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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

寂しいと感じたら

2014-08-08 23:22:16 | よもやま話

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貴方といるときの方が、より孤独を感じました。
「花子とアン」の一節です。奥の奥で通い合わなくなった時の孤独感は、一人の時より強いのかもしれません。
 

子供が、旅立つときは嬉しさ半分、寂しさ半分でしょうか。
子供のペースに合わそうとすると、じれったくなる時があります。子供にしてみれば、うっとうしい時もあるでしょう。
案外、身内や家族は意外と相手の気持ちが分からない場合があるように思います。
 

かえって、かつては他人であった夫だったり、永年の友人のほうが解りあえるかもしれません。生きてる時代と苦労の振幅が同じだからでしょうか。同じ時代を生きている安心感がそうさせるのでしょうか。 

親子は、何か既得権のような関係があるのではないのかと考えます。自分の味方になってくれるのが当然というような甘えとでもいいましょうか。他人との関係は、感動して相手を認めて尊敬するから、常に緊張感があるような気がします。 

寂しさとは、相手が分かってくれない。どう言っても理解してもらえそうにないと感じた時に起こるのではないでしょうか。あきらめに似た感じなのに一緒に過ごさなければならない。子供とは、年齢差もありどこかであきらめることができます。これは、寂しくありません。他人同士の場合、常に緊張感を持って相手を観察しなければなりません。注意深くなるのです。そして、どこかで分かってくれていると実感した時に信頼感が生まれるのではないでしょうか。信頼感の持続こそ寂しさから逃れられる道筋ではないかと思います。小さなできごと、言葉の端に現れる優しさを実感できるためには、注意深く観察し、何かを感じなければなりません。向き合わなければなりません。他人であれば、尚、親子と一緒のように既得権で生活していると思わないことです。 

愛情は、進化します。過去愛してくれたから、また愛していたからでは、続かないのです。友達であれ、恋人であれ、また家族であれ常に進化しているのです。既得権のような愛情は、存在しないように思います。
解ってくれる人がいれば、何かほかほかして楽しいものです。寂しいと感じたら、ほかほかのシェルターに逃げ込めば良いのです。そのシェルターを持つためには、努力しかないのです。薄っぺらい言葉より、にこっと微笑む笑顔のほうこそ勇気づけられます。
 

2014年8月8日

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魔法の紙

2014-08-07 05:08:19 | プロジェクトエンジニアー

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今朝も東風がやっと吹き始めました。
午前4時頃のことです。
 

30mmほど、前後の搬送ベルトの芯がずれていました。
天板(パンを載せてオーブン中で焼く入れ物)が、洗浄機を出て来て天板スタッカー(台車に天板を100枚程積載する機械)に入る位置で、互いの搬送コンベアの芯がずれていました。ガイドで矯正できるずれでした。ガイドが汚れてきて、摩擦が大きくなると天板は常に斜めにスタッカーに入って行くようになり、トラブルの原因になると思われました。
 

スタッカーは1トン以上あり。機械とびが移動し、スタッカーメーカーのスタッフに確認させアンカー(機械を固定)を打ちました。 

すぐに、機械メーカーに間違いの原因究明の連絡を入れました。
併せて機械とびの会社に移動をしてもらえないかと連絡を入れました。どちらからも、10分のうちに連絡がありました。
機械メーカーは、洗浄機の機械芯にスタッカーの機械芯を合わせていました。スタッカーの搬送ベルト芯は、スタッカーの機械芯から30mmずれた配置でした。機械とびは、連絡とともに30分後に職人を送ってくれました。
 

職人は、アンカーを飛ばし(切り)、機械を移動させる準備をしました。同時に、電気屋さんは制御盤に固定した電線管を外し、配管屋さんは配管の固定をはずしました。皆さん、何が起こったのかどうしたいのか飲み込むと、自分は何をやらなければならないか瞬時に判断され対処されます。
職人は、ジャッキでスタッカーを持ちあげ、床と機械の間の要所に、「紙」を数枚入れました。そして、重いスタッカーをレバー2本で少しずつ移動させました。ものの数分で完了です。見事な仕事ぶりです。試運転期間中に、ことなきを得ました。
 

小さな母親が大きなタンスを中味を出さずに、座布団の上に載せて一人で好きな場所へ移動させていたのを思い出しました。びっくりする私に、ニヤッと笑い返した母の顔と共に覚えておりました。 

私は、手配師です。専門家が到着したら何もすることはありません。照り付ける屋外の休憩用テントまわりに、散水を始めました。散水すると不思議なことに、上昇気流が起こり爽やかな風が吹き始めるのです。仕事師たちが、つかの間の涼を感じられるのです。 

東風を満喫しながら書いています。
当たり前のことを何事もなかったかのように、すらすらとやってのける職人集団が好きです。私は、「危険」を判断するだけです。誰にどのように伝えれば物事が始まるか心得ています。即座に連絡します。お互いの信頼感が行動につながります。こんな時、仕事をしていて良かったと思います。
 

朝焼けです。太陽が出てくると止まる東風はまだ吹いています。故郷の広島の朝夕の凪を思い出します。 

2014年8月7日

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爽やかな朝

2014-08-06 06:44:41 | プロジェクトエンジニアー

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太陽が出る頃、南風が、東風に変わります。
より涼しくなるので、分かります。
太陽が登って半時間ほどのことです。
さあ、今日も頑張れよと後押ししてくれます。
背中に張りを感じます。連日2万歩近く、工場内を歩きました。
工場内は、36-40℃にもなります。

ベランダに、ゴーヤ、きうり、へちまのすだれを作りました。
太陽の光が、それぞれの葉っぱを抜ける分優しくなります。
職人の皆さんが良く頑張ってくれます。
職人を遊ばせたくないので歩いています。
塩飴やポカリスエットを補充します。
休憩するテントの周りは照り返しが厳しいので、水を撒きます。
休んでいる間、少しでも涼を感じられると良いと思います。

私にできることは、あまりありません。
工事の進捗のバランスを取るよう心がけます。
昨日は、6回下着のシャツを替えました。
職人の皆さんを元気に家族に返すことが私の義務だと感じます。

ポカリスウェットが、冷蔵庫にたっぷり入っていて自由に飲んでくれと
言われる現場はないと、職人の皆さんが喜ばれます。
同僚には、値切った金を少しお返しするだけだと説明します。

ごーやもへちまも大きくなりました。ごーやは収穫時期です。
どうも、料理をする気になれずそのままに
しているので、
連日大きくなっていきます。今日こそは、収穫しましょう。

今日は第二回目の試運転です。改造工事は、気を使います。
危険にも慣れた頃に、工事が終わるのが常です。
暑くなってきました。風も止まりました。
まず植物に水をあげます。そして私のご飯です。

今日も頑張ります。

2014年8月6日

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生きざま

2014-08-04 21:29:33 | プロジェクトエンジニアー

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生きざまは変えられないかもしれません。
定年とともに、やりたかったことを始めてみました。
出来なかったことを始めてみました。という声を聞きます。

そんなにうまくは行かないのです。
映画を観たかった。釣りを思う存分したかった、旅行がしたかった。
すべて、忙しくてできなかったからという動機です。
好きなことは、忙しくてもやっているはずです。
出来ないことは、出来ない理由があるのです。
そんなに好きなことではなかったのです。その証拠に2月もやってみると
飽きてしまうのです。

今からでもおそくはありません。それでもなお、好きなことをやってみましょう。得意なことをやってみましょう。案外昔(思った)ほど出来ないものです。時間さえあればできると勘違いしているのです。
何もかも難しいことなのです。
定年で解放されたからと言って甘く見てはいけないのです。
何事も大変なことなのです。

でもやってみましょう。

違う側面がみえてくるかもしれません。
私は、61歳にして、プロジェクトエンジニアを再度やってみました。
今までは、作る側の立場でやっていました。今度は、使う側の立場でやっています。もう一度勉強でした。毎日が精一杯です。昔ほど、体力と気力は残っていませんでした。ごま化しながらの再挑戦です。

生きざまはそうそう変えられるものではないのです。まったくまっさらにはなれないと観念しました。それまでの生きざまからは卒業できませんでした。無力で無能な自分の再発見でした。惰性で生きて、生かされてきたような生きざまに再生はあるのでしょうか。ただただ、やってみるだけです。面白いが続く限りやってみます。
ひょっとしたら、さらに面白くなるかもしれませんから。歳をとって挑戦するのに大切なことは、謙虚になることだと今更ながら気づきました。

自分の勘違いから解放される毎日を楽しんでいます。

2014年8月4日

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亡き妻の納骨

2014-08-02 06:37:49 | よもやま話

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私は、まだ自分の墓を建設していません。
少しだけお金はありました。そのお金は、生きているものに使おうと思ったのです。亡き妻も許してくれると勝手に思うことにしました。亡き妻のご先祖の菩提寺の住職が快く、一時お骨を預かることを了承してくれました。
気がかりでした。いつまでも家に置いておけないと思いました。亡くなった妻にも申し訳なく、残った家族もあきらめがつきません。

明日、納骨します。

亡き妻との間には、4人の子供がいます。どの子も、今のところ優秀ではありません。しかし、どの子も私を父と思ってくれています。
やっと、勤めが果たせると思うと気が晴れます。亡き妻との思い出は、一緒に過ごした月日と共にあります。それは私の胸のうちに納めることにしました。子供達は、そうではありません。亡き母の思い出と共に生きています。
人生を語るには、いささか気が引けます。まだまだであります。
やりたくてもできなくて、亡き妻はどんなにか悔しくて無念であったでしょう。感謝の気持ちしか湧いてきません。貴女と暮らしていた時に、今感じる少しでも分かってあげられていたらと、私は後悔しています。
もう少し頑張ってみます。

2014年8月2日

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