横浜市都筑区耳鼻咽喉科

南山田(センター北と北山田の間)の耳鼻咽喉科院長のブログ。

夜間急病センター

2011-07-26 20:00:00 | 院長ブログ

今夜は桜木町の夜間急病センターの当番です。午後7時半から午前0時までの受付です。(診療開始は午後8時)

横浜市では、3カ所の夜間急病センターを開いていますが、耳鼻咽喉科医と眼科医がいるのは、桜木町だけです。北部南西部のセンターは、内科と小児科だけです。

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ノルウェー

2011-07-25 12:45:15 | 院長ブログ

スウェーデンにいたとき、夏休みに家族で北欧旅行をしました。その時訪れたノルウェー人の印象は、素朴で暖かいスウェーデン人よりも、もっと素朴で暖かいということです。道で見ず知らずの外人観光客に、向こうから話しかけてきて案内してくれたりすることがよくありました。国によっては、このような場合、何か下心があるのではないかなどと身構えなければならないのですが、ノルウェーでは、そんな心配は一切なしでした。

そのノルウェーで恐ろしい事件が起きてしまいました。7月23日、オスロの街中で爆弾で何人もの人が亡くなり、さらに郊外の美しい島で、10代、20代の若い人たちが何十人も、射殺されてしまったのです。犯人は極右、ないしはキリスト教原理主義者だと、伝えられています。

北欧は、スウェーデンもそうですが、ヨーロッパの東北のようなところです。けしてヨーロッパの中心ではありませんし、南欧の人々のような開放的な親しみやすさもないのですが、冬の厳しい寒さに耐えながら、静かに力強く生きていく姿は、東北の方たちとイメージが重なります。私にとっては、今回の事件は、東北の大震災に続いて、ショックでした。しかも、相手は自然災害でなく、ひとりの人間の犯行です。

北欧諸国は、ヨーロッパの中では小国ですが、外交でしばしばその存在感を示します。他国の紛争の仲介役を買って出ることもしばしばあります。亡命や移民も積極的に受け入れてきました。そのために紛争の当事国から逆恨みをされたり、自国民の一部に批判者が出ることもあります。一方で、もともと平和で治安もよい国なので、テロに対する備えが薄いところが見られます。

スウェーデンでも、1986年、パルメ首相が、夫人と二人で映画を見た帰りに、路上で暗殺されました。プライベートの時間ということで、護衛はいませんでした。2003年には、アンナ・リンド外相が、デパートで買い物中に暗殺されています。

第2次世界大戦中、スウェーデンは中立国と言いながら、ノルウェーに攻撃に向かうナチスドイツ軍を自国領を黙って通過させました。ノルウェーは、最後までナチスドイツと戦いました。その様子は、オスロのレジスタンス博物館に行くと、窺い知ることができます。ノーベル賞も、平和賞だけはスウェーデンでなくノルウェーで選考が行われます。ノルウェーの政治姿勢は、昨年のノーベル平和賞が、獄中の中国の人権、民主化活動家、劉暁波氏に与えられたことからも分かります。

今回も、ノルウェー首相が事件の直後、我々は爆弾や銃を前に決して屈しない、と語っていました。

夏休みに20年ぶりに北欧を旅行します。オスロは、もともとツアーの予定に入っておらず訪れませんが、心の中で犠牲者に献花する気持ちで行ってきます。

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好酸球性副鼻腔炎について、私にできること

2011-07-24 13:45:26 | 院長ブログ

スウェーデンでは、たくさんの副鼻腔炎粘膜の組織を見て、炎症性細胞と上皮細胞についての基礎的な仕事をし、帰国後は慈恵医大で内視鏡手術の臨床的な研究を行うと同時に、スウェーデンでの仕事の続きを行いました。開業前の数年間は喘息の治療で有名な、小児科の馬場先生やアレルギー科の佐野先生がいらっしゃった同愛記念病院で、喘息を合併した副鼻腔炎の患者さんの治療を行いました。

今、振り返ると、私にとって1990年代は、はじめから意図していたわけではないのですが、好酸球性副鼻腔炎の研究と治療の10年間でした。

好酸球性副鼻腔炎の仕事は、私よりずっと優秀な後輩たちに託して、2001年に子供の多いニュータウンで開業し、この10年間は、小児の中耳炎と副鼻腔炎の治療に力を入れてきました。好酸球性副鼻腔炎については、成人の病気ですし、開業してからはあまりその患者さんを診ることもなくなり、私の役目は終わったように思っていました。

しかし先日、製薬会社のMRさんたちの勉強会でお話するための準備をしていて、昔の仕事を思い出し、また同時にブログの記事にみやびさんという、この病気の患者さんからコメントをいただき、まだ私にできることが残っていることに気がつきました。

考えてみると開業してからも、昔手術をした患者さんが数人ですが、わざわざ遠くから来てくれています。また、他の病院でどうしても治らないという重症の副鼻腔炎の患者さんがみえて、鼻ポリープの様子だけでもだいたいこの病気だと見当がつきますので、ステロイドを少し飲んでいただくと、鼻ポリープが小さくなって、何年ぶりかで楽になったと言われたことがあります。さらに、うちに通院しているアスピリン喘息の患者さんに、内科の先生がかぜ薬を処方して、発作を起こさせてしまったということも経験しました。

まだまだこの病気については、一般の方はもちろん、医師でも知らない人が多いのです。できるだけ多くの方にこの病気について知っていただくことは、大切なことです。あらゆる機会を使って、この病気について知識を広めていくことは、開業医である私にもできることです。

好酸球性副鼻腔炎のブログを、別に開設しました。

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ヴァイオリン・リサイタル

2011-07-23 22:42:05 | 絵画・音楽・文学

今夜は、王子ホールに知人のお嬢さんのヴァイオリン・リサイタルを聴きに行きました。

ウィーン国立音楽大学に留学し、現在はハンブルク州立歌劇場管弦楽団、主席第2ヴァイオリン奏者として活躍中の、大島響さんです。

曲目はヘンデル:ヴァイオリンソナタ イ長調 op1-10、モーツァルト:ヴァイオリンソナタ第34番、イザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタ 第4番、メシアン:テーマとヴァリエーション、フランク:ヴァイオリンソナタ イ長調、アンコールにグリーグ:君を愛す

久しぶりにライブのヴァイオリンを楽しませてもらいました。

 

 

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雑誌時代の終わり

2011-07-22 22:42:09 | 映画・テレビ

今月は皆勤賞(厳密には、アップロードが夜中0時を過ぎて翌日になった日がありましたが)だったのに、今日はネタがなく困っていたのですが、亜沙郎先生のブログで”ぴあ”の廃刊を知って、私もひとこと書かせてもらうことにしました。

若いころ、まだインターネットはもちろん、情報誌さえ”ぴあ”以外に無かった時代ですから、映画の情報は、すべて”ぴあ”で得ており、毎号買っていました。ぴあには、本当に感謝しなければなりません。その私も、もう何年もぴあを買っていませんでした。

私が洋画の映画館が1軒しかない地方都市から上京してきたのが1974年でした。ぴあも創刊したばかりで、限られた書店にしか置いてもらえず、当時住んでいた目黒の書店では手に入りませんでした。情報が商売になるという感覚が一般にはまだない時代に、ぴあを創刊した人は、大したものだと思います。

及川正通さんが表紙を担当するようになったのは、1975年だそうです。今週出た最終号の表紙も、及川さんのイラストです。これもすごいことです。36年間にわたって、同じ雑誌の表紙を描き続けてきたのですから。及川さんも70歳を越えられているのに、最終号でも筆の衰えを見せていません。

ぴあの創刊は1972年、同じ年に創刊した映画誌”ロードショー”も、数年前に廃刊になっています。情報誌に限らず、このネット時代、雑誌はその役目を終えようとしているのかも知れません。

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