柳の芽が柔らかな色になって木立の向こうの天守閣も春色に見えました
先週は晴れれば強風が吹き荒れて、散歩に出かける気にもなりませんでした。そして昨日の日曜日は少し風が収まって晴「名古屋女子マラソン」にも良かったのではと思っています。テレビ中継で名古屋市役所近くの高低差12メートルの登り坂を速度を落とさずに駆け抜ける選手たちに、いつも息を切らせてあの坂を歩いている私はただただ凄いなぁと感心していました。7時間以内にコースを完走するだけでも凄いことです。
月曜日の今日は風も弱く晴れたので久しぶりの名城公園へ。早咲きの桜にメジロが・・・私のスマホでは動きに追いつけず、見てただけ。柳の芽も春の色でした。
木立の中ではいくつものグループがグランドゴルフ
子供の頃に父から聞いていた「春はフリ フキ ドンだでな」。降った後は風が吹いてその次に穏やかな日が来る。昔から春は雨と風が過ぎないとぽかぽかの日にはならないようです。明日は雨の予報です。
公園の帰りに近くのオオカンザクラの並木道にちょっと寄り道、満開でした。
夫が4年ほど大連に単身赴任していましたので私も時々出かけては、あちこちスケッチしながら楽しんで来ました。(2001年~2005年)懐かしいです。
最初は、希望に燃えて習っていた中国語も、戦争で中断し、やっと退職後、再開させたようです。退職後は、ハワイの真珠湾に行ったり、シンガポールに行ったり、17才で初めて降り立った中国の大連(ダーリヤン)に港に行ったり、台湾に行ったり…
米寿のお祝いには、私たち夫婦と父+母で、父の希望の鹿児島の知覧特攻平和記念館に行ったり…
今から思うと「父親の青春時代、ひいては人生を振り回したあの戦争は!何だったんだろう‼️」と、ずっと自分の足で踏みしめて確か
めていたのだと思えます。
お父様が中国語を勉強されておられたとか・・・
夫も退職後ボランティアで中国へ5年赴任していました。その間に父親が戦死した地へ中国の学生と慰霊の旅にも行きました。今ではいろいろな事がみな良い思い出になっています。
父親は、スポーツマンでバンカラな男でしたから、戦後の価値観の急速な変化には、かなり戸惑ったと思えます。
が…頑張って我々(2人の娘)と両親を最後までよくよく面倒見てくれました。
父は退職後、やっと好きな中国語教室に通い若い学生らと色んな体験をしたり、旅行(海外+国内)を楽しんでましたよ。
退職後の父親は、柔らかい表情の事が多くて親しみ易くなったが…
子どもの頃は、何か?気難しい雰囲気でしたよ!!
父親が今生きていたら、今の世界(戦争に向
かっている?ような)の動きを?どうおもうでしようかね?
私の父は年齢的にも兵隊に行くことは無く家にいてくれました。また私の夫は母親のお腹にいる時に父親が出征してそのまま戦死。「父親がいたらなぁ」とよく言っていました。悲しい家族が増えないように、今ニュースで見聞きする各地の戦争や紛争、一刻も早くやめて欲しいです。天災ではなく人間が起こしているのですから止めることは出来るはずななのに・・・。
私の父親は、戦争体験者(陸軍の歩兵部隊の一兵士として、中国→シンガポール→南方)に派遣され20~26才の青春時代を、生死の境目で過ごした男です。終戦時に、たまたま所属部隊が居た場所がニーギニア島の西のセラム島だったので…終戦前の激しい米軍の北上コースから外れていたために、九死に一生を得て、終戦の翌年の6月に日本に帰還出来た男でした。
その為か?PTSD(戦争中の)に悩まされての戦後の人生だったようです‼️
そんなで?ひろさんのお父さんの様な?父との和やかな日常会話は?私の記憶にありません❗
気まぐれなお天気ですね。
東北の春、バイクも山菜も楽しめる季節が待たれますね。
予報通り雨の朝です。
オオカンザクラの並木道は地元の要望で1961年頃に植え始め今も少しずつ距離を伸ばして1・4㎞に140本
最初の木は植え替えられて残り少ないようです。
住宅街なので、平日は観る人も少ない・・・これがいい(^^♪
今年の三寒四温はいつ終わるのかな~?(;^ω^)
おぉ~、ホントだ!
すばらしい桜並木!
若い樹でしょうか。
でも、とてもゴージャスな咲きっぷり♪
こちらも、明日はしっかり雨降り。
一雨ごと、ですね。
今年の春は気まぐれですね。
お手製の切り干し大根、よくなさいますね。
大きな大根が安く出回った時、作ってみればよかったと今頃思っています。
来年は・・・と。
冷たい風さえなければ、陽射しは暖かいです。
閉じ籠っていないで色々な春を探しに歩かねば!と、思っています。
でも、まだ寒いですね~・・・(#^^#)
日曜日は晴天に恵まれて、満開のカンザクラ&メジロに出会って、春を満喫ですね!
柳が芽吹き天守閣も春を感じているよう・・・・