チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

林光・交響曲ト調の「芸術祭賞」授賞式のエピソード

2015-02-13 21:53:30 | 日本の音楽家

『音楽之友』昭和31年(1956年)8月号の「ニュース・マンスリー」に、東京交響楽団がシーズン最後の定期で林光(1931-2012)の交響曲ト調(第1番、1953年)を取り上げたことが書いてあります。

この「交響曲ト調」は文部省芸術祭賞(現在の文化庁芸術祭賞)を受賞したそうなんですが、当時の文部大臣は授賞式で「交響曲ト」と続けてしまい、苦し紛れに「しらべ」と読んで笑われたそうです。ちょっとだけ恥ずかし~

それはさておき、この記事には「これほどよくまとまってしかも"聴ける"交響曲はそんなにない、親しめる作品であることは確かだ」とあり、なんだか聴きたくなってYouTubeやNMLで探したんですが無かったのでAmazonでCDを衝動注文してしまいました。


↑ 本名徹次指揮オーケストラ・ニッポニカ、2008年11月30日紀尾井ホールでのライブ録音。

比較的最近の録音なのに、もう「一時的に在庫切れ; 入荷時期は未定」だって。こういうあんまり売れそうもない(?)CDは発売されたらすぐ買っておく必要がありますね!?

(追記 第4楽章がいくらなんでもプロコすぎるのがナイス)

 

↑ 作曲家、林光。

「ぼくは、是が非でも作曲家になろう、そして、新しい境地を切り拓いてゆこう、なんていう、格式ばったこと、考えたことないんです。何というとこなく....本当に自然とそうなっちゃったんですね」

 父は医学博士で音声学の泰斗・林義雄氏、母は羽仁もと子の自由学園で、いわゆる進歩的な教育を受け、姉は言うまでもなく東京交響楽団の首席フルーティストで今は阿部富士雄夫人のリリ子さん、という恵まれた環境に育ったが、彼も自由学園小学部に在学中から父君のウィーン留学時代からの友人である故・尾高尚忠氏に就き、作曲を学んだ。

(『音楽之友』1956年1月号より)


第5回ショパン・コンクール1位・2位のハラシェヴィチとアシュケナージ同時に来日(1968)

2015-02-11 22:52:58 | 来日した演奏家

1955年の第5回ショパン国際ピアノコンクールの優勝はアダム・ハラシェヴィチ。アシュケナージが優勝できなかったことに腹を立てた審査員のミケランジェリが退場したことは、1980年の第10回(ダン・タイ・ソンが1位)で審査員アルゲリッチがポゴレリチが評価されないので退場してしまったことの次くらいに有名ですよね。

しかしながら当時の、1955年くらいの音楽雑誌を自分が探した限りではこの件にほとんど触れられていないのは不思議でした。実は日本ではショパンコンクールはまだ有名でなかった?

ところが、最近偶然見つけた1968年の『新音楽』(大阪勤労者音楽協議会【労音】機関誌)No. 215に、1955年のコンクールのことが音楽評論家・野村光一氏により書かれていました。ハラシェヴィチとアシュケナージが労音の招聘で1968年2月に同時に来日したため、この記事が書かれたようです。

一部抜粋します。
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 今から13年前1955年に催された第5回ショパン・コンクールのときハラシェビッチが第1位になり、アシュケナージが第2位になった。(※1)

 そのとき日本から参加してこれまた入賞した田中希代子(※2)さんが、コンクールの後帰国して、その際、ポーランドから送られてきたコンクールのテープを使ってNHKから当時の模様を放送された。わたしは話の引き出し役を仰せつかって、田中さんにいろいろ質問したが、そのとき録音でハラシェビッチとアシュケナージの演奏を初めて聴いたのである。わたしの印象ではどうも第2位になったアシュケナージの方が音もテクニックもばりばりしていて、ピアニストとしては優れていたように思われた。もっとも、NHKに送られた実況録音は予選のものも本選のものもいろいろ入り混じっていて、全プログラムのある部分だけだったようである。したがって、わたしが聴いた2人の演奏はそれぞれ課題曲中の最優の部分だというわけではなかったのかもわからない。とにかく、アシュケナージのはショパンの「三度のエチュード」だったし、ハラシェビッチのはマズルカとノクターンとのどれかだった、ぐらいの薄れた記憶しか今は残っていないのである。こうなるとエチュードを弾いているほうが得だ。それにその後アシュケナージが日本に来たときも、この「三度」を実に見事に弾いたので、この曲は最初から彼の得意中の得意であったに相違ないのだ。それをとっぱぢめから聴かされたのだから、彼の方が有利だったということになったのかもしれない。至難な三度の連続をあんなに美しいはっきりした音でてきぱきと大変なスピードで弾いてしまっているのに、わたしはすっかりびっくりしてしまったのだ。

 一方のハラシェビッチはマズルカを微妙なリズムと美しいダイナミックの陰影ですこぶる情調豊かに演じてはいた。殊に、コンクールのことだから、どうしても技術が主眼点になるだろうとも考えたので、おそるおそる田中さんにアシュケナージが一番みたいな気がしますね、と尋ねたところが、彼女は即座に、『いやそうとはいい切れないのですよ。もちろんアシュケナージの方がテクニックに冴えていますが、やはりショパンともなれば、ハラシェビッチのほうが音楽的なつぼにはまった弾き方をします。だから、あの人が1位になるのは当然だったのでしょう』と答えていた。そういわれればそうなるのも当然だろうと考え直して、さらにハラシェビッチのノクターンやソナタなどを聴き直して、あふるるばかりなごやかな彼の音楽に陶然となったことが、今になって想い出されるのである。
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。。。結局どちらが上とか下ということでなく、個性の違いってことなんですね。

 


アダム・ハラシェヴィチ(Adam Harasiewicz, 1932年生まれ) 初来日は1961年

 


ウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy, 1937年生まれ)初来日1965年。若い~

※1 第3位は中国のフー・ツォン(1934年生まれ)。ツォンはこのとき「マズルカ賞」も受賞している。

※2  田中希代子(1932-1996)  日本人として初めてこの1955年のショパン・コンクールで第10位に入賞した。ちなみに日本人として初めてショパン・コンクールに出場したのは1937年の第3回における原智恵子(1914-2001)で、入賞こそしなかったものの、というか入賞しなかったことに聴衆が納得しなかったため「聴衆賞」を受賞した。(『世界の賞事典』日外アソシエーツ社より)

↓ 1955年ショパン・コンクールの動画

 


カザルスのドヴォルザーク・チェロ協奏曲録音風景(1937年)

2015-02-08 16:17:52 | メモ

聴く者に包容力、オヤジを強く感じさせる有名な録音、カザルスのドボコン。

ジョージ・セル(George Szell, 1897-1970)指揮チェコ・フィルとの録音。
CDの音質は結構良好ですよね。

その録音風景が『レコード音楽』1938年4月号に掲載されていました。

↑ この画像をガン見しながらCDを聴くと臨場感増大!? 1937年4月28日、プラハのDeutsche Haus (Slovansky Hall)だそうです。(Naxos情報)

 

上の、EMIのジャケット写真と同じ時に撮られたもののようです。録音本番中はさすがにパイプは咥えてなかったんでしょうね。

 

↑ 左の人物がジョージ・セル?? 年を取ってからの顔しか知らないので。。録音技師かな

 

↑ (参考)若いころのジョージ・セル

 

↑ メガネの人物はセルではないですよね。

 

↑ プレイバック中か。本当にパイプが似合う!写真右の、カザルスの背中を見つめる2人がまたイイ顔してますなー

 

↑ 同じ雑誌より、SPレコードの宣伝広告。5枚組。

 

Pablo Casals (1876 - 1973)


超難解クイズ・ピアニストの手(1941年)

2015-02-03 21:23:08 | クイズ

『レコード音楽』1941年(昭和16年)3月号より、クイズ「名ピアニスト・誰の手でしょう?」。

自分にはさっぱりわかりませんでした。もし全問正解する人とかいたら......気味悪っ!(良い意味で)

ヒント・すべて男性で故人です。
(正解は一番下にあります)

 

 

 

 



(答え)
1.モーリツ・ローゼンタール(Moriz Rosenthal, 1862-1946)
2.セルゲイ・ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov, 1873-1943)
3.ウラディミール・ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz, 1903-1989)
4.アレクサンダー・ブライロフスキー(Alexander Brailowsky, 1896-1976)
5.ヨゼフ・ホフマン(Josef Casimir Hofmann, 1876-1957)
6.ホセ・イトゥルビ(José Iturbi, 1895-1980)
7.イグナツィ・パデレフスキ(Ignacy Jan Paderewski, 1860-1941)
8.アルトゥール・ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein, 1887-1982)


「オーボエ二番」の立場~山本直純(1972年)

2015-02-02 23:04:38 | メモ

山本直純さんの「オーケストラがやって来た」という本(1972年、実業之日本社)はウラ話満載で面白いです。古本屋で500円、安すぎる。



この中では、オーケストラでのオーボエ奏者に関する記述がまず目をひきました。

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外国には、こんなことわざがある。それは「オーボエの二番」ということわざで、「あいつは実にパッとしないやつだ」というような表現のときに、「やつは二番オーボエだ!」というのだ。それほど、二番オーボエはめでたくない存在なのだ。

古今東西の名曲を通じて、ぼくの知っているかぎりでは、二番オーボエのソロ・パートは、ビゼーの第一シンフォニーの中にほんのちょっと顔を出す程度のものだ。同じ二番でも、ファゴットの二番などは、木管楽器群の最低音を受け持つから、おもしろい進行を任せられることもあるのだが、二番オーボエは、よいところはみんなフルートやクラリネットに持っていかれちまって、彼は、大勢でいっしょに演奏するときに「ポーッ」とか「ピーッ」とか、ただハーモニーの一音を奏でるしか能のないパートとされている。

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40年前の話としても、オーボエの二番の方には失礼な発言では!?

オーボエの二番は、たった一人だけなんだから欠席できないしドジこいたら目立つ!

小学校の音楽の授業で、先生の「みなさん、オーケストラではどの楽器をやりたいですか~?」という質問に対しては「バイオリンがいい!たくさんいるから間違っても自分だってことがわからないし」ってな情けない答えをする生徒が多かったような?

それに比べオーボエ二番は決して華やかではないけど責任の重いパートですよね。そんな玄人好みのオーボエ二番を、コンサートではガン見するよう心がけます!