前記事をUPした9日の22時半過ぎ。トイレでドサっと音が~用を済ませ便器の蓋も閉め、いざ出るはずの夫が手すりを持ったまま尻もちをついた~
息子が、夫をトイレから引きずりだすんだけど、痩せていても174cmあるし骨太・・・難儀して~何とか出してトイレ前に椅子を置いて座らせる。血圧・脈を測ったら脈が155。血中酸素濃度は、測定不能やし顔は真っ白。そして体温は40℃。なのに、なのに、スリッパ履いて二階に上がると言って聞かへん。で、階段を2段上がったところでもうダメ~(生きてるけど)反り返った夫を反り返りながら支える息子。二人とも膠着状態。
熱も高いし、救急車を呼ぶことに。救急隊員も階段手すりから夫の手を離すのに難儀。もう、息子はお酒を飲んでいたので同乗。一番近い病院は「どっか、かかりつけに行ってください」だって~でも入院してた病院に不信感があった私は、「〇〇がいいんです。そこで、たくさんのオペ受けてるから」〇〇がOKで、そこへ~
病院に入ったんが、23時過ぎ。検査や診察が終わり説明を聞くのが3時過ぎ。夜明けはまだやけけど。(日本の夜明けは近いぜよとか思い出す)腹水が溜まって、腎臓の数値が悪く腎臓内科入院。ICUに入れられる。また、延命治療を聞かれたけど(今年3回目)「もう、何度も大きな手術をしているし、しなくていいです」先生「事態が変わったら、ここ二、三日のうちに容態急変するかも分かりません。心臓の動きが悪くなってもですか?」私「もう、前から本人は延命を希望しないなのでいいです」先生「酸素も供給せず血圧を上げる薬もいらないですか?」私「いりません、今年2月に母がそんなんで苦しそうやったから」先生「わかりました」
でもICUで帰り間際、「杖持ってきて」って・・・ええええ~
私らタクシー呼んで4時前に帰ってきたよ。ももも家の不穏な空気を察して、珍しく二階の私のベッドに隠れてた。
夕方行ったら、一般病棟へ移されていて意識もクリアで又、TVの角度を右へ〇度とか言うてるし~見るんかーい。
昨日行ったら、点滴だけやからパン食べたいとか抜かすし。先生は「二三日中にということは、ありませんので、引き続き治療します」って。
私、今年4回目の救急車。そのたんびに延命治療を聞かれる。初めはためらってたけど、今回はかなりはっきりと拒否したわ。さっきも電話してきて、「明日からゼリー食べられるし、パンはあかんて」・・・←当たり前やろ。
弟なんか、「今度延命治療聞かれて、もう〇〇してくださいて言うても大丈夫と思う」・・・
↑来年は「ぐりとぐら」。
↑取り掛かってる。
ああ~夫がどうなるか分からへんしややこしいから、来月の宮古島旅行はキャンセル。今日の友達との神戸相楽園行きもキャンセル。相楽園の横を通るバスで通学してたし、なつかしかったのに。
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限定缶がなくならないうちに注文した。
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やっぱりここのが、一番いいかな。何度もリピート。
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喪中はがきに夫の近況をチラっと書いて夫の兄弟に。予想はしていたけど、電話あり。で「実は、今入院してるんですよ~」義弟妻「こんなことあったら、いけないけれどもしもの時はうちも行きたいから」。私「うちは本人が死んでも兄弟に連絡しなくていいって言ってるし、家族葬でするから」義弟妻「いや、そんな、寂しい。行きますから」私「いや、無理に来て倒れられたらこっちも困るし、家族葬にしますから」ほんま、もういいねん。10年以上も会ってないし、普段全く行き来してへんし。そして翌日、義兄妻から電話。これ絶対に連絡したんやろなあと思った。だって、年賀状のやり取りもしてへんし。あああ~もうそういうの嫌やねん。もう、いいねん~私は自分の道を行くから~
って、全然本人元気で、先生やナースさんと気の利いた受け答えしてるし。
なんやねんな?ほんまに~
ああ~私の宮古島行きチケットよ~