小田島久恵のクラシック鑑賞日記 

クラシックのコンサート、リサイタル、オペラ等の鑑賞日記です

吉松隆の「英雄」

2023-03-12 10:02:46 | クラシック音楽
作曲家の吉松隆さんは、よく漫画家の松本零士さんに間違えられてサインを求められることが多いという(ご自身談)。先日亡くなった松本零士さんは水瓶座で、もうすぐ70歳の誕生日を迎える吉松さんは魚座。占星術の12星座の最後の二つの星座で、天才星座であり「余りもの」の星座である。現実世界は1番目の牡羊座からスタートして10番目の山羊座でいったん完結する。水瓶座と魚座は「その先の見えない世界」をつかさどる星座で、オカルト的で未来的で宇宙的な性格を付与される。「この目に見える世界だけで完結させていこう」という多数派の人々から尊敬され、ときに疎まれもする。みんな現実にしがみついていたいし、誰もが遠い未来のことを考える想像力を持っているとは限らない。

オール吉松プログラムのコンサートが、3/11という魚座の季節に、原田慶太楼さん(魚座)の指揮と東京交響楽団によって行われた。「鳥は静かに」「鳥のシンフォニア"若き鳥たちに"」は、かすかな霊感から極彩色の絵巻が展開されていくような曲で、幻想的で華やかで、まさに地上から天上へ鳥が飛翔していくようなイメージ。プレイヤーが次々と立奏を披露する様子も自由な感じがした。音の広がりが宇宙的で、カオスからピュアな光が立ち上っていく。芸劇の空間が無数の光の帯で埋め尽くされていった。

音楽は本能に訴えかける芸術で、聴いている身体と魂が驚くもので、本質的にセクシャルなものだと思う。バッハにはバッハの、チャイコフスキーにはチャイコフスキーのセクシーがある。吉松さんの鳥の音楽にはフェミニンな美への憧憬が感じられ、それはとても純粋で官能的だと思った。抽象的概念の遊戯ではなく、触りたい、香りを嗅ぎたい、味わいたいと思わせる音楽なのだ。東響のサウンドが美しかった。

作曲コンクールに毎年応募し続けていた頃、いわゆる「現代音楽」の様式とは別の作品を書き続けていたため「表紙だけで落とされていた」と、かつてインタビューで語ってくれた吉松さん。色も香りもある音楽は、アカデミズムの世界では「現代音楽の土俵に乗る資格がない」ということなのだろうか。お話を聞いたのはだいぶ前だが、淡々とした口調で、周囲の無理解と孤独に戦ってきた過去を語ってくださった。「中学生のときにベートーヴェンを聞いて、もうとっくに亡くなったベートーヴェンの曲が『楽譜』というもののお陰で、永遠に演奏され続けていることに感動し、作曲家になりたいと思った」と。「楽譜ってすごいと思った。それだけでひとつの世界を完璧に遠い未来まで運んでいくことが出来るんです」
無人ロケットに詰め込まれた楽譜が遠い惑星に不時着したとき、そこに人類に似た生命が存在したら、必死におたまじゃくしの暗号を解読するのかも知れない…それは確かに『銀河鉄道999』っぽい。吉松隆さんが松本零士さんと間違われる理由がわかった気がした。
『タルカス』のオーケストラ版は今回もかっこよかった。原田さんの指揮が見事で、楽曲のもつロックな燃焼感が増幅されており、亡くなったキース・エマーソンに聴かせたいと思った。確か10年前の吉松さんの60歳バースデイ公演のときは、キース・エマーソンも客席にいた。3月11日はキース・エマーソンの命日でもある。

後半の『交響曲第3番』は98年の作品。吉松さんの好きな世界観が全開のシンフォニーで、楽理のエキスパートである小室敬幸さんの解説では「(ベートーヴェンの5番のように)拡大ではなく凝縮路線をとった作品」とあるが、個人的に乱反射する楽想に、ストラヴィンスキーや民謡やR・シュトラウスやカルミナ・ブラーナなど「オーケストラで楽しいこと」が全部詰め込まれているような印象を得た。管弦楽のパワーを最大限に引き出していて、ロックのようなグルーヴと血潮が感じられた。
 一瞬、去年の芥川作曲賞の授賞式で、審査員の三人が「現代音楽の趨勢としかるべき作曲家の姿勢について」難解な議論を展開していたことを思い出した。音楽を作るということは、色々なことを気にしなければならない。世界中の新聞を読んだり、学術書をたくさん読んだり、権威ある人の忠告を聞かなければ書いてはいけないものなのかも知れない。吉松さんの交響曲を聞きつつ、自分の頭の中で聞きかじりの中途半端な知性がノイズを放つのを感じた。作曲家はそうした他人のさまざまな、勇気をくじく想念に勝たなければならない。生きている時間は限られているのだし、他人の見解に振り回されては無味乾燥な「どんぐりの背比べ」みたいな曲しか出来上がらない。

「交響曲第3番」のラスト近くで、音楽がどんどんワイルドで明るい雰囲気になっていく感じがあった。
この世界には過去のノスタルジーに甘美に浸っていたい人もいれば、未来を楽しみに胸ふくらませて生きている人もいる。ご実家が代々木上原にある吉松さんが、64年の東京オリンピックのときに「家から渋谷までの野原がほんの数日で舗装道路になったのにビックリした」と話してくださったのを思い出す。震災後の日本の土木作業のレベルの高さもニュースになったが…昔の日本はさらにすごかった。高度経済成長期、みんなが後ろをふりむかず、未来に希望を抱いていた頃、都会もアートも今よりずっとポジティヴなエネルギーを放っていたはずだ。
「吉松さんの音楽は未来のエネルギーに溢れている」と確信した。それは作曲家の愛であり、直観であり、そうあるべきと刻印された魂の運命なのだ。
 指揮者の原田さんから大きな花束を渡されて、マイクを持たされた吉松さんは「オーケストラに未来はあるのか。大好きなオーケストラを皆さん応援してください」と、自分のキャリアや曲のことではなく、オーケストラとクラシックの未来を心配していた。魚座は未来に生きているので、みんながちゃんとついてこられるか心配なのだ。ロケットに乗って別の銀河に不時着する「交響曲第3番」を想像した。