座右の書という言葉がある。
いつも身近に置いて愛読している書物という意味である。
私にとっての座右の書の一冊に「万葉の歌びとたち」がある。
著者は中西進先生である。
元号が令和となったとき世間では令和の考案者が中西先生である
と言って騒いだことがある。
その序文が令和の典拠と目されているのである。
中西万葉学と呼ばれる万葉集の大家であるが私はこの本の本文も
さることながら「あとがき」に記された一文に注目している。
一部を抜粋すると
私にとって万葉集の面白さの大半は、人間の面白さだと
いえる。その場合、登場人物にしても作者の人間性にし
ても、あまりとりつくろっていないほうがいいし、いささか
出来の悪い方が、一層面白い。妙に出来上がってしまっていると
そらぞらしくて近寄れない。冷たくて親しみが持てない。
やはり人間は愚かしい本姓をさらしているのがいい。
こちらも安心して愚かしさをさらけ出していけるからである」
この部分は文学の本質を語っているようで興味深いご指摘である。
あの大先生が「出来が悪くて愚かしい人物」であるとはとうてい
思われないが。
座右の銘ならぬ座右の書ですか。
初めて聞きました。🙇♀️
さすが文学青年のりたいあまんさん。
新しい元号、令和が発表された時
確かにそんな話題で盛り上がりましたね。
なんだか遠い昔の事みたいに思って
しまいます。
中西進先生が、「出来が悪くて愚かしい」
訳がない。真逆の御方だからこそ言える
言葉かと思います。
自分は頭が良い、とか私は優しい。なんて
言っちゃう人、たまにいますが、ほんとに
優秀な人、優しい人は自分から言いません
からね。あっまた横道それました。ごめんなさい。
こんばんは。
コメントありがとうございます。
元号が令和になった時のことで
原典が万葉集にあるらしいと。
そこまでは凡人の私にも理解できていました。
文学青年は今や文学老人になってしまいました。
先生の本は正直言って、読んでおもしろい
というものではありません。(笑)