駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

ステイックバッグ

2005年11月03日 | ドラム&パーカッション
世界で一つだけのオリジナルスティックバッグだ。
以前、「ラッキー7」というオールディーズバンドと「オールorナッシング」というロックバンドをオレと一緒に組んでいて、素晴らしいヴォーカルを聞かせてくれた「ツリ君」が作ってくれた。
5~6年も前のことだ。
彼は皮細工に凝り、ついに自分の店を持つようになった。
そんな彼にオーダーをしたのがこのスティックバッグだ。
たくさんのスティック類が入るように、市販のものより少しサイズアップしてもらった。
それゆえ、非常に便利で重宝だ。オレの大のお気に入りである。

高級な皮を使って丁寧な作りをしてあり、相当な手間がかかっているにも関わらず、材料費だけし受け取らなかった。
まともに請求していたら多分、10万円ぐらいしただろう。
今頃なんだけれど、改めて礼を言いたい。
ツリ君、ありがとうね。

他にいくつかスティックバッグは持っているが、常に身近に置いて、いつでも持ち歩いているのはこのバッグだけである。
最初は白かった皮も、日に焼けていい色合いになってきた。
酷使しているため、一部のつなぎの紐がほころんできているので、またそのうち修理してもらわなきゃいけない。
何しろこいつだけは一生モノだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユーゾーブルースバンド

2005年11月03日 | ライブレポ
このポスターは、今は亡き高須ユーゾーさんのトリビュートライブを5年ほど前に行った時のものである。
ユーゾーさんのヴォーカルは、個性的で圧倒される歌だった。
だみ声で、凄い声量で歌うブルースには、誰もが度肝を抜かれた。一度聞いたらみんなファンになってしまうぐらいだ。
あんな歌手には二度と出会えないだろうと思う。
ユーゾーブルースバンドには、オレがまだ箸にも棒にもかからない駆け出しのドラマーだった頃お世話になった。
もう25年ぐらい昔のことだ。
ヘタクソなくせに鼻っぱしが強くて生意気なオレを鍛えてくださった諸先輩方は、ブルース好きな凄腕テクニシャンの集団で、精神的にも技術的にもあらゆる面で勉強になった。

メンバーは、V・高須ユーゾーさん G・春名さん G・水谷としちゃん B・金子じっちゃん そして、時にはゲストKeyとして故、大場タカカズさんやドラムのコーチとして故、パンリュウ博明師も参加してくださった。
今思うと凄いメンバーであるが、亡くなった方が多い。
次はオレではないかと想像するとちょっと、いやかなり怖い。

活動時期は、オレが参加してから3~4年ぐらいだったと思う。
ユーゾーさんが新しい事業を始め、軌道に乗るまでの間バンド活動は休止となった。
事業は成功したが、それ以来、バンドが再開することはなかった。

ユーゾーさんが亡くなったのは8年ぐらい前のことだ。
病に倒れ闘病中ということは聞いていたが、当時はみんなそれぞれの活動が忙しく、あまり集まることもなかった。
訃報を聞き葬儀に集まった春名さん、水谷さん、金子さんとオレは、久しぶりに顔を合わせてユーゾーさんの思い出話をしたわけだが、そのまま帰るのが惜しくて葬儀場から飲食店に移動した。
昼間から喪服のまましこたま酒を飲み、いつかユーゾーさんのトリビュートライブをやろうよと硬く誓いあった。

だが、所詮そんな話はその場限りで、3年間何の音沙汰もなく過ぎた。
ある夜、オレが寝ているとユーゾーさんが夢に出てきた。あのだみ声で歌っているではないか。
オレは、ユーゾーさんが何を言おうといたのかを察知し、翌日、春名さんと水谷さん、金子さんに連絡を取り、計画はついに動いた。
しかし、日時をどうするか、会場の突然のキャンセル、内容構成はどうするか、費用が足りない、ギャラが出せない、出演者は誰に頼むか、ご遺族の了解を得なくては、招待をしなくては、等の問題は山積で、思うほど簡単には運べなかったが、皆さんのご協力の下、何とかうまくいった。
しかも言いだしっぺのオレは、赤字負担分は覚悟していたにもかかわらず、簡単な打ち上げ費用まで捻出できたことは感謝している。

これが、ユーゾーブルースバンド・トリビュートライブのいきさつだ。
ライブの内容については、また機会があれば書きたいと思う。
そして、その生き残っているメンバーこそ、今オレが世話になっている「SEXY VOICE」の主要メンバーである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする