英国ボーディングスクール&ティーンエイジャー&お菓子教室

長女の英国ボーディングスクール留学準備に奔走中。自宅で開いている小さなお菓子教室、子供、愛犬のあれこれも綴ります。

海外子女教育といじめ

2013-01-08 17:16:46 | 教育
今月のムース・オ・ショコラに申し込みたいんだけど、中に入れるフィリングのラズベリーが苦手なの、とママ友に言われ、ならばバナナを入れてみよう、どうやってアレンジしようかな、とお菓子の本を眺めていたら、一番後ろの方に犬飼道子さんの「日本人学校?」という記事を見つけ、久しぶりに読み直してみました。前回読んだのは確か結婚する前、もちろん子供もいなかったときなので、海外子女教育など他人事だったし、まさか自分が当事者になるとも思ってなかったので「ふ~ん」くらいにしか思わなかったのですが、今読んでみると現実味があります。犬養さんの主旨は、国内の進学ばかりを考えて日本人学校に行ったのでは現地を知る機会がない、日本語は週末の日本語補習校で補って、あとは現地校に入るべし、というものでした。確かに、できるものなら現地校なりインターに入れて、視野を広げたいとは思います。でも、わが子を迷わず日本人学校に入れた私には大きな理由が3つありました。一つめは、ちょうどこちらへ来る直前の長男の保護者会の席で、担任の先生から、「これからは抽象的な概念にかかわる言語能力が発達してくる時期です」と聞いたことがあり、そういう大事な時期に日本語から遠ざける理由はないなと思ったこと、二つめは、長男が高校進学時に帰国する予定なので、進学を考えると日本の教育システムから外れることはできない、三つめは、もし現地校あるいはインターで教育を受けて帰国したら日本の学校で受け入れてもらえないかも(=いじめられるかも)ということでした。冷静に考えれば、日本国籍を持ち、日本語もできる、れっきとした日本人が、一時期海外にいて日本の教育システムから外れたというだけで、帰国後日本の学校に入れないなんて、腑におちない気がするのです。東大が始めた9月入学が日本でも一般的になれば、もうちょっと改善されるのでしょうか?で、少し前まではここまでしか考えてなかったのですが、最近、荻上チキという人を知り、彼の著書を知って、考えが少し発展しました。荻上さんと共著を出した内藤朝雄さんという人はいじめを社会学的に考察しているのですが、いじめは閉塞された社会でおこるものだと言っています。日本の学校でおこっているいじめ、それはクラスという単位の閉塞された社会で起こっている問題ですが、海外に出てしまうと日本人なのに日本の学校に戻れない、という社会全体が閉塞的なのではと思ったのです。長男を育てながら、今の日本での子育てがすごくしづらい、とずっと思っていました。たとえばうちではDSなどのゲームはやらせたくなかった、やらせるにしても時期を親が判断したかったのに、うちの子は持っていないことで仲間外れになりました。「やる時間と決めればいいんだから、買ってあげなよ」とクラスメートのお母さんに言われ、「持たない」という選択肢は認められないの???と思いました。ゲーム機を買ったら今度は次々と出る新しいソフトを間髪入れずに買わないとまたまた仲間はずれです。真っ先にソフトを買って早々とクリアしている人たちは自分たちは先端を行っていると思ってるのでしょうが、私に言わせればゲーム会社の商業主義に親も子も食い物にされているとしか思えないのです。自分たちが主体的に買っているはずのものが、いつのまにか買わないとコミュニティに入れない構造になっている、私はいらない、持たない、家族にもあたえない、といえない状況になっている、それって戦時中の隣組とどう違うの?とまで思えてきてしまうのです。ちょっとエキセントリックなことを言ってしまったですが、商業主義のうずまく日本から離れ、どんなに新しいおもちゃやゲームが次々に出てもおいそれとは手に入らないこちらにきて、正直、ほっとしています。子供たちもあるもので上手に遊んでいるし、持っていない子がいれば融通します。次いつ日本に一時帰国して新しいおもちゃを手に入れるかわからないけど、次の機会までずっと遊びます。これってごくごく当たり前のことだと思うのですが、こういう環境に育った素直な子たちが、日本に帰ったらいじめられないか、うまく適応できるか、と気をもまなくてはいけない日本がすごーく特異な国に思えてくるのです。