ドッパン、ドッパッドパッ、ドパン、パドドパドドパドドパドドン!
カウベルの心地よい4分音符と共に、バスドラとスネアのリズム打ちの2小節、続いて怒涛のスネアとバスドラの3連符で2小節。
何のこっちゃ?と思うヤツはまだ青いでっせ。
誰が何ちゅったって、これは「グランド・ファンク・レイルロード=GFR」の「We're An American Band=邦題アメリカン・バンド」のイントロである。え~?聞いたことない?そんなドラマーはモグリですわ。
1973年の全米1位の大ヒット、ニッポンでもラジオのスイッチをひねればこのイントロが流れるという大ヒットだった。
ドラムはドン・ブリューワーで、アメリカン・バンドは彼が歌っている。
その頃、オレは毛が生えかけたぐらいのガキだったが、将来はドラマーになることを視野に入れたガキの日々を送っていた。
初めてこの曲を聞いた時、まずドラムのイントロでオレはぶっ飛び、家の屋根を突き抜けて100Mぐらい先に着地した。そして、ヴォーカルのぶっとい歌声にひっくり返り、間奏のツインリードのギター・ソロに土を100Mほど掘ってオレはモグラになった。
オレは、この日からドラム・ボーカルという道を歩むべく運命が開かれてしまった。気がした。気のせいだった。
あのソウルフルな歌声は、野獣という感じでガイジンさんのデカイ体に太い腕、デカイケツにデカイち○ち○を想像してしまったのはオレだけでしょうか?
こんな感じのメンバー。やっぱ野獣ですかね~。
GFRはその後、「ロコモーション」をリバイバルヒットさせて、妙にポップス・バンドっぽくなってしまった。
大掛かりなライブも、作り物っぽくなってしまい、キーボードなんかいないのにいろんな音がするし、口パクっぽい歌い回しとかでだんだんオレは興味がなくなってしまった。
ドラマーが100人いたら100人がコピーしたであろう、ドン・ブリュ-ワーのイントロのドラムソロは、オレはパターンが理解できるまでに何週間か要した。
その頃は、レコードを買う金もなく、ラジカセという便利なものもなく、ラジオで流れるのを待って、その場でオンタイムで覚えるしか方法がなかったからだ。
最初は、スネア1、フロアタム2の3連符かと思った。だが、友人の家でレコードを磨り減るほど聴かせえもらい、それがフロアタムでなくバスドラだと分かったとき、再びぶっ飛び、5キロ先の浜名湖に着水して危うく溺死するところだった。そのくらい当時は難しいフレーズに感じたのだ。
1年以上たった後に、オレはやっとそのドラムソロをマスターした。
フットワークが、やっと自分の意思で調節できるようになったのである。
自信満々でこのイントロをこなして、ギターとベースが絡んでくるのを待った。
だが、誰も入ってこない。
その頃は、もうGFRの人気は廃れて、アメリカン・バンドをやろうというメンバーはいなかったし、そもそも続きを弾けるヤツがいなかったのだった。
カウベルの心地よい4分音符と共に、バスドラとスネアのリズム打ちの2小節、続いて怒涛のスネアとバスドラの3連符で2小節。
何のこっちゃ?と思うヤツはまだ青いでっせ。
誰が何ちゅったって、これは「グランド・ファンク・レイルロード=GFR」の「We're An American Band=邦題アメリカン・バンド」のイントロである。え~?聞いたことない?そんなドラマーはモグリですわ。
1973年の全米1位の大ヒット、ニッポンでもラジオのスイッチをひねればこのイントロが流れるという大ヒットだった。
ドラムはドン・ブリューワーで、アメリカン・バンドは彼が歌っている。
その頃、オレは毛が生えかけたぐらいのガキだったが、将来はドラマーになることを視野に入れたガキの日々を送っていた。
初めてこの曲を聞いた時、まずドラムのイントロでオレはぶっ飛び、家の屋根を突き抜けて100Mぐらい先に着地した。そして、ヴォーカルのぶっとい歌声にひっくり返り、間奏のツインリードのギター・ソロに土を100Mほど掘ってオレはモグラになった。
オレは、この日からドラム・ボーカルという道を歩むべく運命が開かれてしまった。気がした。気のせいだった。
あのソウルフルな歌声は、野獣という感じでガイジンさんのデカイ体に太い腕、デカイケツにデカイち○ち○を想像してしまったのはオレだけでしょうか?
こんな感じのメンバー。やっぱ野獣ですかね~。
GFRはその後、「ロコモーション」をリバイバルヒットさせて、妙にポップス・バンドっぽくなってしまった。
大掛かりなライブも、作り物っぽくなってしまい、キーボードなんかいないのにいろんな音がするし、口パクっぽい歌い回しとかでだんだんオレは興味がなくなってしまった。
ドラマーが100人いたら100人がコピーしたであろう、ドン・ブリュ-ワーのイントロのドラムソロは、オレはパターンが理解できるまでに何週間か要した。
その頃は、レコードを買う金もなく、ラジカセという便利なものもなく、ラジオで流れるのを待って、その場でオンタイムで覚えるしか方法がなかったからだ。
最初は、スネア1、フロアタム2の3連符かと思った。だが、友人の家でレコードを磨り減るほど聴かせえもらい、それがフロアタムでなくバスドラだと分かったとき、再びぶっ飛び、5キロ先の浜名湖に着水して危うく溺死するところだった。そのくらい当時は難しいフレーズに感じたのだ。
1年以上たった後に、オレはやっとそのドラムソロをマスターした。
フットワークが、やっと自分の意思で調節できるようになったのである。
自信満々でこのイントロをこなして、ギターとベースが絡んでくるのを待った。
だが、誰も入ってこない。
その頃は、もうGFRの人気は廃れて、アメリカン・バンドをやろうというメンバーはいなかったし、そもそも続きを弾けるヤツがいなかったのだった。