🍀般若心経の解説🍀43
🌸🌸「真実不虛(しんじつふこ)」🌸🌸
私たちは、ときとして、いま自分がやっていることが
正しいかどうか迷うことがありますね。☀️
また、過去をふり返って、
自分が歩んできた人生🍀は、正しかったのかどうか、
判断に苦しむときもありますね。😄
年ごろの娘さんならば、
縁談🌸が舞い込んできて、お見合いをしました。
さて、相手のA男さん、わたしを幸せにしてくれるのかしら?
あるいは、もっとよい縁談がくるかもしれない。☁️☁️
まよいにまよったご経験をお持ちの方も、きっとおられましょう。🎵
また、他人をお世話するときも、
こっちがその人のためになる、
正しいと思ってお世話したことが、
ちょっとした行き違いで、
かえって恨まれてしまうことがままありますよね。😵
わたしの母🌸は、そんなとき、
「他人を世話して、うまくいって当たり前、
へたをすれば恨まれてしまう☁️☁️」
とあっさりいます。
そのように、正しい判断・正しい行為はなかなかむつかしいことです。🌟
そのことが真実か、ウソか見極めることは、
やはり長い人生経験🌸がいるのかもしれません。
さて「真実」は、「真理」という言葉におきかえることができましょう。🎵
インドでは、お釈迦様の時代から、国王がスポンサーになって哲学者📚たちを集めて、
盛んに論争🎤🎤が行われました。
そのような哲学者大会では、
ある者は、
「わが説のみが真理である」といい、
またある者は、
「なんじの説は虚偽(うそ)である、
わが説が唯一正しい真理である」
という
論議🎵✂️に終始するのが常でした。
お釈迦様は、1つであるべき真理🌸があっちにもこっちにもあって、
互いに矛盾している真理など、
正しい真理🌸ではない、ととうに見抜いておられました。🌟⚡️
お釈迦様の目指す真理🌸つまり真実とは、
苦しみ悩みの超克を第一目的とする真実の認識🍀、
また、それをふまえた正しい実践にうらうちされたものでした。😄☀️
いわば、われわれの「般若心経」で説かれる「般若波羅蜜多」
つまり「完全な智慧☀️」にほかならなかったのです。
(「あなただけの般若心経」より)
🌸🌸「真実不虛(しんじつふこ)」🌸🌸
私たちは、ときとして、いま自分がやっていることが
正しいかどうか迷うことがありますね。☀️
また、過去をふり返って、
自分が歩んできた人生🍀は、正しかったのかどうか、
判断に苦しむときもありますね。😄
年ごろの娘さんならば、
縁談🌸が舞い込んできて、お見合いをしました。
さて、相手のA男さん、わたしを幸せにしてくれるのかしら?
あるいは、もっとよい縁談がくるかもしれない。☁️☁️
まよいにまよったご経験をお持ちの方も、きっとおられましょう。🎵
また、他人をお世話するときも、
こっちがその人のためになる、
正しいと思ってお世話したことが、
ちょっとした行き違いで、
かえって恨まれてしまうことがままありますよね。😵
わたしの母🌸は、そんなとき、
「他人を世話して、うまくいって当たり前、
へたをすれば恨まれてしまう☁️☁️」
とあっさりいます。
そのように、正しい判断・正しい行為はなかなかむつかしいことです。🌟
そのことが真実か、ウソか見極めることは、
やはり長い人生経験🌸がいるのかもしれません。
さて「真実」は、「真理」という言葉におきかえることができましょう。🎵
インドでは、お釈迦様の時代から、国王がスポンサーになって哲学者📚たちを集めて、
盛んに論争🎤🎤が行われました。
そのような哲学者大会では、
ある者は、
「わが説のみが真理である」といい、
またある者は、
「なんじの説は虚偽(うそ)である、
わが説が唯一正しい真理である」
という
論議🎵✂️に終始するのが常でした。
お釈迦様は、1つであるべき真理🌸があっちにもこっちにもあって、
互いに矛盾している真理など、
正しい真理🌸ではない、ととうに見抜いておられました。🌟⚡️
お釈迦様の目指す真理🌸つまり真実とは、
苦しみ悩みの超克を第一目的とする真実の認識🍀、
また、それをふまえた正しい実践にうらうちされたものでした。😄☀️
いわば、われわれの「般若心経」で説かれる「般若波羅蜜多」
つまり「完全な智慧☀️」にほかならなかったのです。
(「あなただけの般若心経」より)