故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

解決する力

2015-08-19 05:21:34 | プロフェッショナル
   国分寺はけの道

   
起きたばかりです。
顔を洗いたい。
手にいくつも貼った絆創膏を濡らしたくない。

蛇口に顔を突っ込みました。
あとはタオルで拭いて一丁上がりです。
さっぱりしました。

プロジェクトをやっていると、抜け落ちや検討不足があります。
そんな時こそ力が試されるのです。
経験を積めば積むほど、気づくのが早くなります。

構想段階、基本設計までに気づくのがベストです。
つまり、見積もり依頼前です。

今日のテーマは、「解決する力」です。
転職の決め手は、キャリアーです。
キャリアーとは、困難と思える仕事をどんな方法で解決したかです。

ある時は、現場に貼り付いて職人の動きを見ています。
常雇(一日働いていくら)か請負(仕事一切の完成まで責任を負う)か見るのです。
常雇では、仕事が空いた(手待ち)の時に追加(実際に施工)仕事を依頼します。
請負では、何かの仕事をしなくても良い(内容変更)ことと追加仕事を天秤にかけます。
つまり、人工数であったり工事内容を変更することでまず利益を出すのです。
最初から仕込んでなければなりません。
このような解決方法はかなり高等戦術になります。

ある時、賦金(建築会社から協力金を要求される)を要求されました。
相手の要求は、請負金額の1%です。
断っても良いのです。現場で初めて言われることです。
私は、相手の顔を立てます。
その前にやることがあります。
例えば、建築会社の不得意な部分(プロセスに合った工夫、ユーティリティーなど)を
見抜くのです。繰り返し無償のアドバイスをするのです。全体最適のためです。
そうすると、私達の時間が取れる夕方になると、
建築会社の下請けの会社の監督が訪ねてきます。
惜しみなく協力します。新しい方法をアドバイスします。門前市のように盛況です。
相手の監督は知らん顔です。ここまで意識付けをして、賦金の交渉に入ります。
約1/10になります。断られたら、協力をやめるぞと脅しが効いているのです。

またある時、上司が決めた金額でプロジェクトに入ったことがありました。
最初から、1億円の赤字(請負金額ー発注金額=赤字)でした。
間に合う内に、何とかしなければなりません。
プロジェクトを引き継ぐや建築の分厚い見積書と毎日にらめっこです。
基本設計図面との格闘です。
発注会社と発注金額の交渉をします。また、追加金額は出さないと宣言します。
一方、基本設計を書いた設計事務所(客先の設計事務所、中立的な立場)と交渉します。
見積もり時に示された図面(基本構想図面)と、
請負後に出された図面(基本設計図面)の比較をした結果を報告します。
あれもこれもあったら良いと追加されるのが常です。
これでは違うと、我々の客先の先生(一級建築士)を担ぎ出し交渉します。
あの手この手で、鉄骨トン数を減らすのです。必要ない設備を削って行くのです。
同じような仕上がりで工法を変更(安くなるよう)するのです。
鬼のような交渉をするのです。
一週間に一回、客先を交えて打ち合わせがあります。
昼も夜も、建築事務所の設計士と一緒です。もちろん支払はこちらでします。
あとは、現場を見るのです。
建築会社(建築、設備、一次側電気)が工程を詰められるような努力を惜しまないのです。
最後に案の定、法外な追加金額が出てきました。認めないと鍵を渡さないと言っていました。
ここで、金額(赤字)を決定した上司の登場です。こちらも逃がしません。
深夜までの交渉は決裂でした。やくざな会社でした。
今後、当社は、あなたの会社(建築会社)には一切発注しない。
と上司は言いました。相手は、会社のトップに相談し折れてきました。
追加金額は、一切払わないことはしませんでした。
折れて来た見返りの金額は査定して、協力しました。
一億円の赤字は解消し、いくらか浮いていました。

解決する力は、頭が切れるということではありません。
相手があることです。相手の立場を尊重しながら交渉しなければなりません。
自分だけが有利になる交渉は上手く行かないのです。
それには、惜しみない努力が要求されます。
ここしかないのです。工夫(知恵の汗)しかないのです。

最善ではないけれど最良にするのが我々の勤めです。
人間だから、気づかないことはあります。
一回も失敗しない。一回も悪い金は受け取らない。
こうして生きてきました。仕事のうえでのことです。

プライベートは、散々でした。
亡きかみさんにも苦労をかけました。
仕事馬鹿のバランスは取れているのです。

よもぎ草 新芽の頃は てんぷらで

2015年8月19日




(書いた後の感想)
若い人に望むこと。
失敗を恐れないことです。
むやみに冒険することではありません。
石橋をたたきながら、果敢に渡ることを言います。
準備もさることながら、問題に向かうことです。
孤独感にさいなまれることもあるでしょう。
闇夜であろうと、手探りであろうと生きていることを楽しむことです。

多くの先輩が、私の前を歩いてくれました。
今度は自分が歩く番だと思うときが来ます。
躊躇なく先頭を歩いてください。

外野がとやかく言っても、プレイヤーはあなたです。
私達は密かに見守っています。
外野の草をとりながら。

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サービス精神

2015-08-13 03:48:51 | プロフェッショナル
  ステンレスの大洲城です。

   
サービスとは、相手の身になって接することであると思います。

マニュアル化した「いらっしゃいませ」に、身が引くことがあります。
アルバイト社員に即席の接客態度を身に付けさせるためのマニュアルです。

顧客とのやり取りではなく、
とにかく教えられたことをテープレコーダーのごとく言うのです。

一元化したサービスは徐々に飽きられてきます。
自分たちの理由で作成したマニュアルです。

コンサルタントは何か言い残していかなければならないのです。
そぐわない提案かどうかを思慮などしないで、一般化するのです。
ありがたがって拝聴する姿がみじめです。

冒頭の絵は、ステンレス製の大洲城です。
長年かかって、あるコンベアメーカーの社長が作成されました。
社長の名誉のために、特別に写真を載せることとします。

  ファンタスティック

仕事が忙しく、ステンレス製の城は、工場の片隅で埃をかぶっていました。
訪ねる度に、「いつ完成するんですか」と何度も聞きました。
引退すると決めてから完成されました。

私が気に入っているのは、見事な出来栄えだけでなく、
ステンレス製の木を配置されていることです。
木があったら良いな。いやあるべきだと作られたのです。

社長の仕事は、いつも見積仕様書以上の仕事でした。
こんなことまで考えてくれていたのかと毎回感動しました。
単に見積もりであっても、絶対に手を抜かない。
こんなことがあったら良いの精神が凝縮された仕事でした。

残念ながら後継者に恵まれないため、大手機械メーカーに会社の持ち株を売られました。
この会社の製品を一度使った会社は、
そのサービス精神が気に入り、リピーターになりました。
適性価格で売られるサービスのため、会社はどんどん成長されました。

サービス精神とは、
「一人の顧客の満足のため」と食品スーパーの佐藤さんが言われていました。
多くの客をこなすためのマニュアルではないような気がします。
ましてや、コンサルタント会社の受け売りであってはならないのです。
相手の身になり、渾身の力を発揮することが求められているのです。

ストリッパー 可愛い客が 凝視する  

2015年8月13日
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2015-02-22 06:12:50 | プロフェッショナル
雪道、それでも行かなくては

まず、描きたい絵から入りました。

どうして、雪道なんでしょう。
寒いから家に居たい。出かけたくない。
用事があるから出かけます。
真冬の札幌、豊平川にかかる九条大橋を渡る時、耳がちぎれそうでした。

今日は、サービスのプロフェッショナルを紹介します。
わが社にいる62歳のサービスマンのことです。
出会ったのは、18年前のこと。
きらりと光る何かを持った方でした。
何でも頼みました。なんとかしてくれました。

昨日、冷凍庫の中でピッキングをするロボットが故障しました。
パレットの上に積んである番重を倒したのち、
このロボットは動かなくなりました。ただ、それだけの情報でした。

ロボットのアームは伸び切っていました。
まずは、手動で原点に戻し運転再開しました。
番重は、32段。最初に取りに行くべきところへ止まりません。
緊急停止ボタンを押しました。コンピューター画面で、
再度正しい番重数を入力しました。ロボットが記憶している
番重数は違うようです。
手動でそのパレットを移動し、手取り位置まで出しました。
次のパレットを出庫し、再度ロボットに出庫指示を出しました。
ロボットは、定位置で番重をつかむものの途中で止まりました。

それから一つずつ故障個所を見つけ順繰りに対処していきました。
最後に集計すると5箇所にもなりました。
ロボットの誤動作で、余計な負荷(800Kgを移動できる)がかかり
破損したのでした。ロボットは4方向から番重を押さえて、持ち上げます。
番重をホールドするアームの取り付けボルトが
破損(6mmx4本が剪断)していました。
ホールドするプッシャーの90度ずれた両方向から番重を固定する
補助的役割のサイドプッシャー(10mmのステンレス板)が
曲がっていました。
サイドプッシャーの動きを確認するフォトセンサーが断線していました。
-20℃の環境では、柔らかい銅線ももろくなるのです。
剪断箇所対面のアームプッシャーのフォトセンサーの台座が
曲がっていました。
ロボットのメモリーが違っていました。

諦めずに、故障を見つけ治します。
再運転をしアラーム(異常)が次から次に出てくる個所の修理をしました。
この人の作業を支えているのは、諦めない気持ちが強いことでした。
アラーム(異常)が出るのは、何らかの原因があります。
その原因を見つけ、丹念に修理していくのです。
ロボットメーカーを呼べば、治るのは火曜日になるでしょう。
3日後です。その間、手作業で出庫し続けることになります。
-20℃の中で、延々と修理は続きました。
凍傷にならないように時々冷凍庫の外に避難します。30分が限界です。

この方は、オペレーターに丁寧に状況を聞き続けます。
オペレーターはうつ病になっていました。
オペレーターは、-20℃の冷凍庫で毎日働いています。
静かな男は、過酷な仕事を会社に文句も言わずに続けていました。

治ったのは、オペレーターより修理依頼の電話があってから8時間後でした。
見事に、ロボットを復活させました。
この人は、自慢などしません。ひたすらプライドを持って挑戦し続けます。
持ってる力の全部を出し切ります。
時には、コンピューターを使って、シーケンサーの数値を変更します。
心ある若いサービスマンは彼の後を追います。そして、技術を習得します。
彼に師事した若い男達は、諦めない男に育っていきます。
会社は、その仕事ぶりを高く評価していません。

彼は、工場の誰彼なしに話しかけます。
若いオペレーター達は、彼の技量と人柄をよく知っています。
困った時に、最初に電話をかけるのは彼なのです。
電話がつながらない時は、順番に弟子にかかります。

サービスのプロとは、諦めない折れない心の持ち主なのです。

2015年2月22日
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空調の師匠

2015-01-07 05:05:55 | プロフェッショナル

工場の冷房負荷は、250Kcal/m2です。
事務所は、80Kcal/m2です。

どちらも一般的な数字です。
最初に工場を造った時に、事務所と同じより少し上の100Kcal/m2で設計しました。
トータル30,000Kcalの空調システム(エアハンドリングシステム、AHU)を
入れました。当時の空調担当者は不足なら足せばよいという考え方でした。
結局、倍の60,000Kcalになりました。

潜熱負荷(手洗い、シンクなどの蒸発僭越)も計算に入れてないから熱量不足です。
工場内で回る洗い立ての番重は熱(60℃)の塊で、おまけにしずくが付着していました。
当然、その負荷は考慮していませんでした。後からカーテンを付け熱を遮断しました。
AHU空調のアンバランス(工場は良いが、事務所は寒い)も多くありました。
浮遊する粉や油のフィルタリングも上の方に設置したため掃除ができませんでした。
天井カセット式の室内機は、常に高温側が結露しました。
天井内換気が機能せず、冷凍庫の周りの壁は、付いた黒カビが取れませんでした。
冷凍庫内に設置した触れ止めの断熱処理が適切でなかったため、天井内が水浸しになりました。
凍上防止管内に氷が付着し、冷凍庫内の自動倉庫が浮き上がりました。
15mmも上昇し、自動倉庫は使えなくなりました。
断熱壁の下端と不陸の床の隙間処理がされてなく、断熱壁の周りに巻いた巾木は
常に結露していました。
給気と排気のダクトが近すぎたため、ショートカットし排気熱をまた室内に取り込むことも
ありました。工場内の陽圧なんて、夢の夢でした。
フライヤー上に設置したフードの面速が0.4m/sec以下で、常に排煙が
フードから漏れていました。
ユーティリティー配管は、空調業者に任せられませんでした。
蒸気管の伸び(140℃の蒸気で、10mで15mm/m伸びる)対策が適切でなかったため、
150φの蒸気管は規制ガイドから大きく外れていました。
おまけに溶接技術が悪いから、溶接個所にクラックが入り蒸気が漏れていました。

とにかくいっぱい失敗しました。

ある時、おにぎりの冷凍食品を作る工場のチェックを依頼されました。
私は、レイアウト(ゾーンニング)を中心に、物流動線と人動線の交差汚染をチェックしました。
一緒に行って下さった空調の師匠は、冷凍機負荷や-40℃のおにぎり冷凍ラインの周りに付着した
氷の状態を見ていました。案内と説明をいただくこと1時間。
二人は、あっという間にレポートを書き上げました。指摘箇所は100項目以上、すべてに原因と対策が
書かれていました。診る人には不良個所が向こうから飛び込んでくるのでした。

空調の師匠とは、20年来の友人になりました。空調で困ったことがあると、相談しました。
師匠の会社に行き、自分で計算した結果と問題点を診てもらいました。
師匠は、やっていた急ぎの仕事を置き数時間も付き合って下さいました。
私はその結果を持って、商売(工場建設)をしました。

師匠への相談も、一緒に行ったコンサルタントも、私が提供した空調に関する
レポートもすべて無償です。お金に換算出来ないのです。だから無償です。
いつか商売として回ってきます。師匠も私もそのことはよく知っています。

師匠から相談を受けました。
今友達のように付き合っている女性がいるんだけど、打ち明けた方がよいかな。

私の答え。これから先そんなに長くないんだから、悔いのないようにされたらいかがですか。
こればっかりは、プロフェッショナルとはいかない師匠でした。

2015年1月7日
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見積もりのプロ

2014-11-24 00:26:55 | プロフェッショナル


NHKの番組で、「プロフェッショナル仕事の流儀」があり、良く見ます。
出てこられる方々は、その道のプロフェッショナルです。

見積もりを依頼すると、必ず現場を見てくれる鉄工所の社長がおられました。
見積仕様書、工事工程表と図面を提出し、見積もりを依頼します。
見積もりを提出書類通りにされる業者が多い中で、現場を見てくれる
数少ない一人でした。

書類や図面に現れない段取りについて、現場を見たいというのが理由でした。

大阪、福岡や北海道での仕事もあり、そんな時は、その方の交通費と宿泊費は
私の会社で経費としてみました。
今回だけでなく、今後とも発注するかどうか分からないからでした。
食費も私の会社で支払いました。言ってみれば、当然のことです。
設計者と私で行く二人分の旅費(会社の経費)で、旅行業者に依頼して
4人分(見積側2人を加えて)の費用としたこともありました。同額でした。

書類には書ききれない課題とその解決へのアプローチが、現場には落ちています。
その方の見積もりは、高くもなく低くもなかったのです。
追加金額も請求されない代わりに、むやみな値切り(単に一律10%-20%を値引く)には
応じてくれませんでした。見積もりの中味を視て、段取り変えや仕様書の変更などを
した上で値段交渉をしました。
それには、応じてくれました。また知恵も貸してくれました。

社長は、67歳で鉄工所をたたみたいと言われました。
たたむのを3年間延ばしていただきました。会社には、貴重な戦力でしたから。
時には、合わない見積もりで発注することができない場合もありました。
社内のサービス部門に紹介しました。
川崎に工場を構えていた社長は、仲間の連絡網を駆使して、
短期で満足の行く仕事をこなされたようです。短納期が常のサービスにとっては
便利屋となりました。どんな小さな仕事でも、電話で受注はされませんでした。
必ず、欲しい部品のサンプルを見に図面をチェックしに頻繁に会社に顔を出すように
なられました。時には、機械設計者を連れてこられたり、
現場視察も忘れることはありませんでした。見積もりまでは無償で動かれたようです。

鉄材の配送兼倉庫として使用したい元売り業者と、
鉄工所の賃貸契約されるまで続けられました。
70歳でした。

若い設計者が見積もり依頼することが発生します。
そんな時は、足りない部分を補って見積もりをしてくれたようです。

今でも、各業者からの見積書を、私は必ずチェックします。
見積書は、発注側と受注側の無言の対話です。
良くできた見積書に助けられることも何度かあります。
見落としの見積書には、増額して発注することもあります。
見積仕様書を良く見ていない証拠ですが、いじめる訳にはいきません。

私達プロジェクトエンジニアーにとって、基準となるような見積もりを
してくれるプロフェッショナルは貴重です。なかなか出来ないことなのです。

2014年11月24日

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