気がついたら「生きる」という舞台の上にいる
ルールも遊び方も見よう見まねでやるしかない
言われることや教わること
説明がつかなくても自分が選んでいく
その足取り
成長した後に棚卸し/解体する
「自分」という現象を壊してまた組み上げる
何度ボードから落ちてもまた這い上がって波にのる
そうしたら「生きる」の意味も変わっている
「私」のかたちも変わっている
フォーカスとウエイトと張り方と表出
深まるのは落ち着き
しずけさ
見えなくてさわれないものの感触
気がついたら「生きる」という舞台の上にいる
ルールも遊び方も見よう見まねでやるしかない
言われることや教わること
説明がつかなくても自分が選んでいく
その足取り
成長した後に棚卸し/解体する
「自分」という現象を壊してまた組み上げる
何度ボードから落ちてもまた這い上がって波にのる
そうしたら「生きる」の意味も変わっている
「私」のかたちも変わっている
フォーカスとウエイトと張り方と表出
深まるのは落ち着き
しずけさ
見えなくてさわれないものの感触
私たちほんとはわかっている
お買い得だったと喜ぶことがあっても
本当に大切なものはそんなふうに買えないことを
自分が差し出したものが価値だと自分が思うこと
どれだけ心を尽くし時間をかけて自分を削りそこに差し出したか
自分を開いた以上のものは得ることができないこと
まあ、あと「ただ」という値段のつけられない貴重で希少なものもあるけどね
あれ
思ってたのとちがった
無心研の最初の準備の3分間
GRACEオンライン講座
ハリファックス老師の言う
percolating throughという表現
身体
感情
思考
特に感情
言葉の指し示すもの、そうだと思い込んでいるものと
内側に感じるそれらシニフィエ signifie
言葉のフィルターを通って思考で把握されているものではない
なまの
実態
別にそんな大層なことでもない。
みんな「自分の生活」の中で生きている。
その生活は自分が作っている。
本当は今すぐにでも変えることはできる。
例えばパスポート作って蒸発したら。
大切にしてるものいやなものも全て捨てることもできる。
捨てていないから大切にしてると言うこともできる。
自分で選んで作っていると言うこともできる。
確固とした現実なんてない。
だけどあると思いたいのが人間だから
だから強固な現実を作るのかな。