小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

Arts Mix『リゴレット』飛行船シアター(11/23)

2022-11-25 14:09:41 | オペラ
オペラ歌手の藤井麻美さんと宮地江奈さんが主宰するArts Mixの旗揚げ公演『リゴレット』を上野の飛行船シアター(旧石橋メモリアルホール)で鑑賞。寒い雨の降る休日のマチネ公演だったが、オペラは熱かった。当初演奏会形式として上演される予定だったのが、演出と映像がついた本格的な公演となり、合唱がカットされる代わりに「語り」が入ることになった。二期会の宮本亞門版『蝶々夫人』で成長したピンカートンの息子役(黙役)を演じていた俳優の牧田哲也さんが、リゴレットとマントヴァに恨みを抱くチェプラーノ伯爵を日本語の台詞つきで演じた。

この公演の4日前に、通し稽古の見学とキャストインタビューを行ったが、若手歌手全員がとても穏やかで、これからこんなえぐい話(!)を演じるのか…とオペラの世界との断絶感を感じたほどだった。タイトルロールの小林啓倫さんは37歳で、フルでリゴレットを演じるのはこれが初めてだという。幕が開けてみると…凄いリゴレットだった。メイクで37歳が73歳くらいに見えるのも驚いたが、苦痛に満ちた道化の役を陰影のある歌唱で歌いきっている。ヴェルディ・バリトンの極意が感じられた。マントヴァ公爵の宮里直樹さんは稽古のときから素晴らしい声量で、泉のようにこんこんと湧きだす美声に「これは奇跡か」と驚いたが、本番のホールでも空間の狭さを感じるほどだった。あの声は世界の宝だろう。マルッロ倍田大生さんもメイクで別人になっていて、歌唱も稽古の倍増しに良くなっていた。スパラフチーレ松中哲平さんは、ただ立っているだけで迫力満点で(すでに100人は殺した後のように、という演出が入っていたとか)、有名な低音もさりげなく決めてみせる。Ⅰ幕から歌手たちのエンジン全開で、非の打ちどころがなかった。今の日本の若手歌手のクオリティは凄いことになっている。

ジルダの宮地江奈さんはこの役に全身全霊を捧げていると思った。『慕わしき御名』では、コロラトゥーラ・ソプラノの技巧と表現力をフルに使って、究極のアリアを歌いきっていた。こうした感想は大袈裟ではなく、何度もこのオペラを観て初めて感じたことだった。恩師のアンドレア・ロストがこの役を歌うのに憧れ、ハンガリー国立歌劇場の来日公演で日本に滞在していたロストから指導を受けたという。
 ジルダという役については、演出の奥村啓吾さんから「純粋で、母のような大きな愛を持つ女性」という言葉が返ってきた。ジルダはずっと被害者だと思っていたから、奥村さんの深い考えに興味を持った。ピアニストの篠宮久徳さんも「このオペラは『リゴレット』というタイトルだけど、自分にとっては『ジルダ』というオペラなんです。ジルダは愛そのもの」と語ってくれた。

その意味が、この上演でわかりすぎて泣けた。マントヴァ公爵は、目の前にいる女性なら誰でも夢中になる。身分の高い女性でも、殺し屋の妹でも、道化の娘でも。生まれつき幸運を約束された存在で、彼の厄をよけるために道化のリゴレットがいる。リゴレットはマントヴァの厄(神からの嫉妬)の身代わりになる役で生きていられるので、マントヴァを呪うことは鏡に映った自分を呪うことになる。

待て…この演出を観るまで、自分は『リゴレット』を全く理解していなかった。マントヴァとジルダは、どこまで行っても平行線で、矛盾がありすぎて結ばれない。身分の違いもあるけれど、本質的には男と女ということの深すぎる溝で、男は勝手に生きているけど、女は愛する人を母のように守りたい。ジルダはマントヴァが口説いているマッダレーナにさえ「彼女も彼を愛している…」と同情する。女の辛さをわかっている。男を憎みたいが、憎めない。馬鹿な男なのに愛しか感じられない。そうしたときに、現実で起こる葛藤を全部省略して、オペラでは「愛してもどうしようもない男を、母のように包み込んで身代わりになって死ぬ」のである。

マントヴァ公爵は、か弱い女性が母親のような巨大な愛で自分の命を救ってくれたのに、そんなことも知らずに「女心の歌」みたいなあほな歌を歌っている。そんなのどう考えたっておかしいのだが、生まれつき幸運なのも彼の宿命で、リゴレットが道化として生きるしかなかったのも、ジルダが死ぬしかなかったのも宿命なのだ。ヴェルディは、オペラの中にそうした運命論者としての残酷な冷静さを持ち込む。

マントヴァはジルダの犠牲など気づかずに、その後の人生も女たらしとして楽しく生きるのかも知れない。宮里さんが素晴らしい演技で、ピンカートンの何倍も罪深い公爵を余裕で演じていた。しかし、そんな不平等も神は天からすべて観ている。神と同じ視点はどこにあるのか。客席だ。『リゴレット』を観ている人全員が、神の視点を共有しているのだ。

歌手たちは素晴らしく、イタリア語も美しく、ディクションについて詳しく言える耳を持っていない私でも、素晴らしいことは理解できた。イタリア語を日常会話にしているからイタリアのオペラ歌手だけが凄いなんてことはない。イタリア語とはいわば運転免許みたいなもので、日本人も免許をとっている人はイタリアオペラを完璧に歌える。小林さん、宮里さん、宮地さん、藤井さん、倍田さんはイタリア人だってこんなふうに歌えるかどうかわからない、というくらいの歌を歌っていた。

稽古では歌手たちと全く違うことをやっているように見えた牧田さんが、本番では完全に歌手たちに溶け込んでいた。演出の奥村さんのカンの良さが並外れている。牧田さんの純粋さが嬉しかった。マッダレーナとジョヴァンナの二役を演じた藤井麻美さんの、演劇的な幅の凄さにも驚愕した。藤井さんのマッダレーナの妖艶さを見て、カルメンも行けるのではないかと思った。魅力の塊だった。

藤井さんと宮地さんがこのプロジェクトを立ち上げたことを思うと、オペラも予想外の進化を遂げているのではないかと思ってしまう。公演は大成功だった。字幕の大きさも、衣装もメイクも(メイクさんの仕事に感動)最高だった。
稽古場でのインタビューで、若い歌手の皆さんがあまりに和気あいあいとしているので「もはや、歌手が意地悪だったり、映画『ブラックスワン』のように演じ手に汚さを求める時代は終わったのですね」と余計なことを聞いてしまった。
お稽古のときから全体をしっかり見まわしていた藤井さんが「歌手は自分が楽器なので、誰かに対して嫌なことを言ってしまったら、必ず声の色にあらわれるんです」と答えてくれて「ああそうなんだ」と納得した。それくらい、若い世代は新しい心で芸事に取り組んでいる。
オペラが人生に教えてくれることはあまりに深い。稽古場で演出助手の方に温かい言葉をかけていた奥村さんの姿も忘れられない。すべての瞬間が目からウロコの『リゴレット』だった。


(稽古場で)