閉じたカーテンがふわりと揺れて向こう側の景色がちらっと見えることがある。
昔、闘病中の母が敗血症で大きな病院に入院したことがあった。
慌ただしい医師たちの動き、母に繋がれた機械が立てる音。
母がいなくなる時間がすぐそこに触れる距離にあった。
その時母は生還した。
それがよかったかどうかはわからないけど。
昨日はいくつかのできごとがあって、その後に流れていく二手くらい先の様子が透けてみえた。
私が(常に近くに)いない子どもたちの生活。
私が全ての体験に関わらない、一人の大人として歩いていく生活。
肩の下の方の何かが剥がれ落ちていく。
そう、多分彼らは大丈夫。
それぞれ生きていける。
(お昼寝中)
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