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般若心経の解説28、"依般若波羅蜜多故"

2016-05-10 17:39:51 | 般若心経
🍀般若心経の解説🍀28


🌸🌸「依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみったこ)」🌸🌸


「般若波羅蜜多に依るが故に」

この八文字は、
次の「心無罣礙」(心に罣礙なし)にかかります。🎵

「般若波羅蜜多」につきましては、
「行深般若波羅蜜多時」のところで学びましたね。🍀

おさらいをしますと、

「般若波羅蜜多🌸」とは、
「智慧の完成☀️」という意味🍀で、

具体的には
「すべてを見通し見識を備えること」
でしたね。😄

わたしたちは、つい目先のことや、まわりのことに気を使いがちです。

となりが新車🚗に買いかえたら、うちも買わなければならない。

同僚が課長🌸に昇進したから、何が何でも自分も。

友達がグッチ👜をもっているから、ぜひわたしもそれに相当するブランド物、などなど。


わたしは留学で、インドに5年ほど住んだことがあります。😄

インド人たちは、となりが車をもっていようが、
カメラを買おうが、

「となりはとなり、うちはうち」

と決めてあわてることはありません。☁️☁️

貧しくとも自分のペースを保っています。🌸

何こどにつけても、
「マイ・ポリシー」
というものをもっています。💕

今日のわが国🇯🇵は、世界でも目をみはるほどの経済大国💰💰になってしまいました。

しかし、資源の乏しい日本🇯🇵に、いつ不景気がやってこないとも限りません。

日本のかじとりをする方々は将来を読む見識🍀をもってもらいたいものです。

さて、数年前にインドネシアのジャカルタに行ったとき、

当地の博物館を訪ねて驚いた😵ことがありました。

般若波羅蜜多像✊を見たのです。

中国🇨🇳や日本🇯🇵ではそのような像は恐らくないでしょう。

インドネシアは、現在イスラム教国ですが、

かつては大乗仏教🌸が盛んでした。

それゆえ、般若波羅蜜多崇拝があり、
それを尊像化したものと考えられます。

「般若心経」は、とかく「色即是空」の空の面のみが強調されがちですが、

般若波羅蜜多🌸、つまり智慧の完成☀️という実践面
(加えてそれへの崇拝の面)

も見落とされてはならないと思います。😄🎵


(「あなただけの般若心経」より)

東日本震災復興の現状2

2016-05-10 17:35:51 | 日記
東日本震災復興の現状2


それにしても、あの大地震と大津波の脅威はとてつもなくかったですね。

私もS会頭も海のすぐ近くに会社がありましたから、そういう中でよく助かったなと。

K社長はあの時、会社にいらっしゃったんですよね?

地震があった時、私は会社の2階にある自宅におったんですが、直後に家内が一階から上がってきまして、「大津波が来るから逃げなきゃダメだ」と。

高台にある市民会館に避難するよう社員に指示をし、現場へ出ている者には会社に戻ってこないで市民会館で合流するようメールを打った。

それで、家内に「お前も逃げろ。私はここに残る。会社を見守るから」って言ったんですよ。

それは危ない(笑)。

そうしたら、もう鬼の形相でしたよ。

「大津波でこんな建物は流される」って。

その迫力に負けまして(笑)、親子4人車で逃げることにしたんですが、渋滞で全く動かなくなったんですよ。

これはもうダメだと思ったので、引き返して車を乗り捨て、高台に通じる階段を4、5段駆け上がった時に、津波がすーっと来ました。

危機一髪でしたね。

そのうち津波がどんどん上がってきて、今まで聞いたことのないものすごい地響きを立てながら、家屋やビル、港にある大きな重油タンクが次々に流されていくわけですよ。

屋根の上にいる人たちがこっちを見て、「助けてくれ」って手を振るんですけど、何もできない。

ただただ呆然と立ちすくむしかありませんでした。

私どもの会社は築50年以上の木造2階建てですから、もちろん跡形もなくなくなってしまいましたが、幸い13人の社員は全員無事だったんです。

家内の機転がなければ、私自身の命もなかった。

だから、私はそれまでも家内に対して頭が上がらないんですけど、震災以降はさらに頭が上がらない(笑)。

で、その日の夜、家族や社員とともに市民会館に避難していると、気仙沼が大火事だという噂がどこからともなく聞こえてきましてね。

見に行くと、まさに火の海でした。

私も見ていました。

地震によって発生した火災が、港の重油タンクや住宅のガスタンクから折れた大量の油やガスに引火して、さらにそれが瓦礫に燃え移ったんですよね。

時々火柱がポーン、ポーンと上がって、気仙沼の象徴ともいえるマグロ船が何艘も焼けただれて、波に揺られている。

「ああ、これで気仙沼は終わりだ。全滅だ」。

そんな思いで見ていたんですけど、

なぜかその時に、

震災の6年前に亡くなった父の顔が浮かんできましてね。

何か言っているんですよ。

それで、「ああそうか」と。

先の大戦で日本は壊滅的打撃を受けたじゃないですか。

日本全国が焦土と化し、精神的にも落ち込んでいたところを、

父の世代の人たちが

「日本を再建しよう」

と立ち上がって、踏ん張って、
今日の発展の基礎を築いた。

そう思った時に、「何もなくしていないな」と。

あー、何もなくしていない。

父は昭和22年にK電気を創業しました。

小さい会社ながらも半世紀以上にわたって続いてきたのは、人と人とのつながり、技術を磨き高める、高めた技術でもってお客様の信用を勝ち取っていく。

この「人と技術と信用」を父が培ってきたからだろうと。

それをここで失くしていいのか、我われが立ち上がらないで、誰が立ち上がるんだ。

人と技術と信用は津波で流されていない。

頑張って立ち上がろう。

こういうことを全社員の前で大声で言ったんです。

火の海を目のあたりにして、そういう言葉はなかなか吐けるものではありません。

やっぱり亡き父が言わせたんでしょうね。
おかげで今があるわけです。

父が生前住んでいた家は被害はなかったので、そこで事業を再開することに決めました。

「これから気仙沼の復旧で電気工事が忙しくなるから、

一旦家に帰って、家族の安否を確認して、できる範囲でいいから会社に出てきてくれ」

と言って、翌日別れたんです。


(つづく)