🍀般若心経の解説🍀23
🌸🌸「亦無老死尽(やくむろうしじん)」🌸🌸
「また老死の尽きることも無し」
その理解🌸の仕方は、「亦無無明尽」と同様に考えてください。🎵
今回は
「老死が尽きること」、
つまり
「老死の苦しみが無くなること」
について、
皆さまといっしょに考えることにしましょう。😄☀️
まず、「老いること」とはどういうことでしょうか?
仏教の経典🌸では次のように、いっています。
生きとし生けるものが、
老い・衰え
・老ぼれ・白髪となり
・皮膚が皺だらけとなり
・寿命が少なくなり
・身体のもろもろの器官が熟れ切ってしまうことーーー
これが「老いること」である。💓
次に「死ぬこと」とは何か?
生きとし生けるものが、
その仲間から離れ消えてゆくこと
・身体のもろもろの構成要素が分散すること
・身体が破壊すること
・臨終・逝去
・そして遺骸が処理されることーーー
これが「死ぬこと」である。🎵
インドの仏教者🏤たちの「老死観」は、
まさに冷静にして、冷徹そのものではありませんか?
(われわれ日本人ならば「あはれ」などといい、もう少し情緒的にとらえますが)
ともあれ、
「老い死にゆくこと」は、
われわれ凡夫にとって
「大いなる苦しみ」😵
にほかなりません。
では、
仏典で説かれるところの
「老死の苦しみが無くなる」
ということをどのように理解すべきでしょうか?
人は誰も不老長寿は望めません。😄
お釈迦さまも、その晩年、侍者(じしゃ)の阿難(あなん)に、
「わたしも、すっかり老いて八十歳になってしまった。
わたしの身体も古くなった車のように、すっかりガタがきてしまった」
と、もらされたように。🎵
しかし、人は修行🌟を完成して真理をさとったならば、
もはや、われわれ凡夫のいだく精神的・肉体的な苦痛にとらわれなくなります。😄🎵
つまり、
「老い死にゆくことにとらわれなくなった境地」
を、
「老死の苦しみが無くなること、老死の尽きること」
と表現🌸したと考えられます。😄
(「あなただけの般若心経」より)
🌸🌸「亦無老死尽(やくむろうしじん)」🌸🌸
「また老死の尽きることも無し」
その理解🌸の仕方は、「亦無無明尽」と同様に考えてください。🎵
今回は
「老死が尽きること」、
つまり
「老死の苦しみが無くなること」
について、
皆さまといっしょに考えることにしましょう。😄☀️
まず、「老いること」とはどういうことでしょうか?
仏教の経典🌸では次のように、いっています。
生きとし生けるものが、
老い・衰え
・老ぼれ・白髪となり
・皮膚が皺だらけとなり
・寿命が少なくなり
・身体のもろもろの器官が熟れ切ってしまうことーーー
これが「老いること」である。💓
次に「死ぬこと」とは何か?
生きとし生けるものが、
その仲間から離れ消えてゆくこと
・身体のもろもろの構成要素が分散すること
・身体が破壊すること
・臨終・逝去
・そして遺骸が処理されることーーー
これが「死ぬこと」である。🎵
インドの仏教者🏤たちの「老死観」は、
まさに冷静にして、冷徹そのものではありませんか?
(われわれ日本人ならば「あはれ」などといい、もう少し情緒的にとらえますが)
ともあれ、
「老い死にゆくこと」は、
われわれ凡夫にとって
「大いなる苦しみ」😵
にほかなりません。
では、
仏典で説かれるところの
「老死の苦しみが無くなる」
ということをどのように理解すべきでしょうか?
人は誰も不老長寿は望めません。😄
お釈迦さまも、その晩年、侍者(じしゃ)の阿難(あなん)に、
「わたしも、すっかり老いて八十歳になってしまった。
わたしの身体も古くなった車のように、すっかりガタがきてしまった」
と、もらされたように。🎵
しかし、人は修行🌟を完成して真理をさとったならば、
もはや、われわれ凡夫のいだく精神的・肉体的な苦痛にとらわれなくなります。😄🎵
つまり、
「老い死にゆくことにとらわれなくなった境地」
を、
「老死の苦しみが無くなること、老死の尽きること」
と表現🌸したと考えられます。😄
(「あなただけの般若心経」より)