日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

すばらしいひと

2020年09月26日 | 苦しむ人とともにあること

あなたはただの一度も私を変えようとしなかった


思えば私はずっとそうしていたというのに


その一点だけで


あなたは私など及びもつかないすばらしい人








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猫のアドバイス

2020年09月15日 | 苦しむ人とともにあること

エビチリ事件以来、家族がまた殻にこもってしまった。


膝に乗ってきた猫を撫でながら


「どうしても否定的なことを言われることが耐えられないんだよねえ。

家族が一番の味方なんだから、家でそういうことを練習できたらいいのにねえ」


と話しかけてみた。


「放っておきなさい」と猫が答えた。


(まあ自分のアテレコなんですけどね)


「余計なお世話、してはいけない」



そうか、そうかもしれないね。






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苦しみの終了

2020年08月07日 | 苦しむ人とともにあること
この家の一番奥の自動車ほどもある重く大きな歯車が「ごうん」という音を立てて動き出した。

ちょうど水車小屋の水車のようにそびえ立つ錆だらけのそれは、もう何年もぴくりとも動いていなかった。

簡単なことだった、全てはそこにあって、必要なのは小さな部品の重心の調整だけだったから。

だけど難しいことだった。
目に見えない全体を探ってそれをまた身の内に収め、自分の形を変えることだったから。
最後は遠くまで行って一年寝かせたのち、助けてくれる人たちの手も借りた。

まるで当たり前のことのように、ある日もやが晴れ、苦しんでいた人にかかっていた重荷が取り除かれた。

久しぶりに話した専門家も仰天した。

「苦しんではいなかったんだけどね」と苦しんでいた人は言った。

「いやいや、苦しんでいたし、苦しそうだったし、苦しいと言っていたよ。」と私は返した。

まあでもそんなことはいいよ。

お茶でも飲んでゆっくりしよう。

















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健闘を

2020年04月14日 | 苦しむ人とともにあること
ここは一つの局面で、私もあなたもここからあと一歩どちらかへ踏み出すような予感がする。

この後はもう同じことをくりかえすことにはならないように思う。

私たちは生きのびるだろうか。

仲間で家族でいられるだろうか。

どちらにしろすぐそこが見晴らし台。

私たちはよく戦ってきた。









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一心

2020年04月04日 | 苦しむ人とともにあること
「これ以上できない」というのは
言い訳だった

苦しみを排除する方に全力で走っても
それはくりかえし倍増されてやってきた

知ってたけど本当はそれと一緒にいることをしないとだめなんだ

私のせいではないということと同時に
責任があるということもわかっている

咳をする理由もわかった
内臓がふるふる震えている






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