小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

読響 サマーフェスティバル2018 三大協奏曲(8/21)

2018-08-25 05:57:57 | クラシック音楽
18時半開演の芸劇でのコンサート直前に、実家の岩手から新幹線で東京に到着。ヴァイオリニストの岡本誠司さん、チェリストのラウラ・ファン・デル・ヘイデンさん、ピアニストの反田恭平さんが登場する読響の三大協奏曲プロは、旬の若手のアップロードされた演奏を確認するためにも絶対に聴いておきたかった。指揮は大井剛史さん。コンサートマスターは長原幸太さん。
岡本誠司さんがメンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲』を演奏する前に、管セクションの譜面台に別の楽譜が置かれていたというトラブル(?)があり、いったんステージに現れた指揮者とソリストが袖に引っ込んでからまた登場するという珍しいことがあった。ようやくはじまったメンデルスゾーンは、薫る風のように柔軟な質感のサウンドで、岡本さんの軽やかで優雅なソロが美しい。溜まっていた心の疲労をときほぐしてくれる癒しの力があり、すがるように聴き入ってしまった。岡本さんは94年生まれで、この年はクラシック奏者の当たり年なのだが、それまでの世代にはない洗練された軽やかさがある。高度な技術に支えられた透明感があって、室内楽でもコンチェルトでも自然体で音楽の哲学的なメッセージを伝えてくる。メンデルスゾーンの性格の優しさ、バッハへの尊敬、自然と人間の高次の結びつきを感じさせる演奏だった。

この三大協奏曲では、三つの戦いということをずっと考えていた。芸術家の日常は戦いの連続だというが、その戦いの本質とは何だろう…という問いの答えが、三人のアーティストの演奏から理解できた。岡本さんはバッハ国際コンクールで優勝されたときに初めてインタビューしたが、その後も何度も演奏会を拝聴している。去年のちょうど今頃、ピアニストの務川さんとのデュオ・リサイタルのあと、帰りの電車で岡本さんの先生と一緒になり、幼少期の岡本さんのお話をお聞きした。印象的だったのは、岡本さんの音楽性があまりに自由なので、これでは国内のコンクールでの入賞は難しいと思っていたら、一気に世界で認められてしまったというお話だ。なんだかとても岡本さんらしい。

フィギュアスケートの採点が六点満点から変わったときに、選手の滑り方が変わったということを思い出した。音楽はそれではつまらない。はみ出すような特別なものがあるから、人は選ばれるのではないか。コンクールの現場感覚がないので浅はかなことを言っているかも知れないが、音楽の戦いとは点数稼ぎや徒競走よりもっと面白いもののはずだ。
岡本さんは目覚ましい速度で成長している。芸術のゴールを知っていて、そこから逆算して日々を過ごしている感じだ。メンデルスゾーンのvn協奏曲の3楽章は、演奏家によっては意地悪でとりすました音楽に聴こえるのだが、岡本さんはテクニカルなパッセージほど優しさを感じさせる。ロココ的で優美な色彩感の、哲学的なインスピレーションに溢れた演奏だった。

次に登場したチェリストのラウラ・ファン・デル・ヘイデンはゴールドのゴージャスなドレスが似合う美しい演奏家で、97年生まれ(20歳or21歳)という若さ。ドヴォルザークの『チェロ協奏曲』は最初の一音から闘いを挑むような迫力で、大井さんも読響からメンデルスゾーンと全く別の音を引き出した。オペラもよく振られる大井さんだが、この曲の見事な陰影とドラマはヴェルディ・オペラを思い起こさせた。ソリストは、明らかに壮大で強烈な世界をイメージしていて「若くて可愛い女性だなんて言われたくない」と自分の楽器で主張しているようだった。アリス=紗良・オットが「可愛いといわれるのが本当にいやだ」と語っていたのを思い出した。邪魔者を追い払うようにリストの超絶技巧練習曲を弾いていたアリスと、ドヴォルザークをリストの「死の舞踏」のように奏でるラウラが少しばかり重なってしまった。このコンチェルトには確かに、サイケデリックでクレイジーなところがある。オケの見事なバックアップで、ソリストの真剣で崇高な闘いは勝利した。

休憩をはさんで反田恭平さんのチャイコフスキー『ピアノ協奏曲第1番』。先日のサマーミューザでラフマニノフの『5番』のピアノ協奏曲の日本初演を成功させた反田さんだが、彼の演奏家人生こそ闘いの連続だ。人の運命は実に奇妙だと思う。突出した才能ゆえに色々な逆境を乗り越えなければならなかった。昨年、写真集のためのロングインタビューを行ったときは、モスクワ音楽院での留学生の苛酷な対応について知り、心が痛んだ。とはいえ、どんなときも他人を責めたり状況を恨んだりしないのが彼で、この強さはどこからくるのだろうといつも驚く。まだ23歳なのに、既に凄まじい境地を幾度も乗り越えてきた。

チャイコフスキーの1番のピアノ協奏曲は、献呈されたピアニストが「演奏不可能」と放棄して別の演奏家によって初演されたエピソードをもつほど技術的に難しい曲だが、楽想の美しさゆえに「完璧でなくても聴けてしまう」奇妙な曲でもある。反田さんは几帳面な性格で、チャイコフスキーのどんな煩瑣なパッセージもいい加減に弾き飛ばすことはせず、精緻なタッチで楽譜を再現し、あらゆる瞬間に聴衆を魅了した。全盛期のホロヴィッツでもリヒテルでもアルゲリッチでもない、反田恭平のオリジナルな凄いピアニズムで、フィナーレのユニゾンまで辿り着くのに時間が飛ぶように過ぎた。チャイコフスキーは、テクニカルな小節をクリスタルガラスの装飾のように積み上げることで、鏡の向こうの世界へ行こうとしたのではないか。作曲家自身が自分の曲を「わざとらしい作り物(交響曲第5番について)」と評している。そのヒリヒリとした「キワの感覚」を反田さんの演奏は見事に浮き彫りにした。

それにしても反田さんはモスクワでもっと学びたかったのではないか。彼の芸術を引き上げるものは彼しかいない、という覚悟を感じ、若い音楽家をこの境地に運んだ様々なものについて思いを巡らせた。そういえば、ロングインタビューでは音楽学校を作りたいと語ってくれたが、その意味がようやく分かった。

若い演奏家が向き合っている闘いとその返答を聴いた三大協奏曲で、彼らにとって貴重な時期にこのプログラムを実現した読響には感謝しかない。挑まれた戦いに「愛情」という返答をする芸術家の生き方を見た。彼らからは学ぶことしかない。