昔の音楽雑誌を読んでいると「日響」「新響」とか「東響」って略称が説明なしに結構出てきて、呼び方が同じでも違うオーケストラを指していることがあってややこしや~
もう一回、整理しておきます。
【日響・新響】
・大正末期、山田耕筰の下の日本交響楽協会(日響A)→そこから近衛秀麿を指揮者に誕生した日本交響楽団(日響B)が分裂→昭和初期から新交響楽団(新響A)に改称→戦時中に財団法人日本交響楽団となった(日響C)→昭和26年にNHK交響楽団と改称
↑ 近衛秀麿指揮による(新響A)第一回公演(昭和2年2月20日、日本青年館)
↑ (日響C)発会式(昭和17年天長節、共立講堂。 写真は2枚とも藝術新潮昭和30年6月号より)
・昭和31年に設立された、芥川也寸志指揮のアマチュア・オーケストラである新交響楽団(新響B)。
→日響Aと日響Bと日響Cは密接な関係があるが、新響Aと新響Bは無関係。
【東響】
・昭和3年に内田元(1903~1948)指揮の東京シンフォニー(東響A)が結成されたが、まもなく解散。
・名古屋の松坂屋シンフォニー→昭和15年に東京進出し中央交響楽団に改称→翌年さらに東京交響楽団(東響B)に改称→戦後、この流れが東京フィルハーモニー交響楽団となる。
・PCL映画の管弦楽団である東宝交響楽団(宝響)が終戦翌年に誕生→東宝から分離し東京交響楽団(東響C)と改称、現在に至る。
→東響Aと東響Bと東響Cは無関係。
【京響】
・戦時中、尾高尚忠が指揮する京都交響楽団(京響A)が存在した。
・昭和31年我が国初の市立の楽団として京都市交響楽団(京響B)が設立された。
→京響Aと京響Bは無関係。
。。。テストに出たら絶対間違えますね。
参考:文藝春秋「N響80年全記録」及び「音楽の友」1976年4月号「戦前戦後の同名オーケストラ」。自分なりにまとめたんですが、かえって解りづらくなっちゃったかも?
朝比奈隆の関西交響楽団
関西交響楽団が1960年にシンフォニーと映画音楽の団体に分かれ、前者が大阪フィルハーモニー交響楽団(大阪フィルB)、後者が時々クラシックの演奏会を開く時の名前が大阪交響楽団(大阪響A)後に解散。
その後、大阪シンフォニカーがドイツ語から日本語を正式名にした時に「大阪交響楽団」(大阪響B)
各々のAとBはそれぞれ無関係。
大阪でも名称の事情はややこしいんですね。
昔の雑誌にも関西版と関東版があったのか、東京では過去のコンサート記録を含め関西の情報が入手しにくいので大事なデータだと思いました。
大阪響Aは映画音楽のために分裂したのにもかかわらずクラシック音楽を諦められなかったところに人間臭いドラマを感じます。
コメント欄というパブリックな欄のため、自己紹介等ない形となり大変恐縮です。
上記、伺えますと幸いです。
画像、使っていただいて結構です。
> もう著作権が切れた画像として掲載されている
そのように認識しております。
よろしくお願いいたします。
取り急ぎ、御礼まで。
NHK「音楽の花ひらく」に山本直純指揮で出演多数。1回だけ直純さんが「日本フ・・」まで言いかけて慌てて「ロイヤルフィルのみなさん」と言い直していた記憶あり。あと一歩で放送事故。
その後1970年代後半にアマチュアの東京ロイヤル・フィルが出来て一時混乱するもプロのほうがNHKの仕事が無くなって自然消滅。
一方、近衞管弦楽団⇒ABC交響楽団からコンサートマスターのシュタフォンハーゲン(弦楽四重奏で鳩山寛、北爪規世<クラリネット利世の弟>、青木十良と共演)を中心に多数脱藩(?)してインペリアル・フィルを作るが、これも消滅。結局ABCもインペリアルも最後はコンマスも含めてほとんどが読響に合流して一件落着。