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甲州ワイン④

2017-08-21 10:59:26 | お話
④甲州ワイン


それでは、旭洋酒のワイン抜きづくりの現場に迫ってみよう。

まず原料のブドウ。

主要ラインナップである白ワインの原料である甲州ブドウは、近所の農家さんから仕入れている。

一方、赤ワインや限定酒の原料となるメルローやピノ・ノワールなどのヨーロッパ種のワイン専門ブドウは、自分たちで栽培している。

仕入れ先を分ける理由がまた面白い。

ワイン専用ブドウは、ワインをよく知る人でないと質のよいものがつくれないので、醸造家自らがつくる。

一方、甲州ブドウは農家の育てる昔ながらのものが良いと旭洋酒は考えているのだね。

これは単なるポリシーで済む話ではなく、

技術的に考えてみても興味深いものがある。

ワイン専用ブドウは、ワイン醸造に適した糖分や酸味、渋みなどが強く凝縮するのだが、

樹になっている状態のものを食べても判定ができない(ていうか、あまり美味しくない)。

だから、ブドウ自体の質を判定するには、ワインの質がイメージできなければいけない。

したがって普通の農家では質の良いワイン用ブドウを栽培することができないわけだ。

しかもワイン用ブドウは、もともと乾燥した土地で生まれたので湿気に弱く、

日本の湿っぽい風土だと病気で枯れたり天候に左右されて質が悪化したりする。


いっぽう甲州ブドウは食用ブドウなので、出来のよしあしはブドウをもいで食べればわかる。

しかも、1300年間ほったらかしの野生に近いブドウなので、

病気にも比較的強く、乾燥にも湿気にも耐え、

さらに秋の紅葉が綺麗なので観光にもバッチリ!

という1粒で何度も美味しい器用なブドウなのだね。

しかし、ことワイン醸造となると、この

「なんでもそこそこにこなす」

という器用さが仇になる。

まず標準的なワインのアルコール度数(12.5度)には糖分が少なすぎる。

そして薄い紫色の皮には渋みが少なく、フルボディの赤ワインをつくるのは無理。

しかも長期間熟成に向いていない
(味が深くなりにくい)。


つまりだ。

最初からワイン醸造用に特化して進化してきたヨーロッパ種のブドウとくらべて、

「足りないもの」

がたくさんあるんだね。


ここで皆さまに問いたい。

レヴィ・ストロースの言う「ブリコラージュ」の精神を発動させるものとは何か?

答えはもちろん、

「足りないもの=制限」だ。

甲州ワインの真髄とは、原料の甲州ブドウが絶妙に「ツッコミどころ満載」であることなのだよ。

醸造家が工夫して補ってあげないと、ちゃんとしたワインとして成立しない。

そこは裏を返せば、

醸造家の工夫が生かされる余地がたくさんある、

ということだ。


旭洋酒で販売や広報を担当する妻の順子さんの語るところによると、

甲州ブドウを使ったワインづくりにおいての工夫のしどころは3つ。

・ブドウを収穫するタイミング

・糖分の不足をどう補うか

・どこまでキレイにブドウ汁の清澄をするか


1つずつ解説していこう。

まずはブドウの収穫のタイミング。

甲州ブドウはワイン専用ブドウと違って収穫期が長い。

例えば甲州ブドウと同じく白ワイン用のシャルドネは、

9月前半から中盤にかけてブドウが熟すと速攻で収穫しなければいけない。

このタイミングを逃すと酒質が劣化する。

甲州ブドウは9月前半から10月終わりまでの2カ月間の収穫期がある。

この2ヶ月のあいだにいつブドウを摘むのかでワインの味が変わってくる。

9月の早いタイミングで摘むと、酸味の香る澄んだ風味のワインになる。

10月終わりの遅いタイミングで摘むと、食用ブドウらしいふくらみのある、穏やかで丸い風味のワインになる。

どちらにするかは、醸造家のセンスセンス次第だ。

正解はない。


次に糖分の不足を補う方法。

南イタリアやスペインの強い日差しをいっぱいに浴びて育つワイン専用ブドウには、酵母の餌となる糖分がぎゅっと濃縮される。

それをしっかり発酵させると、アルコール度数12〜13%のワインができあがる。

しかし南欧よりもマイルドな気候で育つ甲州ブドウは、そこまで糖分を凝縮することができない。

したがって、標準的なワイをつくるためには、糖分を補ってあげなければいけない
(これを補糖という)。


昔の農家のように、たくさん入れすぎると味がだれてしまうので、

必要最小限の量を計算するのだが、

この計算の微妙な差異がワインの味を左右する。


最後にブドウ汁の清澄。

発酵を始める前に搾ったブドウ汁の上澄みを抜き出す。

底に沈殿した果実の内容物は基本的に捨ててしまうのだが、

甲州ワインの場合は沈殿物をもう一度上澄み液に戻す。

上澄み液だけだと、酵母のエサが足りず、元気のないワインになってしまう。

そこで、ある程度沈殿物を入れるわけだが、

これも補糖のテクニックのように微妙のさじ加減が必要になる。

旭洋酒の場合は

「このブドウだと多分これぐらいの濁りかな…」

と目分量ではかりながらポンプで沈殿物をタンクに戻すらしい。

めっちゃ、アナログ!


このように、甲州ワインをつくるためには、甲州ブドウの食用ブドウとしての特徴や、

足りないものを補うテクニックをいくつも重ねてワイン好きでも納得できる味に仕上げていく。

この「足りないものを補う工夫」が必須である甲州ワインは、

別の見方をすると

「醸造家の個性を映し出すワイン」

と言うこともできる。

ワイン専用ブドウにしては突っ込みどころが多い甲州ブドウは、

漫才コンビの「ボケ」で、そこに「なんでやねん」と突っ込む世話焼きの醸造家は「ツッコミ」だ。

ボケとツッコミがお互いの良さを引き出して、

愉快な漫才…、

じゃなくてワインになるのであるよ。

甲州ブドウはいわゆる優等生のブドウではない。

だからこそ、醸造家の創造性を開花させることができる。

甲州ワインは人と自然が二人三脚でつくりあげるブリコラージュの芸術なのだ。


(興味ある人には、つづく)

(「発酵文化人類学」小倉ヒラクさんより)

久々にマック

グランクラブと、レモンバジルチキン

甲州ワイン③

2017-08-20 07:33:28 | お話
③甲州ワイン


世界で通用する本格ワインとは、そもそもどんなワインなのだろうか?

フランスやイタリアにおける「ワインの最高峰」とは、

ボルドーやピエモンテなどの名産地のなかでも、さらにとびきりの畑のブドウを

長期熟成させた「フルボディのヴィンテージ赤ワイン」のこと。

完熟して糖分がギュッと凝縮されたブドウ汁を、果皮の渋みとともにしっかり発酵させる。

発酵過程でできる強烈な酸味や渋みを、

何年も熟成させることで、まろやかなコクへと昇華させ、

原料のブドウにはない熟成香が香る高級酒だ。


僕も何度か、このてのワインを飲んだことがあるのだが、

飲み口くちは水のようで、舌に載った瞬間に渋みとふくよかさが入り交じった分厚い味と、

複数種のフルーツとスパイスが混じったような香りが弾け、

それが喉を通る瞬間にパッと花開いた後に余韻となって広がる…

と書いているだけでアタマがこんがらがるものすごく複雑な味がする。

もはや、仕込み前の甘いブドウ汁の面影は消滅しているし、

自然のままの味から、遠く離れているからこそ価値を持つ味だ。

ブドウの種類だって、何百年ものあいだ品種改良され続けてきたワイン専用ブドウだ。

原料にしろ醸造法にしろ、とんでもないレベルの高さなのであるよ。

しかもこの味わいは「ワインを嗜むオトナの舌」でないとその良さがわからない。

たぶんチューハイとかカクテルを飲んでいる20代の若者に、この種のワインを飲ませても、

「ニガい、シブい、つまり美味しくない!」

という感想しか返ってこないであろうよ。


このような「本格ワインの文化」は、つくり手のワイナリーの質を上げることはもちろん、

飲み手を育てることなしには根付かない。

端的に言って、ものすごく難しいチャレンジだ。

この無謀な試みに挑んだのが、さっき引用したワイン界のレジェンド、麻井宇介だ。

このワインおじさんは、山梨の若いワイン醸造家たちと一緒にヨーロッパのワインを研究し、

メルローやシャルドネのようなヨーロッパ種のブドウを栽培し、

しっかり発酵・熟成させた本格ワインづくりに挑戦した。


発酵が終わり次第出荷する一升瓶1,000円から2,000円のワインから、

フルボトルで5,000円以上する長期熟成ワイン。

ステテコ姿のおじいちゃんではなく、

仕立ての良いスーツやドレスを着た紳士淑女が嗜むワイン。

農家がつくる葡萄酒ではなく、醸造家がつくるワイン。

これが甲州ワインの第二世代。

世界に挑戦する日本ワインの幕開けだ。


話をふだたび旭洋酒に戻そう。

大学で醸造学を学び、本格ワインの真髄を知る鈴木夫婦は、もちろん山梨ワイン第二世代以降の醸造家。

しかしヨーロッパ型の本格ワインを志向しているかというとそうではない。

彼らが目指すは

「モダンな醸造法で、クラシックな甲州ワインを醸す」

という温故知新スタイルなのであるよ。

第二世代の醸造家たちの努力が実り、2000年代に入って甲州ワインが国際的に評価されるようになった。

しかし、それはワイン専用ブドウで醸したフルボディの長期熟成ワインではなく、

土着の甲州ブドウで醸した素朴な味わいを残すと白ワインだった。

トッププレーヤーの真似ではなく、

自分たちのルールを活かした個性が評価されたのだね。


ここからは僕の個人的な見解になるよ。

麻井宇介が起こした国産ワインのイノベーションにおいて意味があったのは、

ヨーロッパ型の本格ワインづくりではなく、

土着ワインのリデザインだった。

最先端のワイン技術によって、甲州ブドウの潜在力が引き出され、

真の意味での「日本的ワイン」の可能性が開けた。

そして旭洋酒は、土着ワインのリデザインに挑む「甲州ワイン第三世代」の旗手なのだ!


(興味ある人には、つづく)

(「発酵文化人類学」小倉ヒラクさんより)

もらいものの、峠の釜めし。

発酵ってそもそも、何ぞや?

2017-08-19 18:08:52 | お話
🌸🌸発酵ってそもそも、何ぞや?🌸🌸


「突然ですが質問です。

塩を振った煮大豆と、お味噌。

毎日、食べたいのはどちらですか?」

と聞かれたら、

ほとんどの人が

「もちろん味噌!」

と答えるはず。

しかしだ。

考えてみれば、煮大豆も味噌も、実は原料はほぼ一緒。

なのに、なぜ味噌には毎日食べても全然飽きない複雑な風味と香りがあるのか。

そのひみつは、微生物。

目に見えない生き物が、食べ物を美味しく変化させる。

麹菌という特殊なカビが大豆にくっつくと旨味甘とコクたっぷりの味噌になり、

ブドウに酵母(イースト)がくっつくと香り高いワインに、

牛乳に乳酸菌という細菌がくっつくと酸っぱくて爽やかなヨーグルトができる。

このように、微生物の人間に役立つ働きをしてくれることを「発酵」と言います。


微生物=生物の第三のカテゴリー

動物・植物・微生物。

この3つのカテゴリーが、生物の古典的な分類の3つ。

動き回ってエサを食べる生き物と、動かずに光合成して生きる生き物と、目に見えない生物。

発酵は、第3のカテゴリーである微生物たちが主役になって引き起こされる現象です。

さてこの微生物、実は地球上で最も繁栄している生き物。

空気中にも土のなかにも、皮膚の表面にも何億、何兆と住んでいる。

植物のように光合成するもの、動物のように動き回って他の生物を食べるもの、

光も酸素もない地底や深海、氷河、や火山でもへっちゃらな摩訶不思議なものもいます。

北から南、空から海底まで地球の隅々まで無数の微生物が住んでいる。

その中に、ごく稀に「人間によくなつき、良いことをしてくれる微生物」がいます。

そいつらを「発酵菌」と呼びます。

この発酵菌は、次の3つのカテゴリーに分かれます。


今のように豊かな食材や食べ物を保存する冷蔵庫がなかった時代、

発酵は厳しい冬は夏の腐敗を生き延びるために大事な技術でした。

食における発酵の機能を定義すると、この3つ。

先ほどのお味噌を例にとると、

①腐らない、煮大豆は1週間で腐るが、お味噌は何ヶ月も腐らない。

②栄養満点、お味噌には良質のタンパク質やアミノ酸やビタミン類がいっぱい。

③おいしい、お味噌汁は毎日飲んでも飽きないほどおいしい!

と言うことになります。

このように、食べ物が時間とともに変化していく様子を注意深く観察しているうちに、

腐らずに、むしろ香りや味が増したり、保存性が高まるレアケースを選別し、

それを、いつでも誰でも再現可能のメソッドに磨き上げていった、のが発酵という「文化」の原点。

そんな先人たちの知恵の結晶である「発酵」を最も一般的に定義すると、

人間に有用な微生物が働いている過程

であると言えるでしょう。

あわせて発酵とコインの裏表になっている「腐敗」は、

人間に有害な微生物が働いている過程

と定義することができます。

ざっくり言うとだな。

人間に役立てば発酵、役に立たなければ腐敗

ということになります。

つまり発酵というのは、普遍的かつ唯物論的な概念のようでいて、本質は「人間中心の唯心論的概念」であると言えるでしょう。

…えっ、ムズカしい表現するなって?

要は、

「愛が恋人たちのなかにしか存在しないように、

発酵もまた食いしん坊の人間の中にしか存在しない」

ってことさ。

生命工学的に定義すると、発酵は生物間における普遍的な科学現象。

ですが、

序章で述べたように「人の好み」という側面から見ると、

とたんに発酵は哲学的・文化人類学的様相を得ることになる。

本編では、科学と哲学、客観と主観、微生物世界と人間のあいだを行ったり来たりしながら、

「発酵とは何か?」が掘り下げられていきます。

どうぞ、よろしく。


(「発酵文化人類学」小倉ヒラクさんより)


甲州ワイン②

2017-08-19 10:00:00 | お話
②甲州ワイン


さぁさぁ。

ここから、話が面白くなってくるんだぜ。

僕のご近所のワイナリー、山梨市の旭洋酒(ソレイユワイン)の鈴木剛・順子夫婦をガイドに、

「日本的ワイン」の本質に迫っていくことにしよう。

旭洋酒の歴史は、山梨のワイン文化が辿った歴史だ。

戦前にブドウ農家が共同で設立したワイン醸造所を、2002年に県外で醸造学を学んだ鈴木夫婦が引き継いだ。

つまり、文明開花以降のクラッシックを、新生代の醸造家がモダンに生まれ変わらせた。

旭洋酒は日本的ワイのルーツを紐解き、同時に、未来を見渡すのにぴったりの存在なのさ。


かつての旭洋酒は、ブドウ農家が共同で出資して運営する

「ブロックワイナリー」と呼ばれる醸造所だった。

食用で売るには適さない半端なブドウをワインに変えて活用するのが主な目的だったらしい。

明治〜戦後しばらくまでは、山梨でワインといえば農家が兼用でつくる「葡萄酒」のことだった。


この頃のワインはだいぶおおらかな方法で醸されていた。

ブドウを圧搾機で搾った汁に大盛りの砂糖入れ、

ぶくぶく発酵した頃を見計らって「もう飲めそうだな」と思ったらビンに詰める、

という超絶素朴な醸造法であり、

これはつまり「農家のどぶろく的ワイン」と言ってしまっていい、のんびりさだ。


おおらかさを理解してもらうために、

現在において一般的なワイン醸造を、ざっと説明しよう。

工程としては、

①適切なタイミングでブドウを摘む。

〈白ワイン〉

②圧力でブドウ汁(白)を搾る。

③搾ったブドウ汁の上澄みを抜き取る。

④ブドウ汁(白)を発酵。

⑤ブドウ汁の澱を取り除いて濾過。

⑥適切な期間タンクのなかで熟成させて味を整える。

⑦ワインの濁りを取り除き、瓶詰めのち出荷、またはさらに熟成。


〈赤ワイン〉

②果皮と種を一緒にブドウ汁を発酵。

③適切な圧力でブドウ汁を搾る。

④ブドウ汁(赤)を発酵。

(⑤⑥⑦の工程は、白ワインと同じ)


前日のどぶろく的葡萄酒と比べると、かなーり複雑かつ精密の醸造法であることが、おわかりだろうか

(特にブドウの皮と一緒に発酵させる赤ワインは複雑な工程を必要とする)。


ポイントは「適切」にという表現。

醸造家は、自分がデザインしたいワインの味をイメージしながら、

ブドウの収穫タイミングや搾り方や酵の選定や発酵・熟成の温度や期間を細かく調整していく。

この細かなテクニックの積み上げでワインの仕上がりが変わってくる。

もちろん基本はブドウ自体のクオリティーなのだが、

ブドウの潜在能力を最大に引き出すのが醸造家の腕なのだね。


このような複雑精密な醸造法は、フランスやイタリアなどのワイン大国で数百年かけて洗練されたものだ。

最高のブドウを栽培し、最高のテクニックで醸造し、最高の価格で売る。

最高×最高×最高のトリプル原理により、

ワインは国際市場において単なる酒であることを超え、

美術品のような地位を獲得した。

バブル期に日本の金持ちたちは、ゴッホやシャガールの絵画を買うように、

ボルドーやブルゴーニュの高級ワインをオークションで競り落としたが、

これは「最高の美術品を買う」という意味では同じような行為だった。

ていうか、1本100万円のワインとか、マトモな神経で飲めねーよ。


さて。

「美術品としてのワイン」がもたらされる前までは、

日本=山梨のワインは
「農家のどぶろく」だったのであるよ。

とりあえず発酵して酒になっていればOK!

ブドウの質をごまかすために大量の砂糖入れる
(ブドウの糖度が低いと酵母がうまく働けない)。

当然、甘ったるい飲みくちになり、高級ワインのような味の深みもコクもない。

これが昭和までの日本のワインの実態だ。


僕が山梨に来て1番びっくりしたのが、

自分の知っているオシャレなワイン文化とは、かけ離れた

「地酒としての葡萄酒文化」

だったのだね。

夕方、ステテコ姿のおじちゃんが、ナイター見ながら、ちゃぶ台でワインを飲む。

ビンは日本酒用の一升瓶。

そいつを湯飲みにドクドク注いで、

マグロの刺身とか漬物に合わせてゴクゴク飲む。

その光景を前にして、

「何だこれは!」

「こんなものワインと呼んでいいのか?」

「もっと世界基準に沿った本格派のワインをつくった方がいいのではないか?」

となったのが、

高度経済成長期以降のこと。

そう、日本がお金持ちになって

「美術品としてのワイン」を嗜むようになった時期と符号する。

かくして、80年代以降、山梨の先進的ワインメーカーは、これまでのどぶろく的葡萄酒を捨て、

世界で通用する本格ワインへの道を歩み始めることになった。


(興味ある人には、つづく)

(「発酵文化人類学」小倉ヒラクさんより)

散歩中の風景

甲州ワイン①

2017-08-18 10:02:55 | お話
①甲州ワイン
(全五回)


文明開花からまもなく1877年(明治10年)。

高野正誠と土屋竜憲という2人の青年が山梨からフランスへと渡り、

ワイン醸造を学んだところから日本のワインの歴史が始まった。

ワインは日本人の口に合う洋酒だったらしく、

ビールと並んで最初に日本で根付いた洋酒文化となった。

そして2人の青年の故郷である甲府盆地は日本における最初で最大の国産ワインの蔵醸造地となった。

理由はもちろん、原料となるブドウの栽培地だったからだ。


さて、ここから、いよいよワインの話を始めよう。

ワインはブドウからつくる「果実酒」だ。

果実酒の醸造は、果実の栽培地のすぐ近くでないといけない。

なぜなら、果汁が新鮮なうちに仕込まないと、美味しい酒ができないからだ。

一方、麦でつくるビール、米でつくる日本酒のような「穀物酒」は、

原料の穀物の保存性が高いので、

麦畑は田んぼから離れていても醸造ができる。

実際に小規模の量で仕込めるビールは都市部にたくさん小さなメーカーがある。

ところが、ワイはそうはいかない。

フランスのボルドーやブルゴーニュ、イタリアのピエモンテ、スペインのリオハなど

「ワインの名産地」と呼ばれているところは、必ず「ブドウの名産地」でもある。

同じように日本で唯一のブドウ栽培だった山梨がワインの名産地になるのは必然だった。


それはなぜか。

ワインの質=ぶどうの質だからだ。

一般的に酒の出来上がりは「原料の質」と「醸造技術」のかけ合わせで決まる。

日本酒の場合は、原料の質と醸造技術が五分五分くらいのバランスで酒質が決まる。

最新技術を取り入れてつくっている蔵はもっとも醸造の割合が高い。

醸造工程が複雑なぶん、人間が工夫できる余地がたくさんあるのだね。

対して、ワインは原料8:醸造2 くらいだろう。

醸造家にとっては「ほぼ原料のブドウで決まるね」と断言するぐらい、圧倒的にブドウの質が酒の出来に関与する。

つまり人間が関与する余地が少ないということだ。


つまるところ「ワイン醸造=農業」とすら言える。

美味しいワインを生み出すブドウをどのように育てるのか。

そこにワイン醸造の本質がある。

ということはだ。

腕利きのワイン醸造家は「自分でブドウを育てる」のであるよ。

日本酒の醸造家は必ずしも自分で米を栽培する必要はないが、

ワイン醸造家がブドウを触らないのは通常考えられない。

ワインの醸造を始める前に、日々ブドウの様子を見てワインの出来を高めていく。

だからワイン醸造家はブドウの栽培地に住む「ブドウ農家」としての顔を持っている。

このように、ワインは原料のブドウの栽培地で生まれる。

それは別の言葉で表現すれば、ワインはブドウの生まれる風土から逃れられない、ということだ。

これがワインを評するときによく言われる「テロワール」の正体だ。

ワインの質=ブドウの質=土地の質、

つまり "テロワール" なのだね。


さて。では甲州ワインの独自性とは何なのだろうか。

その要素を大きく分けると、

【風土】半分ヨーロッパっぽくて、半分日本ぽい地形と気候

【ぶどう】シルクロードから渡ってきた甲州ブドウで仕込む

この2つの特徴に分かれる。

まず風土性(テロワール)から行こう。

僕の住む甲府盆地は、いわゆる日本の里山とひと味違った不思議な景観をしている。

坂道だらけで、あちこちに岩肌が露出している。

道は積み石で舗装され、背の低い果樹畑が延々と続く。

朝夜と昼間の寒暖差が大きく、夏暑く冬寒い。

山から盆地に風が吹き込み、空気は乾いている。

丘の上にワイナリーやワインレストランの瀟洒な建物そびえているのを見ると、

まるでフランスの田舎にいるような感じもする。

とはいえ、ほんとにヨーロッパっぽいかというと、基本はやはり日本なんだよね。

梅雨はそれなりにジメジメするし、冬にはぼた雪が降り積もり、豊かな河川がいくつも流れている。

水気がいっぱいあって、地面を焼き尽くすような凶悪な日照りもない。

スペイン中部の不毛の赤い大地にオリーブとブドウの樹がポツポツ生えるだけ…という厳しい世界とは違う。

この「半分ヨーロッパっぽくて、半分日本っぽい」という気候がブドウの生育とクオリティに絶妙な影響をもたらすのだね。


次にブドウについて。

甲州ワインの独自性を最も端的にあらわしているのは、

1300年前に大陸から伝わった「甲州ブドウ」を使って仕込んだ白ワインだ。

もちろんヨーロッパやアメリカから輸入したブドウ種を使ったワインもたくさんあるのだが、

甲州ワインと言えばとにかく「甲州ブドウを醸した白ワイン」なのであり、

甲州ブドウの存在こそ、この土地のワイン醸造家にとっての誇りなのだ。


この甲州ブドウ。

一言でいえば、あまり人の手が入ってない素朴なブドウだ。

フランスやイタリアでは「ワイン用にチューンナップされたブドウ」を使って、

ワインを仕込むことがほとんど。

輸入ワインのボトルに書いてある
「カベルネ・ソーヴィニヨン」
とか
「シャルドネ」というのは、

「ワイン用にチューンナップされたブドウ」の名前だ。

対して甲州ブドウは、別にワイン用にチューンナップされていない。

ついでに果物屋さんで1房 2〜3,000円で売られているような、

めちゃ甘くて皮まで食べられるデザート用ブドウでもない。

ヨーロッパが数百年かけてワインやデザートにあうように優良品種のブドウの選抜と改良を繰り返していたあいだ、

甲州ブドウは、ずっと野山の片隅でぼんやりしていた。

つまり「甲州ワイン」は、古代世界の名残を残すタイムカプセルのようなブドウなのであるよ。

ワイン醸造向きの凝縮された甘みや渋みもなく、

デザート向きの高級感のある口当たりもなく、

ワイン用をとしては大粒、デザートにするには小粒。

超ど田舎から上京して

「あんら論、これが現代社会ってもんだっぺか〜」

とびっくりしている田舎娘のようなブドウと言えばいいのいいだろうか。

でね。

よく漫画とかドラマで

「ダサい田舎娘が腕利きプロデューサーに見出されて個性的かつ魅力的な女優になる」

みたいな話あるじゃないですか。

現代における甲州ワインってのは、まさに

「最先端を知る醸造家にプロデュースされる田舎娘」

みたいなもんなんだね。


(興味ある人には、つづく)

(「発酵文化人類学」小倉ヒラクさんより)