何かとお騒がせだったおばがついに亡くなった。たまにかかってきていた電話がここのところ来なくなっていたからどうしたかなぁとは思っていた。
母の家系は情が深く愛するし愛されたい質で、愛する、は置いておいて、愛されたい、は概ね本人にとって大変そうだった。
身内だけで簡単にとは言えそこそこの人数が集まり、何年ぶり、元気だった、こんな時にでもなきゃ会わないから子どもが何人だかどこに住んでるんだかあやふやで何を話そうか。
いとこは私が覚えている叔父にそっくりだし、叔母からは母に似たなつかしい気配がする。
たまにしか会わないけれど、それぞれの人が時間の流れで皺や白髪が増えた分洗いざらしたような良さがあった。行き過ぎたり角張ったところ、そういうところが丸くなったり落ち着いたり。
そうすると年をとるということはやはり恵みなんだなと思った。
さすがに享年90だと場は軽く明るい。
いとこの話では最期の半年は毎日呼び出し、つまりたっぷり最愛の子に甘えたようだった。
あらためてふりかえると簡単に身内で、でも必要充分なお別れで、beautifulなお葬式だった。
これがゴールであるならば叔母の人生もなんというか大団円では。
じゃあねと別れて「会えて嬉しかった。いいお葬式だったね」と写真を送りあった。
私たちはみんな、たまに会ってご飯を食べておしゃべりをして笑ってまたねと別れる。
それしかないしそれでいいんだ。
じゃね、とどこかで叔母が言った気がした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます