今日の中国語に行ったら出された宿題は「忘れられない旅行」についての作文。何について書こうか考えた。まず思いついたのは10数年前、会社を辞めて主人が先に赴任している大連に行く前に一人でヨーロッパに行った時の話。バルセロナからパリに向かう列車がフランスに入り、モンペリエという町に停まった時に煙が出て動かなくなり、そこで1泊しなくてはいけなかったことを思い出した。列車の中の隣のボックスシートにはスイス人の若い男性2人(おそらくゲイのカップル)がいたのだけど、よく話しかけてくれ、車中ずっと退屈しなかった。列車がどうにもこうにも動かず、パリには入れないとわかった時、パリのホテルに連絡しなくてはいけなかったのだが、携帯もなく、公衆電話のかけかたもわからず、ましてやフランス語ができなかったので、カップルのうち一人に頼んだら快く引き受けてくれて電話をしてくれた。列車を降りて駅前に宿をとり、次の日また列車に乗ってパリに向かった車窓の景色がなんとも言えず印象的だった。水に浮かぶようなはちみつ色の家々。あとから気がついたのだか、あればエクサンプロバンスの風景だった。写真をとらなかったのが悔やまれる。でも、もっと忘れられない旅行があった。父と初めて行ったヨーロッパだ。社会人になって1年目の秋、父がイタリアに出張に行くけれども、人に会うだけの用事でそんなに忙しくないから、ホテル代と飯代は出してやるから一緒に来るかい?と誘ってくれた。ヨーロッパは初めてだったから二つ返事で行くことにした。
父は若いころにイタリアに留学していたので、イタリア語ができるし、友人もおり、土地勘もある。ミラノでは父の留学時代の友人の家に招かれ、父の留学先だったフィレンツェではまた別の友人が「眺めのよい部屋」という映画の舞台になった、アルノ川沿いの素敵なペンションを予約してくれていた。丘の上のちょっといい感じのレストランに連れて行ってもらったが、メニューを見て何にしよう、というときに、父が「俺、財布忘れた!」と、言い、ズボンのポケットに入っている小銭分だけ、ディナーならコースで食べるのが当たり前の所をメインディッシュだけ食べてそそくさと出てきた。レストランのウエイターが不思議そうな顔をしていた。フィレンツェでは女性のピアニストにも会った。彼女の家にディナーに呼ばれ、ドゥオモの丸い屋根を眺めながら手作りでおもてなしを受けたのだが、どこのレストランよりも美味しかった。年のせいで彼女の名前を忘れてしまったが、夫がカサドというチェロ奏者だったと聞いた。初めてイタリアンジェラートを食べたのもフィレンツェ。ショッピングに行っても辛抱強く店で待ってくれ、あれこれ見せてくれ、というのも全部通訳してくれた。そのあと行ったローマではガイド付きの観光バスに乗り、スペイン広場やトレビの泉など、お定まりのコースを行き、おのぼりさんをたっぷり楽しんだ。この旅行の半年前、2年間の闘病生活の後がんで母が亡くなった。父と私は2年間の看病や、亡くなった後は葬式やら法事やらでずっと忙しくしていたから、ようやく生活が一段落し、父に少し気持ちの余裕が出てきた時に誘ってくれた旅行だっただけに、本当に忘れがたいものになった。中国語の宿題がきっかけで、こんな大切な思い出を、久しぶりに思い出した。父に会いたくなった。
父は若いころにイタリアに留学していたので、イタリア語ができるし、友人もおり、土地勘もある。ミラノでは父の留学時代の友人の家に招かれ、父の留学先だったフィレンツェではまた別の友人が「眺めのよい部屋」という映画の舞台になった、アルノ川沿いの素敵なペンションを予約してくれていた。丘の上のちょっといい感じのレストランに連れて行ってもらったが、メニューを見て何にしよう、というときに、父が「俺、財布忘れた!」と、言い、ズボンのポケットに入っている小銭分だけ、ディナーならコースで食べるのが当たり前の所をメインディッシュだけ食べてそそくさと出てきた。レストランのウエイターが不思議そうな顔をしていた。フィレンツェでは女性のピアニストにも会った。彼女の家にディナーに呼ばれ、ドゥオモの丸い屋根を眺めながら手作りでおもてなしを受けたのだが、どこのレストランよりも美味しかった。年のせいで彼女の名前を忘れてしまったが、夫がカサドというチェロ奏者だったと聞いた。初めてイタリアンジェラートを食べたのもフィレンツェ。ショッピングに行っても辛抱強く店で待ってくれ、あれこれ見せてくれ、というのも全部通訳してくれた。そのあと行ったローマではガイド付きの観光バスに乗り、スペイン広場やトレビの泉など、お定まりのコースを行き、おのぼりさんをたっぷり楽しんだ。この旅行の半年前、2年間の闘病生活の後がんで母が亡くなった。父と私は2年間の看病や、亡くなった後は葬式やら法事やらでずっと忙しくしていたから、ようやく生活が一段落し、父に少し気持ちの余裕が出てきた時に誘ってくれた旅行だっただけに、本当に忘れがたいものになった。中国語の宿題がきっかけで、こんな大切な思い出を、久しぶりに思い出した。父に会いたくなった。