめ浮雲など
次々とヒット作を生み出した彼女が
人生の後半に手に入れた豊かな人生の
証なのでしょう
苦労の末に手に入れた幸せに🍻ですね
続いては
佐伯祐三アトリエ記念館
聖母坂を上って行った聖母病院の先にひっそりと建っていました
アトリエは再建されたもので
アトリエの前に住居が建っていたそうです
佐伯祐三が落合に住んでいた頃の風景
彼は25歳で東京美術学校(現東京芸大)を卒業し その年のうちに
フランスに渡り2年間を過ごしている間ユトリロやゴッホから
大きな影響を受けたそうです
1年半日本に一時帰国した時には 落合で過ごし
再びパリに戻り猛烈な勢いで制作を続けたのですが
結核を患い精神的にも追い詰められて
パリ郊外の病院で亡くなったそうです
30年の短い人生でした・・・
ついでながら
彼の展覧会が東京ステーションギャラリーで
4月2日まで開催中です
落合芸術村には
中村彜アトリエ記念館もありましたが疲れてしまいましたので
またの機会に・・・・(^_-)
お陰さまで染だけでなく思いがけなくも芸術村にも
足を向けることができた有意義な一日でした(^-^)