お祭りやってるよ!と連絡しても子どもたちはもう出てこない年齢になりました。
ばかばかしいキャラクターの絵が描かれた袋に入ったわたあめとか、そのあと誰が面倒見るのという金魚掬いとか、ねだられる年月は思ったりよりずっと短かった。
ねだられたものを買って喜ばせるということが、どんなに貴重なことであったか、今あらためて感じている。
少し大きくなってからいろいろ親子とも大変だったけれど、遊ばせ盛りの小さい頃は思い切り遊んだから心残りはない。
あの子たちの人生に残る海遊びの記憶の全ての水着を私が洗ったとは、なんという恵みか。
彼らには彼らの人生があり、もう私の役割はお金を稼いで元気でいるくらいだけど。
親子として巡りあい時間を過ごせていることを、忘れずに時折感謝しようと思う。