日々乃家日誌 まにまに・てい子の日々の発見

母まにまにが娘てい子と始めた、日々の発見を綴るブログです。

なぞなぞの続き

2018年05月17日 | 命について
そうするとね

「自分」と思ってたものは

全世界との共同作業だったんだな

ぶつかる障害ばかり目についていたけれど

その「地」は私を受け止めて支えて形作っていたんだった

家族だったり社会だったり

遥か昔、遥か遠くまで連なるものたち

ひとつ欠けても今ある「私」はいなかった

だから誰かに対してできることも

その人が自らを表現できる場を用意すること、だけかもしれない

アイデンティティコストは要求せずに

時間と空間、場

その人のために席を用意して

好きにしてもらうこと

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考え中のなぞなぞ

2018年05月17日 | 命について
空間はただではない

何のためでもない自由な空間は存在しない

そこでそうあることができるなら

それはそれが許されているから

受けとめる空間があるから

そのようにあることができる

それは例えば空中ブランコの受け手

そのひとを受け止める手

家庭

職場

社会

文化



大気圏に真空がないように

空間があるとしたらそれは用意されたもの

空のかたまりが
別の空のかたまりに出会うところ

だから誰も知らない火事はない

知られたならば出会ったということ

あなたははすでに受け止められてある





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そんな日もある

2018年05月11日 | ホームスクール・ホームエデュケーション・不登校
調子の悪い家族の背中をポンポンと叩く。

どうしてこうなっちゃうんだろう?と悲しむけれど

そういうこともあるよ。

調子悪い日だってある。

いいじゃん、たまには。

すごろくにだってあるもん、「一回やすみ」

(今時のマリオパーティみたいなのにもあるよね?)

ちょっと休もう

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栗鼠

2018年05月07日 | 命について
後で私の魂の一部になるものが、ある夜、庭で小さな声をあげていた。

ぴー、ぴー、ぴー、と。

恐る恐る子どもと様子を見に行くと見知らぬ猫がいて、少し離れたところに生まれたての何かが落ちていた。
生きるかどうかわからない生き物を箱に入れ、翌朝まだ息があったので獣医に持ち込んだ。

初めは確か15グラムだった赤んぼうに、三時間おきにミルクをやった。なかなか進まない離乳食に、獣医は甘えんぼうさんねと言った。

目が開いて、やがてまっすぐなしっぽがフワッと広がってリスになった。

預かった命をどうすればいいのか誰でも悩むけれど、その時その時にできることをみんなしていくんだと思う。

リスにはいろんな鳴き方があったけれど、その子は毎朝階下でげっげっげっと鳴いて私を呼んだ。

その頃私の家庭は嵐の中にあって何日も続けて家を空けることもあった。

私の心はずっとリスの子といたかったけれど、その時にはそれはできないことだった。

何年か一緒に暮らして、それよりもっと生きることもできたかもしれないリスは、気づいた時には虫の息だった。

少し無理をして車を獣医の前につけた。
前の車のドライバーに非難の目を向けられ、ああ、外からわからない事情というものを人は抱えているものだと思ったのを覚えている。

死んでもリスの子はかけらも私を責めたりしないので、その子を死なせた罪も喪失もどちらの側も全て平和に私のうちにある。

自分でも存在すると知らなかった、私の中にあるとても個人的な場所に。


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あかちゃん

2018年05月06日 | 日記
友だちがあかちゃんを見せに来てくれた。

彼の初めてのあかちゃん。
ほとんど孫とか言いながら、ちゃんと育てていたので感動した。
でもなんの違和感もなかった。
あなたはずっとこのこに会いたかったんだね、と思って嬉しかった。

久しぶりのあかちゃんも楽しかったけど、少し大人になった私には「子どもを見せてくれる」ということが、しみじみとよかった。
それって贈り物だなあと思った。

友だちの若い奥さんが、どうぞどうぞと気前よくみんなに抱かせてくれた。

大きくなった私の娘もあかちゃんを抱かせてもらった。

あかちゃんは小さいながらもなかなかの貫禄で、一通りいろんな様子を見せてからくったり眠って帰っていった。

あかちゃん、ありがとう。

また会おうね。


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