一回昼も夜もなく上も下もないところでバラバラになって組み換え直されて48時間後に正気に戻された。
熱がないって楽だね。
見回してみるとちゃちな(大事だけど)自分が見える。
私の行動は私
私が目に「流し入れる」限定的な内容は私だし
それに反応する私で固定され
過去の記憶である抜け殻で構成されている
蓑虫の蓑みたいな
あぶくみたいな(ご大層なものではない)
私はほぼ私の暮らしである。
いつでも変われるし
いつでも現時点で/を見直すべし
たしかに
なんでもできるし
いやむしろ
いやむしろ
己を生きろ

一回昼も夜もなく上も下もないところでバラバラになって組み換え直されて48時間後に正気に戻された。
熱がないって楽だね。
見回してみるとちゃちな(大事だけど)自分が見える。
私の行動は私
私が目に「流し入れる」限定的な内容は私だし
それに反応する私で固定され
過去の記憶である抜け殻で構成されている
蓑虫の蓑みたいな
あぶくみたいな(ご大層なものではない)
私はほぼ私の暮らしである。
いつでも変われるし
いつでも現時点で/を見直すべし
たしかに
なんでもできるし
いやむしろ
いやむしろ
己を生きろ
出張の乗り換えの時間のない中、荷物を抱えて半ば走りながら通り抜けた新大阪駅で、およそ24秒の素早さで辻利グリーンティ・スィートを買った。
そのまま走ろうと思ったけど思い直して明るい設えのベンチに座って半分近く飲み干した。
そしてまた走って集合して旅は続いたんだけど。
美味しかったなあ。
あとなんだかすごく嬉しかった。
お茶の品質や味だけじゃなくデザインやパッケージまで丁寧に作られた高価なものを自分が消費するために買うこと、なのか。
なんだったのかなあ。
あのうれしさは。
とても素敵なものをプレゼントされたような。
そういうことばかりをしていきたい。
朝にね。
「汝は今日、食事中に鉄道を利用するであろう」と言われたとしたら信じられなかったな。
でもなんでかそんなことになってしまった。
そんなつもりじゃなかったのに、娘ともんじゃ焼きを食べてる間に約束の時間が近づいてきた。
車だと多分間に合わないけど、店を出てすぐに地下鉄の駅がある。
調べたら待ち合わせまで一駅の3分。
2枚(?)目のもんじゃ焼きを一口だけ食べて、娘と大将に「いってきます」と地下鉄の駅に走り、一駅乗って改札を出て待ち合わせ時間にリョウコさんを抱きしめた。
ちょうどお誕生日だったのに花束を買う時間がなくて残念だったけど、それはまた次回。
(まあ薄着、若いわねって言われたのは、上着は置いて走ってきたから)
約束のものを交換して先を急ぐ彼女と別れてまた地下鉄に。
22分後、「ただいまー」と店に帰ってよく焼けたもんじゃ焼きの最後の方を食べ終わった。
間違いの中にもうつくしさはある
私たちの罪と傷と醜さと嘆きに
赦しが恩寵が訪れますように
私たちが傷つける全てのものと
傷つき傷つける私たちとが
いつか果てて消えてゆくまで
生きてゆけますように